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【あんなぁ、ママ、今日なぁ】 その3   八木商店著

 ランドセルを自転車のカゴに入れ、後ろに愛を乗せる。車に注意しながら横断歩道を渡り、近所のスーパーまで歩道を押して歩く。すぐ傍を小さなコウモリがクロアゲハのように舞って離れて行った。空を見上げると数羽のカラスが薄暗い東の空に飛び去っていった。スーパーまでの短い道、私は決まって愛に訊ねた。

「夕飯、何にしようか?」

 夕飯は必ず愛が食べたいものを作ることにしている。私にできる労りはそれくらい。娘に寂しい思いをさせていることに私は罪悪感を抱いている。それはこの子を身篭ったときから感じていたこと。私の贖罪。それが何なのかはわからない。償わなければならないことがあまりにも多すぎて、何から手をつければ良いのかわからない。私を憎み怨んでいる人がどれくらいいるのかと思うと怖い。私は怨まれても仕方がなかった。

でも、怨念の矛先が娘の愛に向かうのだけは防がなければならない。愛には関係のないことなのだから。愛は彼。愛は私の宝。だから私のような日陰の生き方はさせたくない。いつまでも輝きを失わない宝石のようでいてほしい。スーパーからの帰り道、日が沈む間際のオレンジに焼けた空に、父の写真を焼いていたときの母のあの顔を思い出した。

私はオレンジの光が嫌いだ。私にとってその色は悲しみであり、喜びを断ち切る色でしかなかった。大きな道路を逸れて路地に入る。つい今しがたまで聞こえていた車の騒音はピタリと止み、同時に長く伸びた家々の影が足元に覆い被さってきた。路地沿いの家々から、夕飯の支度の音が聴こえてくる。換気扇から外に押し出された料理の匂いに、自転車を漕ぐ足に力が入った。キリキリカリカリ車輪の擦れる音が次第に心地良く聴こえてくると、私は愛にその日あったことを訊ねた。

 

「今日は何をして遊んだの?」

「宿題やったあとでね、運動場でマコちゃんと遊んだ」

 マコちゃん。同じクラスの女の子。一年生になってからよく聞く名前。

「一緒にブランコしたんよ」

「愛ちゃん、マコちゃんと仲いいんだね」

 四国で育った愛は私とは違う言葉を使う。私もこの子と同じ頃は、同じ訛りで話すことができていた。

「児童クラブにはマコちゃんの他に同じクラスのお友だちはいないの?」

「名前知らんけど、何人かおるよ」

「その子たちとは遊ばなかったの?」

「うん。だってな、マコちゃん、ほかの子と遊んだら怒るんやもん」

 友達を他の子に取られたくないのだろう。寂しいのねきっと。一人っ子なのかしら?

「マコちゃんって兄弟は?」

「おらんよ。わたしとおんなじ一人っ子なんやって」

 ふぅん……。やっぱり一人で寂しいのね。ふと正門を出るとき校舎の窓から数人のお友達が手を振って見送ってくれていたのを思い出した。

「あ、さっきバイバイしてたお友だちの中にいた?」

「おらんかったよ」

「そう……」

 まだまだ母恋しい年頃だ、友達の方が自分より先に迎えにこられるのに良い気持ちはしないだろう。ましてやそれが仲の良い友達なら寂しさは一層募り、見送りたくないものだ。

「今日はママ二番やったよ」

 二番? あ、マコちゃん、今日は早くお迎えにきてもらったんだ。心もとない愛の説明でも彼女の言わんとすることは理解できた。

「そう。マコちゃんのお母さん、今日は早くお仕事終わったんだね」

「ちがうよぉ。おばあちゃんよ。マコちゃんなぁ、ママと一緒に住んでないんよ。いっつも、おばあちゃんよ」

 あら?

「一緒に住んでないって?」

「マコちゃんのママってな、遠くにお仕事行っとんよ。おばあちゃんがいいよったってマコちゃんいうた。なんかねぇ、マコちゃんって、ママ見たことないんやって」

 見たことないって? まさか、旦那と子供を捨てて他の男と逃げた? もしそうならお腹を痛めた子に愛情を感じないのかしら。私には考えられないわ。

「入学式のときもマコちゃんのママ、お仕事で出席できなかったのかなぁ?」

「マコちゃん、入学式のときお熱出てお休みしたんやって」

「あ、そうなんだ。マコちゃん、ママがお家にいないから寂しいだろうね。普段はおばあちゃんとパパの三人暮らしなのか……」

「パパもおらんのやって」

 え! 父親も……?

