真似ごと と 想像

 海岸線沿いの電車、ベビーカーに乗った赤子の泣き声、忙しなく歩く人々の群れ、喧嘩別れしそうなカップル、陽の当たるベンチで談笑する老夫婦、駅前で恵まれない子供たちへの募金を呼びかける得体の知れぬ団体。
 私はごくありふれた日常のありふれた情景の中で、誰にも気づかれることなく、ましてや音を立てることもなく、静かに、ただ静かに、指先の方からゆっくりと解けてゆき、繊維よりも細かく柔らかなものとなった時、この世のありとあらゆる場所につながっていったのを強く感じた。

 もうどれくらいの時間が経ったのだろうか。体という名の器をなくした私は、長い時間をかけて擬似的に造られた目をゆっくりと開くと、青く煌びやかな光景があたり一面に広がっていた。そこにあるのは間違いなく海だった。
 そういえば、幼い頃に引っ越してしまった隣の家のあの子は今も元気にしているだろうか?朧げな記憶の中に生きているあの子は、当時から礼儀正しくて、明るくて、挨拶のしっかりできる子だった。だからきっとたくさんの人に囲まれて育っているのだろうな、と私とは正反対な人生を歩んでいることを少しだけ願った。長らく波に揺られ、遠くの、さらに遠くまで来てしまったからか、もう、あの子の名前もあの子の住んでいた家の屋根の色もすっかり忘れてしまった。けれど、なぜだかあの子の笑顔だけはついさっき見たかのように鮮明に思い出せる。人間の愛おしむというそれは、本当にどこまでも憎らしいな。

 波に揺られ、感覚の角という角が削れ落ち、いつしか丸みを帯びた頃、自分の背後から足音を立てずに近づいてくる不可視なものの存在になんとなく気がついていたが、見て見ぬ振りをし続けた。そんな時にふと空を見上げると、真っ暗な空を埋め尽くし、今にも零れ落ちてしまうのではないかと思うほどの満点の星空が見えた。
 もし、もしも、わたしの心の穴を塞ぐ全ての罪が清く正しい作法で赦されるとしたのなら、そして、ひとつだけ願いが叶うのなら、いちばん遠くで鈍く薄らとひかる星に生まれ変わりたい。それ以外には何もいらない。

 最期に見た光景のこと。
 美しいものを映していた目のようなものも役割を終え、靄がかかったかのように視界は濁り、やがて眩い光で覆われ、何ひとつとして捉えられなくなってしまった。
 そして迎えた終わりというものは本当に呆気なく、走馬灯を見たり、叶えられなかったあれこれを思い出すと聞いたことがあるが、実際はなんの前触れもなくテレビの電源がいきなり落ちるような、白光に染まりきっていた視界がオセロが裏返るかのように一瞬にして暗転した、そんな感覚だった。
 本当の最期、聞こえるはずもない音が耳元を掠めた。ノイズのような、雑音のような、けれど心地が良い。なんだろうか。わからない。でも、知っている。そう思い、わたしに残っている記憶の中を懸命に泳いだ。
 泳ぐ。およぐ。そうだ。この音はわたしをどこまでも運び続けた波の音だ。また、どこまでもわたしを運んでゆくのね。わたしの願いは叶うのかしら。