長山.ネズミの交換小説『恋愛』

 ■筆:長山

 久しぶりに立ち上がった気がする。剛田力也はとっくに空になっていた紙コップを持つと身体を回した。アニメで石像が動く時みたいな音をたてて腰が鳴る。

いつからここにいただろう。

「クエストクリア」と表示されたスクリーンを背中にフラットシートの部屋を後にするとドリンクバーに向かった。

ここネットカフェサムライ道のドリンクバーは毎度唸るほど良い。

サムライ道という男勝りな名前とは裏腹に、充実した飲み物はもちろんのこと、「バニラ」、「チョコ」、「ストロベリー」のソフトクリームのデザートが完備、おまけに手作りワッフルまで楽しめる親切設計だ。

そのため今年で30になる力也は片道1時間半もかけてオンラインゲームをやりにここまで足を運んでいるわけである。

しかしこのドリンクバーには落ち着き過ぎてしまうという欠点もある。

ゲームに没頭している時は忘れられていた、自分が無職スネかじり不潔ゲーマー(三十路)という現実を思い出させてしまう。

小、中、校と友達0のエリート陰キャラを続けてきた力也にとって、コミュニケーション必須の社会というのは少々光が強すぎる。

少し前までは何かあったのだろうと気の毒に思ってくれていた両親も、三十路がチラつくにつれて風当たりがきつくなってきた。家のパソコンではなく外のパソコンを使う理由はそこにもある。

ただ勘違いしないで欲しいのは学生時代イジメがあったとかそういうわけではなく、ただ真っ直ぐニートになった、ということだ。従って両親が気に掛ける必要は全くない、1万対0でこちらが悪い、もちろんそんな事伝えたことはないのだが。

そんな自分でも耳が痛い話に思いを巡らせているとコーンスープが注ぎ終わったことを伝えるランプが光った。

別のカップにバニラを巻くと右手に冷、左手に温の決まりの装備で我が城に戻る。両手はふさがっているがいつものようにつま先でひょいと扉を動かすとカラカラと音をたてて道を開けてくれた。

 クエストクリアと書かれていたスクリーンはプレイヤー達の集まる集会所の画面に戻っていた。ここではクエストの受注やアイテムの売買、パーティへの招待を行うことができる。

自分の体の一部であるマウスを操作してキャラを動かしているとチャットが届いたことを知らせるポストのアイコンが光った。

「私のクエストを手伝っていただけないでしょうか」

短く書かれたパーティへの招待を見て力也はバニラを這わせていた舌を止め驚いた。

力也の操るレジェンドレベルの竜使い、通称白銀のジンは、このゲームではそこそこ名の通ったプレイヤーではあるが、力也の憧れていた無口なキザ男のキャラを演じていたために、いよいよ本当に一人ぼっちになってしまっていたからである。

それに文章冒頭にある「わたし」の文字。

気が早いのは百も承知だが、異性からの人生初のお誘いの可能性に天を仰いだ。

話を聞くとどうやら他にメンバーはおらず、2人だけのようだ。二分ほど言葉を選んで「いいだろう」と返した。

 白銀のジンの手によってあっけなく倒れたドラゴンとの戦闘だったが、チームメイトであるネギ娘から戦闘中に送られてくる

「凄い!」「かっこいい!」「頼りになる!」

という言葉に心躍り、まるで遊園地のメリーゴーランドで一緒のお馬さんに乗っているかのような昂揚感を覚えた。もちろんしたことはないが。

その後もいくつかのクエストをこなしながらアベックであるかのようにたくさんの言葉を交わした。

人生でチャットとはいえ家族以外の人間とここまで仲良く話せたことに力也は瞼を熱くし、この人だったら現実でも仲良くなれるのではとすら思ってしまった。

しかし「そろそろログアウトします」の言葉で目が覚めた。

そうこれはたかがゲームの中、現実は彼女どころか友達一人いない三十路ニートだ。

幻だったと自分に言い聞かせる。

ネギ娘は続けて言った。

「ネカフェのパック時間切れちゃうのでまた!因みに私がよく使っているここ、ドリンクバーにワッフルとかついてておすすめです、サムライ道ってところなんですけど、都内住みなら是非(^з^)」

