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周囲からの評価について


インスタは投稿文書いてる間バックで音楽流せなくなった!!やめだやめだ〜〜!!

んで突然なんだって話ですが、
椎名林檎さんの曲で「ありあまる富」って曲あるじゃないですか、私はその曲に幾度となく救われて生きてるんですが
「価値は命に従ってついている」という歌詞については
「そうだな〜」と思う気持ちと
「いやそうは言ってもな」みたいな気持ちがどっちもありました。

そんな中で最近になってこの歌詞について考えることがありまして

社会に出たら色んな人に評価されたり、逆に評価されなかったりする機会が結構あって
私は周りの評価に一喜一憂するタイプなので、相手が出した評価に振り回され続けてました。

でもやっと気づいたんですよね、
「評価されたことによって自分の価値が上がったりすることないな?」と、、、
さらに「評価されなかったとして自分の価値は下がらないな、、」ということもです。

私はよく絵を描いてTwitterとかに上げて、有難いことにいいねやRTを貰うこともありますが、
別に評価されてもされなくても自分のイラストの上手さは評価で変動しないしな、、いいねの数で絵が上手くなるわけではないしな、、と思った時に、林檎さんの「ありあまる富」のことを思い出しました。

価値は命に従ってついている、というのは
誰にどんな評価をされたって自分自身の価値は変わらない、、
ということなんだな〜とそこで思った訳です。

確かに評価されて自己肯定感を高めることももちろん大事だと思いますが、自己肯定感高めたところで自分の価値自体は上がってないし、
なんならその自己肯定感が自分の価値相応のものなのかって誰もわからんやんか、とも気づいてしまいました。

既に世界中の全ての人がそのことに気づいてたかもしれないけど、私は気づいてなかったので、最近気づいたことで1番革新的だったかもしれない。

じゃあ、どうやったら自分の価値が上がるんだろうと思ったわけなんですが、その時に重要なのが周りからの評価、なのかと考えました。
矛盾してますけどねー

周りからの評価によって自分の価値が上下することはありませんが、「評価を上げるためにした行動」は自分の価値を生み出すのにめちゃくちゃ重要だと思います。
なので評価をされる・されないってのは結局自分自身の為には重要なことなのかもしれません。

以前なら、仕事で何かやらかしたとしたら
「う〜また怒られた、、、仕事出来ない人間だとまた思われてるだろうな〜〜」って思ってたのですが、
これに気づいてからは
「失敗した!じゃあこうしたらミスせんやろ!同じミスを繰り返さない人間にまたひとつランクアップしたぞ!!」と思えるようになってきました。
随分精神衛生が良くなる考え方になってきたなとつくづく思います。良かった良かった。


あと改めて林檎さんの曲は天才だな〜と感じてます。大人になってから気づく良さもあって最高です。
自分も大人になってしまったな〜

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