「じゃあ、おばあちゃんと二人暮らしなの?」

「おじいちゃんがおるんよ」

「お、おじいちゃん……」

 不意に亡くなった祖父の笑顔が思い浮かんだ。その祖父に寄り添うように母の笑顔も見える。私が言うのも変だけど、二人は娘の目からも本当に仲の良い親子だった。いつしか二人は私の理想の親子像になっていた。

「もしかしたらぁ、パパはきれいな女の人とおるんかもしれんのやって。でもね、ほんとうは見たことないけん知らんのよ。マコちゃんってな、いっつもウソつくんよ。でもねぇ、これはほんとなんやけど、マコちゃんのおじいちゃん、お酒飲んだらすごく怖いんやって。今ねぇ、マコちゃんのおばあちゃん、手ぇに包帯しとんよ。おじいちゃんがお酒飲んだときに怒って、おばあちゃんにキックしたら指が折れたんやって。ねぇねぇ、指折れたらもう治らんの?」

「お医者さんに診てもらって治療すれば治るよ。なんだか、マコちゃんちって複雑そうね」

 

 こういう話はまだその意味も知らない幼い子供の口からは聞きたくなかった。子供はいつも親の知らないところで、知らなくていいことを覚えてくる。男と女のことはまだ知ってほしくないのに。愛が保育園のとき、何人か親しくなったママ友の中にも、御主人が余所に女を作って離婚した人がいた。皆んな奥さんが妊娠中に会社の若い娘に手を出したと言っていた。離婚の原因は何も浮気だけでなく、中にはお酒による暴力もあった。

男は酒と女なしには生きられないのだろうか? 妻一人では満足できず、酒に頼らなければ素直になることもできないなんて、地に根を張らない水面を漂う浮き草のように、優柔不断な男を私は信用しない。結婚を経験しない私には、離婚を経験された人の気持ちはわからない。話を聞く限りでは結婚するより大変だというが、私はそのどちらも経験しないままに一生を終えるのだ。なるべくなら余計な苦労、自分が思い描いた人生の妨げになる物事とは関わりあいたくないものだ。

 マコちゃんのお母さんは男に人生を滅茶苦茶にされたのだろう。旦那に女がいたとしたら、旦那同様にその女をさぞかし恨んでいるはずだ。多分、マコちゃんの悲しい顔を見たとき、その煮えたぎる怨念は一層全身を蝕むはず。この怨念はいつまでつづくのだろう。恐らく生きている限り一生つづくだろう。マコちゃんのお母さんがどんな人なのかわからないけど、私は私と同じ生き方を選んだのかもしれないその人に同情する。

 ただ一つ違っているのは、私は娘から離れなかった。母が生きていたら私はどうだっただろう。そうだったとしても、私は子供を親に預けて余所で生きるなんてできなかっただろうな。私が今こうして仕事に打ち込めるのも、すぐ傍に愛がいるからだ。この子から離れて暮らすなんて考えられない。愛は私の生きる源。この子がいるから世間の風にも朽ちないで今日まで耐えてこられたのだから。

 

「愛ちゃんは良かったね。ママと一緒で」

「うん。マコちゃんって、赤ちゃんのときからパパもママもおらんかったやん。やから、ぜんぜん寂しくないんやって。もう慣れたんやって。それにな、毎日朝と夜に聖人様にお祈りしよるけん大丈夫なんやって」

「聖人様って?」

 あらやだ! 変な宗教してるんだわ。

「知らんけど、赤ちゃんのときからおばあちゃんと一緒にお祈りしよんよ。せんとバチがあたるけん、するんやって。でもねぇ、おじいちゃんは聖人様嫌いやけんせんのやって」

 

 マコちゃんのこの慣れは聞きたくなかった。意味もわからず面白がって話す愛が生き血の通わない冷酷な機械仕掛けの女の子に思えた。とても寂しい響きは夕闇に薄れゆく町並みに嫌な余韻を残した。マコちゃんが両親をどう思っているのかと思うと、今はもう親の立場を優先して考えてしまう私にはとても辛かった。

ふと保育園に愛を預けていた頃の光景が思い浮かんだ。愛は生後四ヶ月で預けた。私よりも確実に保母の先生方との触れ合いの方が長かった。もしや私よりも先生方を母親のように思っていたのではないか。先生方の前では飾らないありのままの姿を見せていたのではないか。そんな考えが過ぎった途端、頬が引きつり息が詰まった。

 

「あ、愛ちゃんは保育園のときどうだった? 愛ちゃんも赤ちゃんのときから保育園だったでしょ。ママが傍にいなくても平気だった?」

「わからん」

 

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