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〔浅草見番〕での第3回『神田松鯉のこのネタを聴きたい』にて、「男の花道」と芸談・随談を聴く。

昨年5月22日に開催された『神田松鯉のこのネタを聴きたい』。

その第3回にもお誘い頂けたので、大阪より参加。前日に台風が発生し、東海道新幹線が夜から翌朝、すなわち開催日の当日正午まで運行中止に。9月23日、主催の木積秀公さんより、「明日ですけど大丈夫ですか、来れますか?」とご心配のメールを頂いた。運良くというか道楽で、国立劇場での初代国立劇場さよなら公演『舞踊名作集Ⅰ』の井上安寿子さんの「お七」と、秀山祭の仁左衛門さん出演の「祗園一力茶屋の場」を観るべく上京していたので、「大丈夫です。前乗りしてました」とお返事。

聞けば、木積さんも心配性とかで前乗り、「23日の昼に着いて、ホテルに籠ってました」と。何はともあれ、良かった良かったと会場へ。当日は台風も過ぎ、小雨そぼ降る柳通り。

昼2時、開演。木積さんのご挨拶から。
「席亭の木積秀公です。どうぞよろしくお願い致します。本日は、第1部に松鯉先生の男の花道を聴いて頂き、10分ほどの換気も兼ねた休憩を取ります。その後、第2部で芸談、随談です。開演前に、ケータイ・スマホはマナーモードではなく、電源からお切り下さいませ。あ、僕も切ってないわ」

と和ませて、芸談コーナーでは写真撮影して頂いても構いません、それでは最後までお楽しみ下さい、と下がられる。金屏風の裏からミシリミシリと足音がして、松鯉先生登場。登壇され、パン、パンと2回、張り扇。


松鯉「お足元の悪い中、ようこそいらっしゃいました。今日は、男の花道を聴く、という企画でして。講談の世界に入る前に、役者、松竹歌舞伎にいたもんですから、役者物が大好きなんです。
中村歌門の弟子でした。五代目の成駒屋の弟子で、一時前進座に行き、戻って六代目の成駒屋の所にいた方です。
何故、歌舞伎の世界に入ったか。それまでは新劇をやってまして色んな劇団を転々としていたんですが、ドウニモならなかったんですな。で、その頃内幸町にあったNHKの入口である方に声を掛けられた。「クロちゃん、何の用で来たの?」「チョットした仕事で」「……これからどうするの?」これこれで、に、「ちょうど良かった。一時でいいから、歌門さんの所へ行ってくれないか」ってんで、歌舞伎の世界に入りました。
松竹の記録に残ってますかねぇ、中村花三郎って名前でした。なんともドサっぽいでしょ。ハハハ。でもね、今の大阪の成駒家さん、四代目の鴈治郎さんと弟の扇雀さん、あの人達の初舞台に出ました。その時に貰った手拭いを今も持ってます。もう、それだけでもいい思い出です。巡業に行って、河内屋さんの伊左衛門の差し出し、ツラ明りやったりねぇ。
色んな思い出が凝縮されてますので、思い入れがありますよ」

そして講談の世界に。「男の花道」は六代目貞丈に教わったそうな。
松鯉「高田馬場の家に行って教わりました。直接、ジカに教えてもらうのが大事なんです。テープや本で覚えるのもいいですが、ジカの良い所は、目の前でやってくれる、ということだけでなく、背景も教えてくれるんです。例えば、定式幕も、江戸の頃は今とは逆に開け閉めされていたんだよ、とか。
また、男の花道は、「名医と名優」と言いましたが、長谷川一夫と古川ロッパの映画が有名になりましたから、貞丈先生は「この方が得だから」と男の花道にしてる、と教えてもらいました。それを私も踏襲しています」

話は、松竹にいた頃の、歌舞伎役者の話に。十七代目勘三郎に「お前さん、誰の弟子だい?」と声を掛けられた、という話。「お前さん」を、十七代目の掠れ気味の声色を使われて、ああ、とても嬉しかったんだろうな、としみじみ。

