映画ラストマイルを見た翌週に見た、今週の米騒動ニュースに盛り上がっているSNS投稿を見て書いた自分の久しぶりの長文コメントを、もっと久しぶりのnote投稿をした複次創作(しいていうなら日記)
オチはタイトルの通りです。だから映画ラストマイルの感想記事ではありません。
映画にひさびさに心から感動して、「今年のイチオシはラストマイルだぜ」とうれしくなって、きっとタイトルに映画ラストマイルと入れたらnoteの編集部も喜ぶだろうし、映画の宣伝部の人たちもしめしめ狙い通りとにはニヤっとしてくれるかもしれないし、今回の映画って多分、ぼくみたいなやつがこういうことを日常で感じてつぶやいたりしたら、満島ひかりさんも、野木さんも塚原さんも米津さんもうれしいんじゃないかななんて思ったから投稿しました。
親友がFacebook(そうなんだ。InstagramでもThreadでももちろんTwitterでもなく、Facebookだったんだ。書いてる僕は、45歳のおじさんなんだ)、そうそう、ある一定年齢以上のみんなが忘れたくなったり、たまに思い出したりするFacebookってやつに僕の尊敬する親友が投稿を書いたんです。それは2024年9月4日朝の7時でした。僕はその投稿を投稿から16時間後の9月4日23時に見て久しぶりに長いコメント投稿をしました。こんな長い「コメント投稿」は自分でも久しぶりでびっくりして、それがなんか「久しぶり、元気だった?」と言いたくなるような懐かしさのある、自分的に好きな文章だったから、ノリでNoteに投稿してみました。来年の今日思い出すだろう記憶のメモです。
で、本題なんだけれども、僕の親友(すごく元気なおじさん)が「この人すごく元気なんだよ」と敬愛するもう少し歳のいったおじさん(おじさんにもいろいろあるんだ。知ってたかい。もとい)から電話で相談を受けたんです。それは2024年9月3日の夜のことだったらしい。
引き続いてその飯尾さん(ヒロくん)がこう書いたんです。
え、まじか。45歳の僕にとって「わからないことはこの人に聞こう」と思っていたカッパのヒロくんがわからないことがあるんだ、と僕はびっくりしたんです。その投稿にはたくさんの人たちがいろんな投稿をしていて僕はみんなのを読む前に自分のあたまでちょっと考えたんです。
ちょうど昨日今日と地元の和尚さん(僕よりちょっとだけ年上の坊主歴およそ40年の超元気で厄介なおじさん)に、ちょっとした相談をしにいったんですね。そしたら気がついたら厄介な和尚が、「お前もだいぶ厄介だな。俺はお前よりもさらに相当厄介だがな」と笑っちゃうマウンティングを僕にするもんだから気がついたら、大きな人生相談になっていて、そんな中で和尚が話した話が次のような話だったんです。
「世間で米騒動と騒いでいるが、岩手に住む弟から米がスーパーにないから送ってくれと言われて憩いの農園に買いに行ったが愛知のスーパーにはあるんだ。だから愛知から岩手に宅急便で送るなんていう変なことになっている。おまえ、これがどういうことかわかるか?」と問い、一呼吸置いてから和尚は続けます。
「愛知のスーパーには一人一袋まで、と書いてはあるがちゃんと米がある。だから嫁さんと二人で一袋ずつ買って、あとはうちにある米も合わせて送ったんだ。愛知の俺んとこよりもっとたくさん米を作ってるはずの岩手に米がないんだ。おかしいよな。それで俺は考えたんだ。俺も小さい頃農家やってたからわかるんだが、岩手の農家は周りがみんな米を作っているから米はいつでもあると安心しているんだ。だから自分のところで余った米は全部送っちゃう。だから米が岩手にないんだ。それだけのことだ」と言って、俺に問うてるはずなのに、俺の答えを気かずに勝手に次の話題に行っちゃうんだ。どうだ、厄介だろ?