力也は空の紙コップを握っていた。

■筆:ネズミ

ネギ娘が、この店に、いる。

力也は気がつくと空の紙コップを握りしめ、ドリンクバーへと向かっていた。

もう店を出るということは、奴は必ず最後にドリンクバーに現れるはずだ。その機会を逃すわけにはいかない。

力也は次第に速足になっていく。

よし、この角を曲がればドリンクバー。いつも当たり前に通っている道のりがこんなにも長く遠く感じられたのは初めてこの店を利用したとき以来だ。

深く息を吸い込み、最後の角を曲がる。

ネギ娘、居てくれ、いややっぱり居ないでくれ。

二人の自分を胸に飼い慣らしながらドリンクバーに目を遣る。

誰もいない。

くそ、逃がしたか。

力也は目の前がまっしろになった。

「あの、すみません」

コーヒーマシンの前で肩を落とす力也に一人の女性が声を掛けた。

「は、はい!」

慌てて振り返る力也。

「すみません、使わないならそこどいてもらえます?」

50歳くらいの妙にブランド品で着飾った小太りなマダムが不機嫌そうに力也を睨み付ける。

「すみません」

空の紙コップを握りしめたまま、力也はドリンクバーを後にした。

気がつくと力也は自らの基地で天を仰いでいた。

はぁ、ネギ娘居なかったなぁ。そりゃそうか、そもそも帰り際にドリンクバーに寄るのはあくまでもおれの個人的なルーティーン、みんながみんなそうするわけでもないよな。ていうかなんだよあのおばさん、あんな格好で金持ちアピールしたいならこんな店来てんじゃねぇよ。ったく、おれはネギ娘に会いたかったのに、あれじゃネギ娘どころか、いもババアじゃねぇかよ。…ってあれ?あいつがネギ娘じゃないって証拠って…なくね?

縁起でもない想像のせいで、力也の肌という肌が鳥肌へと姿を変えていく。

待て待て待て、探せ。あのババアがネギ娘ではないという証拠を。どこかに何かヒントはないか。卓上のマウスパッドにふと目を向ける。

『サムライ道 武蔵小杉店』

たしかネギ娘は…

微かな希望を信じ、ネギ娘とのチャットを見返す。

「ネカフェのパック時間切れちゃうのでまた!因みに私がよく使っているここ、ドリンクバーにワッフルとかついてておすすめです、サムライ道ってところなんですけど、都内住みなら是非(^з^)」

ビンゴだ。

ネギ娘は「都内住みなら」と言っている。ネギ娘はサムライ道が東京都以外で唯一、武蔵小杉に店を構えていることを知らない。つまり…

ネギ娘は武蔵小杉店を利用していない。

おれの勝ちだ。あのいもババアはネギ娘ではない。あれは正真正銘、紛れもないいもババア。ネギ娘とは程遠い存在。なぜなら、ネギ娘はこの店には、そしてこの街にはいないのだから。

「おれの勝ちだ」

力也は力強くガッツポーズをした。

しかし、その数秒後、その拳をテーブルに叩きつけ、力也は残酷な現実を嘆くのであった。

■筆:長山

「―――振出しじゃん」

会えたからどうなったかもわからない未来に一喜一憂して、不都合な事が起きれば怒り、そんな事がないとわかれば安堵する。大きい子供じゃないか。

現状は何も変わっていない。

何を想像した?仮に某動画で毎日のようにお相手してもらっているような美女が出てきたからどうなる。

剛田力也という力強い名前とは裏腹に、枯れ木のような細い身体、生命力のない顔からだらしなく長い髪が伸びている。病弱な父が強くなれと願いをこめてつけてくれた名前らしいが、願い虚しく悪いところだけを父から受け継いだ小もやしだ。そんな私が

「竜使いのジンです」

と伝えたところで、キモい死ねで一蹴だろう。力也は力なく肩を落とした。

「俺このままずっとこれでいいのかよ」

力也は身支度を整えながら誰に質問するわけでもなく空に声を投げた。

アルバイトの大学生であろう若い店員のぶっきらぼうなありがとうございましたを聞きながら釣りを貰うと、サムライ道を後にした。

いつもならパック料金ギリギリまでいるところだが今日はどうもそんな気分にはなれず2時間ほど時間を残して帰路についた。

家に帰るのには少し早い。

「こんなとこあったけか」

古ぼけた看板に『かふぇ 赤とんぼ』と書いてある。窓の外から木目調の寂れた店内が見える。いつもは陽が落ちてから通っていた道だから気づかなかったんだろうか。

力也は何故だか吸い込まれるように赤とんぼの扉を押していた。

「好きなとこどうぞ」

カウンターの奥に、タバコに火をつけたショートカットのおばさんが、悪びれもなくゆっくりと煙を吐き出して言った。恐らく店主であろう。

中は少しだけ広い。

五席のカウンターを背にすると正面に四つ四人掛けのテーブルが置かれている。

どうやら自分しか居ないようだったので力也は一番手前のテーブルに腰掛けた。

「何にするかい?」

小さなグラスに注がれた冷たそうな水を置きながら店主が聞いた。パーマのかかった茶色く染めた髪に少し白髪が混じっている。つり目が少し怖いが小奇麗にしている。ドリンクバーのあいつと世代こそ被りそうだがこっちのがいい。