松鯉「片市さん、片岡市蔵。東京の松島屋ですね。名バイプレイヤーでした。倅が名前を継いでますね。
湯島に住まってらして。もう講談の世界に行って前座の時分でしたが、ヘヘ、私は酒飲みだから、その頃も毎日呑んでました。御徒町のガード下で呑んでたら、片市さんがいる。「片市の旦那ではありませんか?」「オウ。お前は誰だい」「以前、ちょっといた事がある者で」「そうか。じゃあ今日の飲み代は全部出してやる」、とは言わなかったですけどね。ハハハ」
ここでも片岡市蔵の、しゃがれてドスの利いた声で。
「湯島まで寄ってけ、ってんで、ご一緒しました。家に上がってけ、と言われましたが、どうも度胸が無くてね、玄関口で失礼しました。あの方も酒がもとで亡くなりましたね、ホームから落っこちて。だからね、酒はホドホドにしないと、と他人の事なら思えるんですがネ」
客席ワッと湧かせて、文化文政の頃おい、ポンと一つ叩いて「男の花道」へ。

筋はご案内の通り。
宿屋で、源太郎と歌右衛門ファンの仲居とのやりとり。仲居が歌右衛門のことを話す時に、口元へ指を添える仕草が無類の可愛らしさ。ほのぼの。源太郎は源太郎で、ユーモアと鷹揚な人格を、巧まず作らずに見せる。
歌右衛門も、抑えた動作で、痛みに堪える姿と役者の持つ品を。
江戸に着き、片や人気役者。片や「医は仁術」と心得ての、貧乏医者。
土方縫之助の宴席の場面となる。この、土方が憎らしくて憎らしくて、後の芸談コーナーでも話題になった。人を大きな声で呼びつける、その横柄さ。酒の入った、目つきの鋭さ。釈台に手を置き、苛立ちを指先のコンコンコン、癇癪をバンと掌で叩きつける。
思うに、ここまで源太郎も歌右衛門も、感情を前面に出して表現されて来なかった。礼を言う場面も、またそれを諭す場面もサラサラと読まれた。土方は感情をぶつける。源太郎歌右衛門は、切腹の危機に面しても、また口上で観客を説得する時も、信じる道を進む人のキッパリとした風。映画でロッパが言う「学び得たもの」、それも高度の、を持つ者、プロフェッショナル特有の涼しさ。
土方には無い、涼しさ。土方にあるのは圧、熱、量。それを語り分ける、でもそうとは見せぬ松鯉先生の素晴らしさ。
話は佳境に。おい、来ぬぞ、グワハハハ、さぁ腹を切れ!と大音声。刀を腹に突き刺す所へ、暫く暫くと廊下の奥から聴こえる声、先生お懐かしゅうございます。おお、危なかった、と源太郎。腹を見る仕草にワッと大笑い。ここからは、二人の描写で進み、土方のヒの字も語られぬ。歌右衛門の人気、源太郎の出世をトントンと語られて、「男と男の約束、有名な男の花道という一席、本日はこれにて」と一礼されて、終演。松鯉先生の読み終わりはいつも晴れやか。

14時45分より15分の休憩を挟み、15時より第2部。
木積さんの呼び込みで、松鯉先生再び登場。拍手でお迎え。

撮るよりメモを取るのに必死だったのでブレブレ、両先生のお写真は参加された皆さんの各SNSをチェックしてみて下さい。
木積「ここからは、米朝よもやま噺ならぬ、松鯉よもやま話のスタイルで」
に演芸ファンヤンヤ。
木積「酒乱の侍が素晴らしかったです」
松鯉「ああいうのがいたんだね。話としては、悪役がいるとやはり引き立ちます。師匠の山陽にも、お前は悪役が似合うな、とよく言われてましてね。そのたんびにショゲてましたが、まさかこの齢になっても言われるとは……」
会場大受け。

今日は松鯉先生のお誕生日である9月28日、並びに、傘寿を祝っての『神田松鯉・神田伯山歌舞伎座特撰講談会』の4日前。


木積「改めて、お誕生日おめでとうございます。あ、チケット買いました」
松鯉「ありがとうございます。歌舞伎座で講談会は、大島伯鶴以来だそうで。まあ、私の力ではないです、伯山と、尾上松緑さんが全部段取りしてくれて、私はその御神輿に乗ってるだけですよ」
木積「いえいえそんな。そして十月歌舞伎座は、先生の荒川十太夫が歌舞伎になります」


松鯉「神田松鯉口演より、とタイトルに入れてくれたのが嬉しいですね」
木積「この演目自体、先生が見つけて来られたそうですね」
松鯉「誰もやってなかったんですよ。講談の古書を集めてますから、その中の評判講談で速記を発見しました。初代の松鯉の速記。30年前でしたかね、その頃の講釈師は誰も知らなかったですよ。伯山が教わりたがってましたから、教えまして、それを松緑さんが伯山のファンで、聴いて下さった。是非観に行って下さい。私も行きます」