そんな厄介な和尚にお前は厄介だと言われて悔しくなったんだろうな。知ってたことだから。俺の厄介さに磨きをかけたスーパー厄介な和尚が、「まあそんなことも全部、この厄介なクソ坊主が言ってるだけのことだ」と僕を笑わせてくるもんだから、ダメージは軽減された。だけど、自分でわかってても、どれだけ分かった気になっても、どうしようもなくやめられないこの厄介さを、こうもずばり指摘されるとやっぱり心はつらい。人から批判されるのは怖いことだから。だけど、8月29日に映画ラストマイルにちょっとだけ勇気をもらったんだ。そしたら「ラストマイルよかったよね」と自分の仕事や日常と紐づけて書いているライターさんの投稿を見てまた少し勇気をもらったんだ。
あと映画見るちょっと前に、満島ひかりさんと野木亜紀子さんの対談をラジオアプリで聞いて、映画をいますぐ見る気になったことを今思い出して、それから、Tverの後追いとリアタイ配信の両方で見た林修さんと米津玄師さんのインタビュー対談と、ギリギリ間に合った村上隆のもののけ展を家族で見た帰りに運転しながら一人イヤホンで聞いてたReHacQでの村上隆インタビューに興奮したことが影響していることも忘れないように残しておこう。今、Youtubeもオンラインサロンももちろん面白いけど、今、逆にテレビリアタイはかなり面白い。ニュースだけじゃなくエンタメもリアタイで見ることが面白さを増やしてくれる気がする。つまり今、いい感じに暇なんだな、俺。
さて、時間軸は投稿を書いている9月4日水曜日23:58に戻ります。
それで僕は今、先週見たラストマイルが僕の体に残してくれた身体感覚と、厄介な和尚との今日の会話で出た身体感覚と、それからその後過ごしていた大切な人たちとの時間と、疲れた体でスマホで読んだ親友の投稿になんか気がついたら反応していて久しぶりに長文で書いてます。以上、ここまでが僕の世界観設定の前説でした。
ということで、みんな僕の脱線を読んでいる間に考えてくれましたか?
今回の米騒動の真の原因はなんだとあなたは思いましたか?
僕の脱線を読んでいたらそんなことを忘れていましたか?もしそうだとしたらそんなあなたはきっととってもやさしいひとなんじゃないかなと思います。ここまで読んでくれてありがとう。
ということでお待たせしました、和尚から言われた話に、途中から僕がエア和尚に回答するかのように書き足しています。賢明な読者ならばどこまでが一次創作でどこからが二次創作かがわかることでしょう。では僕がひさしぶりに興奮してFacebookにスマホで書き込んだ(NoteはMacで書いてます)長文のコメント投稿をいまのあなたの勢いで読んじゃってください。
おまけのおまけ。
その昔2011年から2012年の頃Facebookっていう狭い世界では、その頃30代前半だった僕のような厄介なやつもそうでもないやつも、自由気ままに自分の書きたいことを書いていて、喧嘩があったり、諌めたりする人がいたり、全然関係ないことを書いて楽しそうにしてたりする人がいろいろいて割と楽しかったんだ。だけどいつの頃からか、「人の投稿に長いコメントを書くのはマナー違反」みたいな空気が流れて、厄介なやつだと思われたくなかった僕は遠慮するようになって、今では自分は長い投稿はするけど人の長い投稿はまともに読んでなくて、リンクはコメント欄にって書いてるのを読むとそれだけでエネルギーが消費するからでもそれはその投稿者のやさしさだったりするから、「なんか伝わってるよ」と感じたらちゃんと読んでなくても👍いいね!はとりあえず押すようになっていて、ちゃんと読んだときや何を書いていたとも大切に思っている人には💓ハート超いいね!を押すみたいなマイルールができた頃には、読んでないならもう見なくてもいいかと思うようになったけど、たまに生きてるよ俺、って意味で投稿したりもしてたけど、最近ではそれもなんか忘れてたりしたけど、やっぱ習慣ってそれはそれでいいもんで寝る前に感覚的にFacebookのアプリ開いたら、デフォルトで投稿が上にくるよう設定してあったリアルでもバーチャルでも日本でもアラスカでもいつも愛と元気をくれる親友の投稿を見て、リアルでガチ説教をやってくれた和尚の話を思い出し、懐かしい感覚におそわれながら長文のコメント投稿を書き、一呼吸置いて読んでみたら自分的に好きな文章で調子に乗ってNoteで三次創作やってみたら眠くなったので寝ようと思います。それでは僕は寝ます。おやすみなさい。ごきげんよう。
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