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【この感動を伝えたい】 その⑰ 八木商店著

 俺の尋問から逃げた坂上は、そうすることで全てを認めたのだ。

 それにしても坂上は一体何の用だったんだろう? 突然訳のわからない電話を寄越してきて、散々俺を憤慨させて電話を切ってしまった。

 俺は坂上と違い勤め人なんだぞ! 明日も朝早くに起きて出勤しなきゃなんないってのに。気配りが皆無なのは学生の頃から全く変ってないな。

 俺は不完全燃焼のままベッドに横になった。

 

 が、無理矢理睡眠で怒りを鎮めようとしても、おとなしく鎮まってくれるわけがなかった。俺はとうとう一睡もしないまま、朝を迎えることになった。

 気だるい身体を叩き起こして、毎朝乗ってる電車に乗り込んだ。大岡山から自由が丘までのほんの僅かな時間に、俺は坂上たちのことを思い浮かべていた。

 あいつらはこの先も年寄りを相手にしてれば金になると安易に考えている。自分の思い通りに未来がなればこれほど楽なものはない。社員や年寄りたちに夢を語る坂上には、すぐ先の未来が見えていないから夢が語れるのだろう。夢は所詮実体のない幻だ。形になろうがならまいが夢は夢でしかないのに。

 坂上の魂胆はわかっている。多分、行き遅れの愛ちゃんに結婚相手を紹介してやるからと、大量に健康器具を買わせたんだろう。勿論、保険のセールスで培った経験をフル活用させて顧客や身内にも売りつけさせたに違いない。結局、俺は愛ちゃんを利用するためのエサにされたんだ。あの日のコンパだって、その気でいたのは愛ちゃんだけだったしな。

 昨日の電話。あれは多分、愛ちゃんから話と違うじゃないかと文句言われて、仕方なく俺に電話したようにも思えなくもない。だから、俺と愛ちゃんを無理矢理くっつけようと、訳のわからないことを言いつづけたんだろう。

 愛ちゃんか…。

 これから愛ちゃんも坂上のように調子の良いことを言いまくって人を誑かすようになるんだろうなぁ…。御客様の足元を見て、煽てて利用するのは俺も得意な方だが、俺は坂上のような何の保証もない無防備な環境に身を置いて生きるのは御免だな。

 

 午後には、俺はすっかり爽快な気分になっていた。区役所を出て行く俺に、受付けのお姉さんはいつまでも笑顔を送ってくれた。

「おめでとうございます!」

「ありがとう」

 自分のことじゃなかったけど、受付けのお姉さんの「おめでとうございます!」というあの声の響きは感動を呼ぶものだった。

 

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