今日使われた釈台を製作された藏原木材さんが客席にいらしたので、解説をして下さった。「吉野杉の一番贅沢な使い方をした」釈台で、今日が叩始め。松鯉「私が欲しいくらい。使い込んだら艶が出るそうだから、頻繁に使わないとね」と木積さんを見る。客席からも期待を込めて、見る。

折り畳み式の具合をチェックされている

ここからは、事前アンケートで集められた質問コーナーに。松鯉先生も足を崩され、グッとリラックスした雰囲気に。
Q「二代目山陽のとっておきのエピソードを教えて下さい」
松鯉「とっておき?全部とっておきだけど。まぁ兎に角ボンボンなんですよね。大阪屋といえば日販東販に並ぶ三大取次と言われたけど、師匠の道楽で、ね。
御屋敷の中のお庭に、一軒屋を建てて、そこに売れてない将棋指しを住まわせて。それも2人。で全部面倒見てやって、その2人から将棋を教わってました。師匠は五段でした。
あとは、まだ若旦那時分、講談の稽古をつけてもらうのに、その頃の伯鶴や六代目貞山を呼びましてね。詳しくは言えないけど、お座敷がかかるのと同じ金額で、稽古つけに来てもらってました」
木積「それは、1ネタで、ですか」
松鯉「いえ、1回づつ、です。大変な金額で習ったのを、私はタダで教えてもらってました。ハハハ。でも、ちゃんと世話はしましたですからな。当時私の兄弟子に2人いたんですが、これが師匠と同い年くらいの人達だったんです。だから、27,8で私は入門したんですが、ホントの意味で若い弟子だったんですよ。で、大阪の角座への出演に私がついて行くんですが、米朝師匠がトリでうちの師匠が中トリ、これが怪談をやるんで電気仕込んでる台を持っていくんですが重いのなんの、バカオモなんですよ。それに師匠と自分の衣装バックを持つんです。東京駅の階段で、自分はさっさと行って、おい、早く来い、って」
木積「そいういう所が坊ちゃんぽいですね」
松鯉「そうです。で、師匠は酒が飲めないんですね。ご一緒した米朝師匠に誘われるんですが、飲めないから私を連れて行くんです。コイツが飲みます、って」
木積「国宝が2人で!観たかったなぁ」
松鯉「その時ですよ。小米時代の枝雀さんを見ました。
芸人の世界で、化ける、って言いますがあんなに化けたのは枝雀さんが一番凄かったですね。一時小米さんが芸界から消えて、アノ枝雀になって帰ってきましたが、大化けですよ」
と、枝雀さんの頭を振るようなマイム。
松鯉「でも……辛かったんですよね。ずっと化け続けないといけない。しかもバカ売れして。気持ちは解りますな。だって本来の自分じゃない、演技してるんですから。それで一世風靡してしまって、ね。元に戻れない。だから、ショックでしたよ。今は化ける人がいないですね。芸風がガラッと変わる人がね」
二代目山陽の話から、木積さんがかねてから聴きたかったことを。
木積「なぜ、女流の講談師を育てようとされたのでしょう?」
松鯉「それは解ってるんですよ……スケベだから」
客席皆ひっくり返る。
松鯉「ハハハハ、だって俺たちを見る目と全然違いましたよ。でもちゃんと、古典のものをあの子達が読み易いように書き直したのを渡してましたからね。爺さんの所を婆さんにしたり。新作だとカルメンとか。師匠も踊ってやってましたよ。ジャンバルジャンとかね。
師匠の息子さんは皆カタイ仕事で偉くなりましたから、フフフ、五代目の今輔師匠が、「山陽さんが、反面教師だからね」って」
今輔の声色で。今日は松鯉先生の物まねをよく聴ける日。
松鯉「群馬の大先輩です。同郷だからハマったんでしょうか、大須の興行に、お弟子さんがいるのに、私を連れてって下さって、色々な話をしましたよ。おっかさんの話になってね。私を女手一つで育ててくれましてね、「芸人になって申し訳ない」という気持ちで、前座の頃から仕送りをしてたんですよ。せめてものお詫びに。それを聴いてホロっとされたんでしょうね「おい、色紙を描いてやる」って。上州の人間は言葉は荒いんですが情に厚いんです。群馬の英雄ですからね、今輔師匠は。おかめの色紙でしたが、おっかさん大層喜びまして、今もうちの家宝として置いてます」

