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【わたし、ヒトが恋しいの】 その2

 わたし、カモメといえば、ジョナサンか水兵さんのイメージしかなかったのね。

 低空で獲物を奪い合う光景は、カモメの水兵さんの歌からはイメージできるものではなかったわよ。

 何か貪欲で本能丸出しの汚い部分を垣間見ちゃったような気がして、ちょっとショック。

 でも獲物目掛けて集団で飛来する姿は、カモメのジョナサンっぽかった。

 水、陸、空からの攻撃で砂浜に散乱したヒトの肉片は、日を追うごとにその姿を変えていったわ。

 カモメ、虫、カニ、小エビにアナゴ、どれもその顔からは表情が掴めないじゃない。だってそれぞれ皆んな同じ顔に見えちゃうんだもん。だから何考えながら肉片を食べてんのかと思うと、ついついぼうっとその答えを探しているわたしがいたりしたのよね。

 ヒトと違って、皆んな味には何にも文句いわないんだろうなぁ。

 これはあくまでもわたしの想像だけどね。満腹になれるものなら、食料はヒトでも何でもいいんじゃない。多分。

 だって、彼らにとって共食いも当たり前でしょ。そんなの日常茶飯事じゃない。

 肉片が完全に腐敗する前に、島の住民たちが骨だけ残して全部綺麗に平らげてしまったわ。骨だけが散乱したビーチはもう匂いはなかった。

 でもそれは万年鼻詰まりのわたしの鼻が感じたことだからね。実際は多少臭い匂いが残ってたかもしれないわね。

 あるいは臭い腐敗臭にわたしの鼻が慣れてしまったってことも考えられるけど。要するにわたしはもう鼻を摘ままなくてもよくなったのよ。

 その頃になるとわたしも島の風習に慣れて、もうほとんど日本にいたときと同じ感覚で平然と暮らせるようになってたわ。

 日本だと近所のコンビニで何かと用をすませてたけど、わたしがいるここは無人島。だからそんなもんはどこを探してもないでしょ。でも、全然不便を感じたことがないのが不思議なのよね。

 お腹が空けば、その辺にある食べられそうな物を食べてるし、生活に必要な物なんかも適当にあるものですませてるからね。でも雑誌が立ち読みできないのがちょっと残念。


 島に一人で住んでるとね、文明社会がわたしのいない間に、凄まじいスピードで未来に突っ走ってんじゃないかしらって、そんな不安感に押し潰されそうになるときがあるの。そんなときはよく自分にいい聞かせるの。

「そりゃそうよ! 一々世間がわたしなんかに構ってくれるわけないじゃない!」

 思いっきり独り言なんだけどね。

 奮い立った自分の声を聞いてると、何か勇気づけられて、病んだ心が癒されるのよね。

 勿論、わたし以外にわたしの声を聞いてるヒトなんていないわ。でも、島民たちには聞こえてるはず。

 ここってヒトがいないでしょ。だから、いつの頃からか、わたし、島の動植物をヒト扱いするようになったのね。だから島民ってのは島の動植物ってことなの。

 島には有り難いことに、獰猛な獣は棲んでなかったの。だから無防備な格好で毎日ぐっすり眠りに就いてるわ。

 夜、目を閉じてそっと打ち寄せる波の音に耳を澄ますの。そうするだけでわたしはすぐに眠りに就けるのよ。

 日本にいたときは朝七時に携帯のアラームで起きる習慣だったのね。島には会社なんて面倒なものないから、自然に目が覚めるまで存分に眠っていられるの。

 島の風景は天国そのものだわ。

 それに加えて島での生活は、都会の喧騒にもう随分と長い間忘れていたヒトらしい生活観を思い出させてくれるの。

 島での生活は超快適。

 ここに流れ着いてしばらくは、誰か早くここから連れ出してくれぇ! 日本に郵送してくれえ! って思ったときもあったけど、今はそんなこともあまり考えなくなったわ。

 あの頃のことは今となっては、良い思い出ね。

 はっきりわかってることなんだけど、この島に完全に馴染んでしまったわたしの体内時計は、もう多分絶対的に日本での生活、いや、文明社会での生活リズムには修正利かないと思うのよね。

