果て、ハテ、はて?


 僕らは薄いガラス玉のような存在なんだと思う。本当に些細なことで傷がつき、その傷は薄れることはあれど消えることはない。だからと言って透かして光を乱反射するほどの美しさはなく、年を重ねるごとに色はくすみ、いつしか何も映らなくなる。そんな仕組みをつくったのは一体誰だったっけ?思い出せやしない。きっと、いや、間違いなく、その仕組みを作り望んだのは紛れもない僕らなのだろう。そう、愚かな僕らなのだ。

 数年前、本当にこの世から姿を隠したかった時、一番に恐れていたことは「忘れられる」ことだった。誰かひとりでもいいからその記憶の中に生きていたいと強く願っていた。きっと、正しい愛がわからないまま歪んで育ったのが仇となったのだろう。ずっとずっと寂しいんだ。
 生まれてこの方、愛されたという実感がない。愛されたいと思っても欲した愛には到底及ばず、愛されたという証もない。その気持ちは今だって変わらない。そのくせ愛を受けると吐き気を催し、愛を感じなければただ虚しく寂しくなる。人肌に触れている時、心が通い合う時のみ、「あぁ、これが私の欲しかった温かいものなんだ」と実感するが、それにも寿命がある。至福の時間はあっという間に過ぎ、夢から醒めればそこにはいつもの寂しさのみが私に寄り添う。『あーあ、今日もまた寒くて、つまらない「きみ」だけが私に寄り添うのか』と深く傷つく。
 ずっと寂しい。愛が欲しい。私の足りない部分を満たしてくれる温かな愛が欲しい。愛で私を満たして欲しい。愛を教えて。

 先生、この寂しい気持ちや飢えた感覚はどうやったらなくすことが出来るのでしょうか?誰ならば私の心に大きく空いた風穴を埋められるのでしょうか?もう手遅れなのでしょうか?
 私ではこの大きな穴を縫い合わせることしかできないのに、つなぎ合わせる皮膚は余りなく、抉り取られてしまっている。もちろん、他のものを繋いで埋めようともしました。しかし、肝心の中身がないので、ただ空洞を作り上げるだけでした。
 恋人?友達?何でも埋まりません。なぜならひとときは消耗されてゆくから。歳を重ねるとそれを強く感じます。ひとときの寿命が短くなっていることも。人間特有の慣れというものです。
 だから私は遠くへ逃げたいのです。もう誰も触れられない場所へ、または誰かが私に触れ続ける場所へ。