「見とれてるんじゃないよ」

力也ははっとして勢いで普段は飲まないアイスコーヒーを注文した。

カウンターの隅には古い振り子時計が置かれていて、カチッカチッとゆっくりと心地よい音を響かせている。カフェなんて洒落た物自分には合わないと思って遠ざけていたがここは酷く落ち着いた。

すぐにアイスコーヒーが届けられた。一緒に置かれた小さな銀の入れ物に入ったミルクを全てコーヒーに注いで一口飲むと、少しまだ苦かったが悪くなかった。

「いい店だなあ」

心で思うはずだったが声が漏れていた。カウンターまで聞こえていたのだろう、店主は少し笑って礼を言うとまた煙を吐きながら言った。

「でも今日で店じまいなんだよね、ここ」

「今日で?」

予想もしてない返答に高い声が出てしまった。

「そ、まあちょっと他に始めたい事があってね」

「そうですか」

「あんた今その歳で?って思ったろ」

「いやそんな」

力也は少し心の中を見透かされたような気がして背筋を正した。

「冗談だよ。それに最後にいい店って言ってくれるお客さんが来てくれたからこの店に悔い無しよ」

煙を空気に溶かしながら店主はこっちを見ずに続けてて言った。

「でも何事も行動しないと分からない事ばっかりだよ、あんたも何か迷ってることがあるんならやってみなよ、後悔する前に。かふぇ赤とんぼオーナーさとみからの最後のアドバイスだ」

「あ、ありがとうございます」

力也は残りのアイスコーヒーを飲み干して会計を済ますと外に出た。振り返るとさとみおばさんは扉が閉まるその瞬間まで深々と頭を下げていた。

かっこ良かった。

力也は突き動かされるように少し遅くまでやっている地元の散髪店に入り髪を整えた。

家に帰ると両親と顔も合わせず部屋に戻った。

「意味がないのは分かってる」

力也はそう呟きながら検索エンジンに「サムライ道 都内店舗」と書き入れた。

■筆:ネズミ

「サムライ道」という難解なカナと漢字の組み合わせも予測変換で一発でクリアした。インターネット、文明の利器。

その文明の利器が今、力也の恋の検索結果を表示する。

「サムライ道店舗一覧」

青く光るその文字を睨みつけながら矢印を合わせる。

左人差し指に強く力を入れる。

画面が切り替わり、サムライ道の店舗一覧が表示される。

ページの下端に目を遣ると、16店舗と書いてある。

力也の行きつけの武蔵小杉店を除き、全部で15店舗ある。

「詰んだ」

力也は気がつくとそう声を漏らしていた。

オンラインゲームで不利になった際、いつも力也はそう呟く。

いつも「詰んだ」と声に出してからは本当に運にも見放され、ものの数秒でゲームオーバーになる。

しかし今日の力也は違った。

店主の言葉が頭の中に響く。

『迷ってることがあるんならやってみなよ、後悔する前に』

「まだだ、まだ詰んでない」

今度は意識して声に出してみた。

これまで何があっても変わろうとしなかった力也が今、自分の意思で変わろうとしているのだ。

ここでつまずくなんてことあるわけない。

そんなゲーム誰もやらない。

主人公はいつだって逆境に立ち向かい勝利を手にするのだ。

パソコンの画面を隅から隅まで見渡した。

どこかに、なにか、希望があるはずだ。

「サービス一覧」

なぜだろう、その文字だけページのレイアウトと協調性を持たずに金色に光り輝いている。

いや、違う。金色に輝いて見えているだけだ。

人差し指に強く力を込める。

カラオケ、ダーツ、ビリヤード、スロット

様々なサービスがあるものだ。武蔵小杉店にカラオケなんかあっただろうか。

シャワー室、ドリンクバー、ワッフルマシン(一部店舗のみ)

