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カブトガニから採血

毎年春になると、産卵のため米大西洋沿いの砂浜に上陸する何十万匹というアメリカカブトガニ(Limulus polyphemus)。何億年もの間ほぼ姿を変えていないカブトガニは、カニよりもクモやサソリに近く、2つの複眼と7つの単眼、計9つの目を持っている。医学研究者フレッド・バングは1956年、カブトガニの血液がエンドトキシン(グラム陰性菌の細胞壁に存在する毒素)と反応すると、その血球であるアメボサイト(変形細胞)が凝固して塊になることを発見。科学者たちは、アメボサイトの溶解物を医薬品やワクチンの検査に用いる方法を開発し、1977年にはアメリカ食品医薬品局(FDA)がこの目的でライセートを使用することを認可。製薬会社にとってカブトガニは、医薬品の安全を確保するために必須の資源となった。カブトガニの青白い血液(酸素を運搬するたんぱく質・ヘモシアニンに含まれる銅が酸素に触れると青色になる)から得られるライセート試薬は、エンドトキシンを検出できる唯一の天然資源。エンドトキシンは、微量でも血中に入ることで、発熱などの種々の生体反応を引き起こす。そのため、注射剤や医療器具などの製造では、エンドトキシン試験を行うことが不可欠となっている。

米国では、マサチューセッツ州に本拠地を置くチャールズ・リバー・ラボラトリーズやアソシエイツ・オブ・ケープコッド(生化学工業の子会社)などがライセートを製造している。毎年5月になると製薬会社は、およそ50万匹のカブトガニを捕獲し、心臓付近の血管から血液を採取したのち海に返す。製薬会社は、血液を採取したカブトガニのうち死ぬのは3%のみと主張していたが、独立した研究によると、その10倍の30%に達する可能性が示唆されている。2016年には、ライセートの代替品として合成物質「リコンビナントC因子(rFC)」が開発され、ヨーロッパで認可されたのち、米国でもいくつかの製薬会社が利用し始めた。しかし、2020年6月1日、米国内の医薬品等の科学的基準を定める米国薬局方(USP)は、安全性が証明されていないとしてrFCをライセートと同等には扱わないとした。そのため、注射剤などを米国で販売する場合は、ライセートを使用する必要がある。カブトガニから得られる血液は、1ガロン(約3.8リットル)あたり6万ドル(約640万円)になる(2020年時点)。

環境保護活動家たちは、カブトガニの卵を必須の食物源とする生物への影響を危惧している。米大西洋岸にあるデラウェア湾では、シマスズキやヒラメなどが大きく減少。コオバシギやキョウジョシギといった渡り鳥も減っている。日本でも、瀬戸内海や九州北部一帯の沿岸に広く分布していたカブトガニ(Tachypleus tridentatus)が、海岸地帯の開発による砂浜や干潟などの減少で絶滅の危機に立たされている。カブトガニには、アメリカ大陸東海岸に生息するLimulus polyphemusと、東南アジアのTachypleus tridentatusの二種類があり、Limulus polyphemusの血球抽出物から調製されるライセート試薬をLimulus Amebocyte Lysate(LAL)、Tachypleus tridentatusからの試薬をTachypleus Amebocyte Lysate(TAL)と読んでいる。

※ 見出し画像にはPixabayのフリー素材を利用しています。

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