 幸か不幸か、最近はあんまり日本に未練も感じなくなっちゃったみたい。

 ところで、日記を見るとね、あ、あんな日もあったねって過去を振り返ることもあるわ。

 サメが大量発生した日はわかりやすく、「サメ出た!」って刻んでるし。

 サメを間近で見ることなんて、東京じゃなかなかないでしょ。あの日はかなり興奮したわ。

 何が凄いって、サメって何でもバクバク食っちゃうのよ。

 珊瑚礁が透けて見える透明な海が、みるみるうちに赤い絵の具を溶かしたみたいに濁ってくの。

 見事だわ。

 わたしは海にせり出した岩場から、高みの見物と洒落込んでたけどね。ぼうっと眺めてるうちに、サメに追われる小魚の群れが可哀相になっちゃって、ついつい正義感からかしら? わたし足元に転がってる石ころを拾い上げて、サメに向かって投げてたの。

 勿論サメには掠りもしなかったけどね。もう投げる石がなくなったときには汗だくで、疲労感でぐったりきてたわ。

 一汗掻いた身体を、緩やかな潮風が包むように通り過ぎていったわ。とっても気持ち良かった。

 あの日は久しぶりに激しく運動したから、翌日は背中と右腕が筋肉痛で大変だったの。

 日記にはね、目立ってこれといった内容の出来事はないみたい。どれも大抵が、「暑い!」とか、「暇かも?」くらいで、多分この先もこんな調子の言葉がこの島からいなくなるまでつづくんだと思うわ。

 この島って多分太平洋のど真ん中にあると思うけど、年がら年中暑いのよね。常夏っていうのかしら?

 季節感なんてそんなもん全然ないわよ。

 ただ、暑いだけ。

 こう暑いとね、頭、本当にバカになりそう。

 だからわたしは陽射しの照り付ける昼間は、ヤシの木陰で寝て過ごすことにしてるの。活動は早朝と夕方の一日二回。

 夜は波の音をBGMに熟睡してるから、気を抜いてるとすぐに太っちゃうのよね。

 朝、日の出とともに目が覚めちゃうのが不思議。わたしは起きると健康のために島を散歩するの。時計がないからわかんないけど、多分二時間以上は歩いてると思うわ。

 早朝は島民も静かなの。聞こえてくるものといえば、そうね、波の音くらいかしら?

 太平洋を横断する風が島で骨休みに立ち寄っても、ヤシの木をへし折るくらい強烈な暴風になることはないの。風は静かに島を通り過ぎるだけ。草木を撫でて通り抜ける音は、波の音で打ち消されてほとんど聞こえてこないくらい。

 太陽が完全に上空に姿を見せると、どこからともなく鳥たちの鳴き声が響いてくるの。

 鳥たちも魚たち同様に皆んなカラフルで、海と空の青色と森の緑色に飽きたわたしの目を楽しませてくれるわ。

 でもね、目が覚めるような奇麗な姿を見せ付けてくれるのはいいんだけど、どいつもこいつも皆んな突然どこからともなく現れるのよね。その度に心臓が止まりそうになるから、できればもうちょっとわたしのことも気遣って出てきてもらいたいわね。

 わたしも少しは慣れてもいい頃なんだろうけど、でも、やっぱりビックリしちゃうのよね。

 魚や鳥に限らず、島民は皆んな個性的でカラフルよ。この島にきた頃は珍しいこともあって、島民に出逢うとなんかワクワクして嬉しかったけど、今はもうそんな新鮮な気持ちもどっか行っちゃった。

 この島で目新しい出逢いなんてこの先なさそうだしね。

 仮にあったとしても、わたしのように飛行機が墜落したとか、船が遭難したとかで島に漂着した物と遭遇するくらいじゃないかしら。

 なんかそれしかなさそうよ。


 ここはこの世の楽園。この世の天国。そう思うとちょっと変なことを考えたりもしちゃうのよね。

 わたしは今この無人島で、天国にいるような生活を送ってるわ。恐らく、わたしは死んだ後、今度は本物の天国に行くと思うんだけどね。本物の天国でも今と同じような生活がつづくんじゃない?