『橘右近コレクション 寄席百年』より

Q「歌舞伎役者や寄席芸人の、カッコイイと思われた逸話をお聞かせ下さい」
松鯉「二代目の松緑さんが大好きでしてね。豪快な、男っぽい芸の方だったんですが、楽屋で小言を言うんです。所謂重箱の隅をつつく、というやつ。それを見た御贔屓さんが、あなたらしくないから止した方がいい、と松緑さんに忠告したんですよ。すると、「そうじゃないんだ」と。細かな、隅々まで理解して、台詞を言うのが役者なんだ、と。普段から細かな所にも気付かないようではダメだから、言ってるんです、って。この話が好きですね」
松鯉先生はこの逸話を『松緑芸話』で読んだ、とメモしているのですが、蔵書を引っ張り出して読んだが見当たらず、念の為に『役者の子は役者』『踊りの心』も当たったのですが……国宝だって人間だ、お間違えかも知れない。博雅の士の示教を乞う。講釈の大先生に故障を入れてしまった。
このお話とか伊東四朗さんがよくお話しされる「学生さんは大事にしなくちゃならない」の話とか、ちょっとまとめて「松緑伝」みたいなのを聴いてみたくなったんですがね、木積先生。

Q「もし今も俳優を続けてらっしゃったとして、やってみたい役は何ですか?」
松鯉「ハムレット」
に先生含め全員爆笑。
松鯉「歌舞伎でしたら、やはり河内山かな」
には、全員納得の感じ。
松鯉「河内山は名優のを観てますからね。十七代目勘三郎、梅之助、お父っつぁんの翫右衛門」
木積「どうですか、鹿芝居がありますから、講談芝居」
松鯉「やりましたよ、本牧亭で。釈芝居って言ってね。松の廊下、貞心さんが判官で、私が師直。悪役だったね、ハハハ。
現代劇にも講談師になってからも出ましたよ。日大の永井啓夫さんから「あなた、演劇やってた、って知ってますから、出て下さいよ」って。井上ひさしさんの『國語元年』『日の浦姫物語』に。講談師だから、狂言回しの役でした」
木積「片岡一郎さんから伺ったのですが、活弁もされたとか」
松鯉「はいはい、アルバイトでね。芸協所属になった坂本頼光さんからも楽屋で一緒になった時に尋かれてね、なんで知ってるの?ったら、マツダ映画社の記録に残ってました、て。地方回りなんかもしましたが、講談師だから、喋り過ぎちゃって。昔の弁士さんは要所要所で、ボソっと喋って見事でした。弁士から講釈師になった人も、私が入った頃はいましたよ。宝井琴窓先生。高座の前に二合呑んでから上がってました。

田邊南鶴編『講談研究』より。襲名して琴窓となられた。

Q「今後、連続物を読まれるご予定は?」
松鯉「今持ってるものを教える方が先なんですよ。東京文化財研究所の無形文化遺産部の方に録音は残してます。大岡三政談は一応全部。柳沢昇進録はコロナで中断してるんですがね。柳沢昇進録は阿部主計さんが褒めてくれたのが嬉しかったです(『伝統話芸・講談のすべて』)。
しかしあの柳沢。権力、チカラを持つと人が変わるのは白鵬と同じですな。悪役だった朝青龍に対して、ああイイ人が出て来たな、と思ってたんだ。それが」
と、ドンと釈台を叩く。
松鯉「塩水と権力は飲めば飲むほど乾いていく、と言います。柳沢、アイツが残した言葉が凄いでしょう。この世の中で出世するには金と女を使う、と。信じられないですよ、プーチンと同じですよ」
講談の引き事の楽しさに似たものを感じられた。柳沢がアイツになった。
木積「人間の、心の動きを連続物で聴いていきたいです」

Q「松鯉先生が今一番会いたい方はどなたですか?実在、架空、亡くなられてる方でも」
松鯉「う~ん……。おっ母さんに会いたいですね。もう亡くなってますが、苦労しましたから。おっ父つあんがスケベエで、その血は継いでるかな、ハハハ。本名の渡辺というのは母方の姓で、父方がクロサワと言いました。新劇の頃は父方の姓を芸名に使ってましたから、クロちゃんって呼ばれてたんですよ」
木積「お母様にお会いして、一言言うとしたら」
松鯉「お世話になりました。それだけだね」


松鯉先生が、他メディアに出られて「講談とは」の質問に必ず、
「惻隠の情」
を語られる。そして思いやり、心配りが出来る生き方をしようと言うのが講談だ、と。
そういう考えに至られる大元を知れた最後の質問だった。

15時55分、終演。前回、前々回よりもグっと松鯉先生を身近に感じられた、贅沢な一時だった。

この釈台に艶が出るまで、続いて欲しい会。贅沢やね。