アクター

 多分私はとても出来の悪い映画を飽きることなく何度も繰り返し見ているのだと思う。押し寄せるカタチのない演者の群衆は、律儀なシナリオには到底収まりきらず、生き地獄のような小さなこの場所でひしめき合い、蹴落とし合いながら、神が悪戯に振り分けて与える"役"を授かるために血眼になって縋ろうとしている。
 私はその光景をかなり近しいどこかで何度もそれはもう呆れるほど見たことがある気がしていた。しかし、記憶を掘り起こし思い出そうとするたびに起きる持病の発作は、大事な記憶の部分を音を立てることなくゆっくりと蝕んでゆく。急に全身の力が抜け落ち、両膝をつくと蝕まれた記憶に関連する出来事は頭から綺麗にこぼれ落ち、いつも蔑ろにされてしまう。そして、いつしか大切な手がかりであったはずの記憶の片鱗すら跡形もなく失い、体や記憶や心など生まれてから備わっているもの全てがこの場所に滲み出し、すっと溶け込んでしまう。とうの昔にあのシナリオからあぶれてしまった私はそんな明快な結末さえ知る事もなく、ただ明日が来ることを願い続けていた。
 ある時、私は希薄なピエロの役を与えられた。みんなが嫌がる役だからという淡白な理由でその役を喜んで引き受けることにした。私たちは顔もカタチもない役者だ。だから、どんなものにもどんな形にもなることができる。神は私の左胸に向かってを指差しながら、その役になり切るために必要なのは「万物を問うことなく欺き続けるということ」ただそれだけだと告げた。私はこの世のどんな残酷な刑罰よりも酷く哀しいこの業を背負わせれた。しかしそれについて憐んでいる暇はなく、一刻も早く役を体に落とし込み使命を果たさねばならない。他人だけでなく自分すらも欺き通さねばならないというこの役は、例え、大切に思う君の体が大人になっても喜ぶことはなく、君が誰かと恋に落ちても慕うことはなく、君のお腹が大きくなっても妬むことはない。だから、君が死んだとしても私は悲しむことはないから涙を流す事もない。
 私がこの業から逃れる方法は「正しい手順で役割を終えること」たったひとつしかなく、自ら終わりを選ぶことのできない私たちにしてみれば、処刑を宣告された囚人が刑が執行されるのをひたすらに待ち続けるのと同じだった。業に従わなければいけないこの世界では予め用意された道なりに沿い、記された通りに終わりを迎えなければいけない。だから私は、私の中で絶えず呼吸を繰り返し、鼓動を響かせている君という存在をこの手で殺さねばならない。例え、正しい結末迎えてやっとの思いで死を受け入れたとしても、私が君を殺したという罪は決して赦されることではなく、それを我が子のように大切に抱えなていかなければならない。そんなことなら私は生まれ変わろうだなんて思わない。
 仕組まれた運命を辿る私は、心の原動力である感情重く頑丈な蓋をし、重石を乗せて決して外へ出ないようにするがそれでも力尽くで蓋を押し上げて飛び出しそうとする。その度にピエロなら誰でも持っている切れ味の鋭い小さなナイフを左手にしっかりと握り、右の手のひらに向かって勢いよく力の限り突き立てた。遠くから感情の波が押し寄せ、涙が出そうになる度に力の限り思いっきり舌を噛んだ。そんなことを繰り返しているうちに心に大きな空洞ができていたことに気がつく。その時、その瞬間が君の全ての始まりであり、私の終着点であり、そして、すれ違っていたことに初めて気がつき、もう取り戻しようもないほどに草臥れてしまったことを知るのだ。
 もうすぐ役目を終える私の最期のお願いをきいて欲しい。偽物でもいいから、母のような温もりを纏って私を優しく抱きしめて欲しい。慰めにならなくてもいいから、全てを投げ捨てたこの手に、なにひとつ掴むことができなかったこの左手に優しくキスをしてほしい。そして、もう目が覚めることがないように、どこまでも安らかに眠れるように子守唄を歌って欲しい。