一、部、店、舗、の、み

「ほらね、やっぱりあった。」

クールを装いそう呟いたが、内心は興奮と感動と緊張でキャパオーバーだった。

もう一度店舗一覧に戻る。

店舗名の隣に見たことのない記号のような異世界の文字が並んでいる。

さっきは読めなかった。でも今なら読める。

これは各種サービスの有無を表す記号だ。

そしてワッフルマシンを表す、茶色い四角にWの記号。

そのマークが記されている店舗は、武蔵小杉店、そして、吉祥寺店、、、

のみだった。

ネギ娘は吉祥寺店にいる。

力也は無意識に呟いていた。

「勝った」

■筆:長山

時間が経っていた。

力也はあの『決意の日』から吉祥寺店に通い続けている。もう二枚ほど月のカレンダーをめくっただろう。

受付で聞かれていたグラスの種類も今では何も言わずに力也に合わせてホットのグラスを、いつもお願いしていたブランケットは二枚という力也のお約束も、頼まずともカゴに入れてくれるようになったほどだ。

愛想の良い女性店員が言ってくれる「ありがとうございます」が、「いつもありがとうございます」に変わった変化を力也は密かに楽しんでいた。

しかし肝心な事だが、進展がない。

ほぼ毎日のようにこの長い期間サムライ道に通っているのだから、何日かネギ娘と被っていてもおかしくない。

だがこの個室だらけの空間で、顔も声も本当の名前も知らない人間に出会うのはまだ難しかった。

自分の意思で髪を切り、ウニクロ?で服を買い、タウンワーク雑誌を持って帰ったのは力也にとっては歴史的大きな進展といえるが、世間的にはどうやら『通常』らしい。

リビングに置きっぱなしにしたタウンワークを母が見たらしく、自分の部屋まで感動ですすり泣く声が聞こえてきた時は、我ながら情けなかった。

それでも希望が断たれたわけではない。

その証拠にあの日からネギ娘とよく二人でクエストに行くようになった。力也が心の中で勝手にデートと呼んでいるそれは、今では力也にとっての支えで、全てだった。

先日起きた幸せ事件は忘れもしない。

Sランクモンスターから落ちたレアアイテムをその場で譲ると

「本当にいいんですか(;_:)ありがとうございますもう大好きです!!」

と書かれた文章をネギ娘から受け取り、歓喜し、言わずもがなスクリーンショットののち、力也のスマートフォンの表紙を飾ることになった。

目を閉じ胸に手をあてて、初めてネギ娘と出会ったクエスト終わり、フレンド申請を臆することなくすることができた自分に賞賛を送った。

あの日の思い出を頭の中でリピートしていると、隣の個室が開く音がした。

「先入って」

「荷物置いたらワッフル作りにいこお」

「そうだねアイス乗せちゃおっか」

「わあてんさーい」

きゃっきゃうふふする男女の声だ。アベックが利用することは何も珍しいことではないが、少し声がでかい。

昔の力也であればツイッターに文字数いっぱいの文句ツイートを垂れ流すところであるが、今は違う。

何度もデートを重ねたネギ娘という存在が力也を強くしていたのだ。

隣の個室の扉を叩いて待ち受け画面を見せてやろうかとも思ったが、大人げないのでポケットから少し引っ張り出したスマートフォンを再び中に押し込んだ。

まだログインしていないネギ娘を待つ間、力也は簡単なクエストをこなして時間を潰すことにした。騒がしいワッフル男女がどうやら帰ってきたようだがゲームに集中していれば問題ないだろう。

しかしそう思っていた矢先、辛辣な言葉が力也の耳に刺さった。マウスから手を離し、前を向いたまま意識はワッフル男女の方に飛ばす。

「もうやめてあげなってえ」

「楽しいんだから仕方ないだろ、杏奈もいつも笑ってるじゃん」

「そうだけどさー」

「だってこいつ多分俺に恋してるぜ?俺が男ってことも知らずにさー」

「ネカマとか悪趣味だよ―」

―――全身の血が冷たくなるように感じた。

ネットおかまを略したその言葉を、毎日パソコンを触る力也が知らないはずがなかった。

そんなものに引っかかるやつがまだいるのかと、ずっとバカにしてきた力也だったが、この状態、このサムライ道吉祥寺店という場所で、自分に置き換えずにはいられなかった。

ネギ娘、俺はどれだけ彼女、いやその人の事を知っている?