 これはあくまでもわたしの予想なんだけど、そう思うと何か嫌なのよね。

 この生活は生きてるからこそ、まあ、こんな生活も期間限定でやってやってもいいか! って、気持ちも割り切れるんだけど。死んでまでもこんな生活をつづけたいとは正直のところ全然思わないのよね。

 天国での生活は暇ですぐに飽きちゃいそう。地獄に行けばそれなりにイベントが盛りだくさんで暇じゃなさそうじゃない。だから、退屈はしないだろうね。なーんて思ったりもするのよね。

 世間一般じゃあ、飛行機墜落事故をこの世の地獄、あってはならない惨劇だ! なんて思うかもしれないけど、まさかあの事故で一人だけ生存者がいて、この世の天国のような島で神様みたいな生活しながら、

「天国はこりごりなのぉ! わたし分、死んだら地獄に一席予約しといて!」

 なーんて思ってるヒトが本当にいるなんて想像もしないだろうね。

 この島には生きてるヒトはわたしだけでしょ。だから、当然なんだけど争いが起きないのよね。人間関係で苛々してた日本にいた頃のわたしが懐かしいわ。

 天国は人間社会にはびこる煩わしい諸々が一切ないんだろうなって、島で生きてると容易に想像がつくのよね。

 ってことは何? 人間社会って地獄なの?

 ヒトがいなければそこは天国で、ヒトがいれば地獄って考えるのも相当に偏った考え方だと思うけど、でもなんかわたしには素直にそう思えちゃうのよね。

 この島で目撃した肉片になったヒトたちを競って奪い合う島民たちの光景は、ありゃどう見ても地獄絵図だもんね。

 わたし、事故のショックでなのかしら?

 目を背けたくなる光景を目の当たりにしても、平然としていられたのよね。なんか鴨長明になった気分だわ。

 ヒトもこの島の島民たちも、根本的には全然変わらないのよ。

 わたしはただの傍観者。

 日本にいたときもそうだったし、この島にきた今もそう。本質的には世の中の状況を、ただぼうっと眺めて見過ごしてるだけ。

 多分、本物の天国にいる神様もわたしと同じように、ただの傍観者でいるんじゃないかしらね。

 わたしが乗ってた飛行機が墜落する様子も、フルーツに齧り付きながらぼうっと眺めてたと思うんだ。

 最近自分の感覚が神の領域に達したんじゃないかしらって思うときがあるのよね。なんか神様が考えてること、やってることが容易に想像できちゃうの。

 島での生活は兎に角退屈だもの、何か事件が起こらなきゃ暇で暇で死にそうになっちゃうの。

 わたしのこの研ぎ澄まされた神の意識を駆使して、神様お気に入りのお楽しみを検索していくとね、或ることがとても大好きだって判明したの。

 神様は地獄の光景を観戦するのがどうも好きみたいなのよね。

 だから、いつになっても、世界の至る所で惨劇が繰り返されてるわけ。

 世界が平和でありますようにって願ってるヒトはたくさんいるよね。でも、そんな願い事を神様が聞き入れてくれるわけないじゃない。

 だって、それはヒトの勝手な望みでしかないんだもん。この世で生きてる他の生き物たちは、そんなことは何も考えてないのよ。

 肉片に群がった生き物の活き活きとした姿を見てるとね、なんかそう思えてきちゃった。

 戦争でヒトが死ねば、

「あっ、餌だ! 餌だ! これで当分は飢える心配はないぞ!」

 って、そう思う生き物はヒトの数以上にいるんだもん。ヒトの死体一個でどれだけの生き物が空腹から免れるのかしら?

 多分、神様はヒト一人の願い事を叶えるよりも、小さいけど無数にいる生き物たちの願いを叶えようとするんじゃないかしらね。多分、神様は民主主義者だと思うから。

 ヒトは一方的に平和を願うけど、もし地球に意志があって、

「ヒトを奇麗に始末してください!」

 なーんて拝んでたらどうすんのよ。

 まあ、兎に角神様は天国にいるから無い物ねだりで、地獄に憧れを持ってるみたいなのは確かよ。だから平和な世の中ってのは、神様にしてみれば相当に詰まんないものだから絶対こないだろうね。地獄を見ることは神様のお楽しみタイムだもん、しかたないわ。

 それに苦しみがなけりゃ、誰も神様にお願いしないでしょ。神様って案外淋しがりやで、皆んなの注目を独占したいんじゃないかしら。

 誰だって自分のお楽しみを取られたくはないでしょ。人間の願いを、素直にハイ、ハイなんてことではすまないと思うのよね。この世の惨劇は、神様が飽きるまでこの先もずっとずっと未来永劫つづいていくんだろうなぁ……。

