やっと辿り着いた夜

ひとたび文字にすると大事なもの全てが形あるものに引っ張られ、余韻が消えてしまうような気がして中々書けない。
そう、私はついに柳原さんの歌に再会した。

日常の階段を少し下りた所に広がる大人たちの夢の世界。
初めて訪れた南青山MANDALAは、素晴らしいライブハウスだった。
どこに座ってもステージが観やすいようになっているし、荷物を入れるカゴもいくつか用意されている。
お酒も食事も美味しくてライブの前から気持ちが高揚する。スタッフの方々の気配りも素晴らしい。上質な空間は、素敵な人たちの支えによって作られているのだとつくづく思う。

照明が暗くなりしばらくすると柳原さんがステージに現れ、小さな声で夢の始まりを告げる。
私は静かに興奮していた。本物の柳原さんだ!小さな私を広い世界へと連れ出してくれた救世主が今、私の目の前に…
やさしく、あたたかく、伸びやかな歌声が薄暗がりの会場に響き渡り、夢の幕が開けた。

ライブ中は楽しそうに笑っている人、感激して泣いている人、ジッとステージを見つめている人、一緒に口ずさんでいる人、様々だった。
たまたま同じ空間に集まった人たちにはそれぞれ別の暮らしがあって、淡々と生きている人もいれば難しい問題を抱えている人、誰かを好きでたまらない人や宝物が見つからない人、皆何らかの想いを抱きながら柳原さんの歌声を浴びに来たのだ。
そんな一夜限り、一期一会の光景を目にした私は終始胸が熱くなりっぱなしだった。

ライブハウスではオリオンビールが売られていたので、これは!と思ったけれど、まさか2曲目で来るとは思わなかった。
『オリオンビールの唄』
イントロ2音で気付いた私は、この曲を愛してやまない姉にアイコンタクトを送るが、MANDALAアツアツ特製ポテトに夢中で気付いちゃいなかった。※そんなメニュー名ではない
幼い私が聴いていた当時(30年以上前)、この歌は誰かの心の叫びなのかと勝手に思っていた。
もちろんその頃の私はご本人が悩んでいることも苦しんでいることも知らなかったけれど、「僕も連れてって」とか「僕らは渦の中」という歌詞や、子どもにもなんとなく悲しいとわかるメロディーに、寂しいけどいい歌だなあとずっと思っていた。
大人になることへの不安を拭えなかったあの頃の私に自由を教えてくれた柳原さんは、代わりにとても不自由な世界でもがいていたんじゃないかと思う。
自分自身と作品が意図しない形で世間に扱われることは、どんなに苦痛だったろうか。
ご本人もMCで、反抗心で如何に下らない歌を作るかを考えていたとか、たまを脱退してソロになった頃は、戻れないし進めないし苦しい状態だったと仰っていた。

私は柳原さんの作る歌が大好きで、私の音の好みは柳原さんが原点だと言い切れる。
音楽家にとって軽薄だとしても『とこやはどこや』も私にとっては思い出深い特別な曲だ。
夏休みの家族旅行、渋滞にはまった車中で姉と何度もたまの歌を熱唱したっけ。
小学生が明るく楽しく「静かに老後を送りたい〜」だなんて、やなちゃんにしか生み出せないシュールでハッピーな光景だと思う。

柳原さんはライブの最後に「心を込めて歌っているつもりなので、これからもついてきてください」と言った。
その言葉通り、人が心を込めたものは必ず相手に伝わって届くんだということを実感したし、自分の心のアンテナが正しく機能していることに安堵した。

不自由な時を経て大人になった柳原さんは、色っぽくて、お茶目で、どこまでも自由に見えた。

南青山MANDALA 30周年おめでとうございます!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?