頭の中をぐるぐるとその情報が駆け巡り、毛穴という毛穴から汗が噴き出しているのがわかる。

力也は気が付くと荷物を持ってレジで会計をしていた。

「俺が男ってことも知らずにさー」

あの言葉が今言われているかのようにこだまする。ネギ娘があいつと決まったわけではないが、全てを奪われた、そんな感覚に陥った。

帰りの自動ドアをくぐろうとすると

「もうお帰りですか?」

そんな言葉を背中で聞いた。自分に言ってるとは思えなかったが後ろを確認するとその人と目が合った。

チェックのシャツに可愛らしい白の長いスカートを合わせているが、無論力也にちゃんとした女性の知り合いなどいないので、恐らくアホな顔をして首をかしげた。

不思議そうにする力也を見て察したのか、彼女は肩まで伸びた髪を片手でまとめてアップにした後、持っていた緑のエプロンを胸にあてて言った。

「あ、あの、いつもありがとうございます」

「あ、ああっ」

その言葉でピンときた。店員の時の装いと可愛らしい私服のギャップが大きく気づけなかった。どうも、と頼りない返事をすると彼女は続けて言った。

「今バイトあがったんです、いきなりこんな格好で声かけてすみません。元気なさそうですね、おせっかいかもしれませんが元気が出るお店紹介しましょうか?お鍋のお店なんですけど」

黙っているのを肯定と受け取ったのか彼女は続けて言った。

「すぐ近くのお店なんですけど美味しいんですよー、特に、あそこのネギが」

■筆:ネズミ

「ネギ!!!!????」

自分でもびっくりするくらいにすっとんきょうな声色だった。

「あ、もしかしてネギ、苦手でした?」

困惑し気を遣う彼女を見て力也はなんとか正気に戻った。

「い、いえ、大好きです!」

フォローのつもりであえて強い表現を選んだが、正直そこまで好きでもない。というよりこれまであまりネギのことを好きか嫌いか考えたこともなかった。無論、ネギ娘のことは連日連夜考え続けていたが。

「よかった。私も大好きなんです!」

一瞬驚き、すぐに落ち着いた。そうだ、今はネギの話をしている。

今会話している相手がネギが好きだというだけだ。そんなことはどうだっていい。今自分がすべきことはなんだ?この子の正体がネギ娘かどうか見定めることじゃないのか?しかしどうやって?

「あ、あの」

力也はたゆんだピアノ線のような声を発した。

「あ、あの、ネギ…」

続きが出てこない。頭にはくっきりと浮かんでいる「娘」という単語がどうしても口から出てこない。

違ったらどうしよう、仮に当たってたとしてもどうしよう。

力也は石橋を叩いて叩いて、完全に安全が確保され、その上で誰かが先に渡ってるのを見てからようやく渡るタイプだ。こんな大勝負に出られるはずがない。

「あ、あの、ネギ、いつ頃からお好きなんですか?」

聞いたことのない質問が自分の口から飛び出した。自分でも笑ってしまうかと思った。もしかしたら後半笑っていたかもしれない。

だとしたら最悪だ。意味のわからない質問をニヤニヤしながら聞いてくる三十路のオタク。新種の妖怪じゃないか。

「ふふっ、なんですかその質問!」

笑ってる!!!

気持ち悪がられていない!!!むしろ、笑ってる!!!

「ちゃんとはわからないですけど、割りと最近だと思います!子どもの頃はあんまり好きじゃなかったんですけど、いつの間にか嫌じゃなくなってて、最近好きって思うようになりました!」

めちゃめちゃ答えてくれるじゃん!!!

こんな気持ち悪い質問に!!!

変な話だけど、結果的に質問してよかった!!!

人生で一番のファインプレーだ!!!