「何かもっと、エキサイティングな事件はないかしら」

 って、たった今、神様のため息まじりのリクエストをキャッチしたわたしがいってるんだもん。間違いないわ。

 いつか日本食が食べたいって思うときがくるんだろうなって予想してたけど、わたしの予想は見事に裏切られたわ。

 日本にいた頃は、わたしずっとダイエットしてたから、ほとんどまともな食事を摂ったことがなかったのよね。

 朝は納豆とミネラルウォーターを1リットルに、昼食は会社の社員食堂でうどんでしょ。家に帰ってからもお母さんの料理には一切手をつけず、豆腐とこれまたミネラルウォーター1リットル。そんな食生活がもう二年以上つづいてたと思うわ。

 食生活が乱れて内蔵がおかしくなってたのか知らないけど、どういうわけかなんとか太らないでいられたのよね。体重が五〇キロを越えたのは未だかつて、高二の冬の一瞬だけ。

 この島にきてからはちゃんと三食鱈腹摂ってるけど、あんまり太った感じはしないの。今のわたしは日本にいた頃よりも遥かに食べてるわよ。日本にいた頃のわたしはまるで修行僧だったわ。今さらながらあの頃の自分が笑えてしまうのよね。ハハハ!

 ここにきて勉強になったことは、やっぱり食えるときには食えるだけ食っとけってことかしら。

 日本は豊かだから食べ物に不自由することはないけど、それはここでも一緒だけどね、世界には飢餓に瀕して飢え死にしてる国も多いじゃない。そんな貧しい国のヒトたちの苦しみを思えば、ダイエットなんてそんな人間の本能に逆行するバカな行為はできないわってことに気づいたの。

 でも、太りたくないから食べたら運動はそれなりにやってるつもりよ。

 この島の島民は皆んな食欲旺盛なの。その様子を見てるとね、ついついわたしも釣られて一緒に食べちゃうことがあるんだよね。注意してるつもりなんだけど、たまにだけど一日中何か口の中に食べ物を入れてることがあるわ。……ちょっと危険。

 島民には動いてる物なら何でも食べ物に見えるみたいよ。

 わたしも昔無理なダイエットしてたとき、ふらふらになりながら目につく物が何でも食べ物に見えたときがあった。

 何でそんな風になっちゃうのかわからないけど、単純に飢えてたからだよね。

 本当は摂取しなきゃいけない食べ物を、ダイエットで拒絶してたからそうなったんだろうな……。

 やっぱりわたしの意志に反して身体は欲求を抑えることはできないのよね。今、この島では本当によく食べてる。だから何かを見ても、それが食べ物に見えることはないの。

 でもね、わたし或る物に凄く飢えてるの。

 わたし、ヒトが死ぬほど恋しいのよ。

 日本にいた頃は別にそんなことはなかったんだけど。でも一人でここにいると、誰でもいいから話し相手が欲しくて欲しくて堪らなくなっちゃうのよ。

 満員電車なんて地獄だったけど、でも今のわたしはあの地獄にもう一度身を置きたい衝動に無性に駆られるのよね。

 ヒトと話せなくてもいい。ただヒトが見てみたいの。勿論、活きのいい生きてるヒトだけど。

 この島にきたときは確かにヒトはいたわ。でもそれはさっき話したとおり、ヒトというよりはただの肉の塊だったでしょ。ヒトの原形を残してる物ってあんまりなかったのよね。

 無傷で奇麗な死体なんてどこにもなかったわ。どれも中身が出ててグロテスクで、ヒトのイメージを十分に損なう強烈なインパクトのあるやつだった。

 わたし、こんなにヒトが恋しくなるとは思ってもみなかったわ。今こんな自分が不思議でならない。

 最近特に自分でも自分の感覚がおかしいのは気づいてるの。

 わたしね、自分でいうのもなんだけど、相当頭狂ってるみたいよ。だって、最近何でもヒトに見えちゃうんだもん。

 と、いっても墜落事故で亡くなった連中の幽霊を見るってことじゃないわよ。幽霊でもヒトの形で現れてくれたら、喜んで歓迎してあげるわよ。

 でも、どういうわけか幽霊なんか一度だって出てきてくれたことがないのよね。

 わたし……、淋しいわ。

 ヒトが恋しいあまり幻覚ばっか見ての。

 ほんと悲しくなっちゃう。


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