店員は続けた。

「でもなんか、好きとか嫌いとか考えたことなかった期間が長かった気もします。で、あるときふと好きなことに気づいた、って感じです!」

力也の心の声が丸聞こえかのような発言に力也は頬を赤らめた。

「あの…」

店員が力也の顔を覗き込み続けた。

「ほんとうにそれですか?」

「え?」

「ネギ、のあとに言おうとしてたの、ほんとうにそれですか?」

「え…」

「ほんとうは違うこと聞こうしてたんじゃないですか?」

「え…」

「わたし、ネギ娘です!」

「え!」

「白銀のジンさんですよね?」

「えー!!!!!!!!!」

■筆:長山

「そりゃあ私の若い頃よ?なんでもできたに決まってるじゃない」

当たり前、といったような顔で片方の眉をあげ、さとみは口の端から細い煙を吐いた。

世間は本当に狭い。

「上司の誘いは無下にするべからず」

前に、会社員になったからにはこれが普通だと自分に言い聞かせ、2件3件と慣れないお酒と戦いながら、千鳥足で到着したのはここ「さとみスナック」だった。

さとみスナックでは菓子感が強いだろ、といったツッコミはそこのママの顔を見た瞬間引っ込んだ。

「あら、大人になったじゃない」

力也は目頭を熱くした。

話した時間でいえばものの5分ぐらいなのに、勝手に恩人と語っているその人だったからだ。

『迷ってることがあるんならやってみなよ、後悔する前に』

この言葉にどれだけ救われた事か、そしてなによりさとみは力也の事を覚えてくれていた。

「あんなの気持ちよく歌わせとけばいいのよ」

そう言ってさとみは上司に芋焼酎を注ぎながら、何か歌ってよ、とねだって見せた。

何故だかいつもより色っぽく見えたさとみからのお願いに、上司はご機嫌に知らない演歌を熱唱し、適当に僕らは相づちを入れた。

「酔っぱらってるから大丈夫よ」

なんて言うもんだから力也は

「よっ、次長!」

と部長に、本来の役職より低いポストで相づちをいれたが、部長は

「俺についてこーい」

なんてまたご機嫌になるもんだから二人で肩を揺らして笑った。

「やっぱりさとみさんは凄いな」

カラオケに夢中な部長の背中で力也はこれまでの事をさとみに話した。

それからというもの、何かあればこうやって一人でもさとみスナックに足を運ぶようになったというわけだ。

カウンターの奥では最近手伝いで働きに来てくれてるという、ブランド品で着飾った小太りなマダムが他のお客を対応してくれている。

「それで、今日はまたあの上司の愚痴?」

「いえ、実は今日は、結婚のご挨拶で」

さとみのこんなに目を丸くした顔は初めてだったので、なんかしてやった気がして嬉しかった。

カランコロン。

「来た来た」

「あら」

ここであってる?なんていう不安そうな顔をしていた彼女だったが力也を見つけて分かりやすく表情を明るくした。

「随分上物を捕まえたじゃない」


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「我ながら頑張った、よく見たらいかしてる顔じゃないか」と、便器の中の水面に映る自分にウインクしてみせた。

次の瞬間、腹の奥から押し寄せた軍勢によって水面の自分は異臭とともに見えなくなった。

「ちょっと、本当に大丈夫?」

力也の新婦として結婚式でともに時間を過ごしたさつきは力也の背中を擦りながら、心配そうに声をかけてくれている。

「アヤメはなんでそんなに大丈夫なの」

恐らく同じぐらいの酒を飲んでいたであろうアヤメを不思議に思いながら第二の波を便所に流した。

途方もないローンと引き換えに手に入れた「剛田」という表札を掲げた我が城は、とても居心地が良かった。

サムライ道のフラットシートを城とほざいていたあの頃の自分が今のこの姿を見たら、泡を吹いて倒れてキーボードを水没させ余計な金を払う事になっていたであろう。

「なんかあのお店思い出すね」

「もうその話はよしてくれ」

「なんでよ私たちが初めて現実世界で認知しあって行ったお店の思い出だよ?」

「緊張で全然火の通ってない鶏肉食べて、その日のネギ全部戻したのが良い思い出か?ネギの味も覚えてないし、もっと格好つけたかったよ」

「何言ってんの可愛かったじゃない。あなたがおっちょこちょいだったおかげで白銀のジンって気づけたわけだし」

確かに。サムライ道店員だったアヤメがログアウトし忘れた力也の個室を掃除しなければ、我々が繋がることなんてなかった。

「ていうか、白銀のジンって、なによ」

アヤメは擦っていた手で今度は頭を叩きながら笑いだした。

「勘弁してくれ、自分で出した物とはいえ、こいつで洗顔は勘弁してくれ!」

慌てた力也の声を聞いて更にアヤメは笑ったが今度は後ろに倒れながらだったので命拾いした。ひーひーといった声を落ち着けてからアヤメは「そうだ」と言って力也の隣に水を置いて立ち上がり、奥の部屋に消えていった。

しばらくすると力也の携帯が光り、見てみるとゲームを通したチャットがネギ娘から届いていた。

ネギ娘「ドラゴンを倒せないのです助けてください(+_+)」

あれからネギ娘は相当レベルが上がっているため、そんな事はないのだろうが

「いいだろう」

と返して、相変わらずの待ち受けのスマホを閉じた。


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