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〔道頓堀ミュージアム並木座〕での松浪流火曜会『千粋遠音近音シャンシャンらぼ』へ。

道頓堀に五座が無くなって久しいが、その記憶や意志を継ぐように、道頓堀にはちょくちょく劇場が出来る。
〔道頓堀ミュージアム並木座〕は、並木正三の名前から採った、劇場文化を今に伝える為のライブハウスのような劇場。

そこで、上方唄松浪流の方々が、毎月第3火曜日の昼2時半より、『松浪流火曜会』と題した演奏会を開催されている。

5/16、松竹座で新リーダー体制に入った松竹新喜劇を観てから、並木座へ。

入り口で、千粋さん手ずから、ポストカードと飴ちゃんを頂く。ザ大阪。昼2時半、開演。

舞台上手のイスに腰掛けられ、早速
〽花の大阪よい湊
と、大阪音頭を。新民謡から始まるのが、このライブハウス調の空間に合っているよう。舞台背景に映像が流せるので、大阪音頭に合わせて菅楯彦の絵がスライドショー式に上映された。パラパラと捲れるように過ぎ行く浪速御民。道頓堀から春霞、千日前から春霞。三味線の音、唄い方が、霞がかかっている時代を遡っていく感じ。

千粋「こんにちは。今年の2月から第3火曜日に、松浪流の持回りで演奏会を開催しています。2、3月は家元が。4月は「千壽のうた宴」、来月は「千静のうた絵巻」、と、古風なタイトルが並ぶ中、私は、

千粋遠音近音シャンシャンらぼ

フザケてるわけではないです。ちゃんと意味がありますので、説明してもよろしいでしょうか?ダメやと言われてもするんですが。
遠音近音、をちこち、おちこち、と読みます。音の字が無くてもおちこちと読むそうです。福山の鞆の浦に、せんすいじま、という所がありまして、仙酔島と書きます。せんすい、の読みに縁を感じまして。そこにあるのが〔汀邸 遠音近音〕という旅館で。瀬戸内オーシャンビューと島の自然の音の重なりを楽しんで下さい、と案内に書かれていたのですが、勝手に御縁を感じて、自分の会でいつか使おうと思っていたので、今回使いました。
次にシャンシャン。シャンシャンと聴いて皆さんは何を連想されますか?」

思わず、宝塚のパレードの階段降りの、と言いかけたが止めた。
千粋さん、楽譜立ての陰から三番叟が持ってそうな鈴を取り出し、
「鈴の音、シャンシャン。鈴の音には場を浄める力があったり、神様を楽しませる意味があります。神様、お客様ですね。
そして、口三味線。チンやトン、そしてシャン。何にも押さえずに糸を二本弾くのがシャンです。
最後の、らぼ。私は三味線オタクなので、三味線の音なら何でも、古い唄でも何でも面白いのですが、皆さんに果してこの面白さが響いているか、伝えられているかをフィードバックして頂きたいです。先ほどお配りしたポストカードの裏に、LINEのQRコードを記していますので、今日の感想を送って下さい」

飴ちゃんだけやなかったんや。そして、流石だなぁと思う。コロナ禍中に、stand.fmというアプリを通じて日々のお稽古や寄席囃子の実演と解説を放送されてらっしゃったのだ。


一頻り、会のタイトルの説明をされて、いよいよ演奏会スタート。
まず、桃太郎
千粋「この桃太郎の歌詞なんですが、産まれてあやされて、で鬼退治にいきなり行きます。成長早いんです。そして鬼退治へ行く途中でなぜか奴行列が入ります。上方唄にはちょくちょくあるパターンで、また元に戻りますのでご安心を。八百万をOKとしている国ならではの、おおらかな所ですね」
それでは、と桃太郎。桂吉坊さんがよく踊られている。〽ご誕生、で桃から万歳して出てくる。\(^-^)/こんな感じ。
続いて鬼つながりで、三匹鬼。そして三人娘へ。しかし、
千粋「続けて三人娘、を唄いたいのですが、上方唄には、今唄うとギョッとするような歌詞がよく入っていまして、また、私もマダ恥ずかしいので、あと30年後位の、エエお婆さんになったら唄いたいと思います。待っていて下さい」
客席見回して、長生きしないと、と思う。こんな感じで伝承されなくなるものが出てくるのだろうな、とも。ラボでも野暮でもやって欲しい。
閑話休題。
鬼が少し出てくる、酒と女という、こちらは江戸小唄を唄われて、

千粋「では、この辺りの土地に所縁のある唄を聴いて頂きます、五段返しです。芝居の脚本のセオリーを踏まえて作詞されています」
と、今までイラストのみだったスクリーンに、大序から五段目までの解説が映される。一気に講義感。

千粋「初段は大序、いざこざの元が描かれまして、二段目は戦いのシーンがありす。三段目は愁嘆場、世話場でこれでもか!とばかりに悲壮な場面です。
私は歌舞伎を観るのが遅くて20代半ばから観てきたのですが、この愁嘆場は大体茶色い書割りで……いつの間にか誰かが切腹してるんですね。今はちゃんと起きて観てますよ」
茶色い書割りの場は言い得て妙で大笑いだった。四段目は少し明るい気分になる場、五段目は伏線回収、秩序が元に戻る。

千粋「五段返しの歌詞は、それっぽい単語が並べられている感じですので、通しての因果関係は無いので、ちゃんとしたお話にはなっていません。最後に錣を打つ描写がありますが、芝居町から色街へ行って騒ぐ様子を表しています。
次に、出てくる単語で判りにくいものの解説をしていきましょう」
と、引道具等の解説を。
千粋「宝の紛失、芝居あるあるですね。大体オジあたりの悪事で、親族に悪者がいる、てのも芝居あるあるです。
年月揃う、これもあるある。辰の年辰の月辰の刻とかですね。家来の妹あたりがこの年月揃う人で、身代わりになってしまいます」

では、と五段返し。〽どっさりちょんの幕等のリズムが愉快。三代目桂春團治の踊りで観た事がある。大序の所は幕を開ける裏方から始める。縄をポーンと上に放る振がカッコいい。〽三段目、とかでわっかりやすく指を三本立てて示す振がある。


千粋「この五段返しはとても流行りまして、替え歌がたくさん出来ました。その当時の世相や風俗を宛てたもの、ご当地のものを読み込んだもの。今日は今から、赤毛布五段返しを聴いて頂きます。赤もうふと書いて、赤ゲットと読みます。
この赤毛布、時代によって意味が変わっていきます。
まず最初、明治の初めに日本に入って来たのですが、その頃は①赤い色の毛布という意味でした。イギリスの貿易商が、インド人に沢山売れたから日本人も赤が好きなんやろう、と送ってきた、と言われています。貴重な防寒具として、兵隊に支給されました。
時代が少し下りますと、②都見物の田舎者の代名詞になりました。おのぼりさんですね。仲間からはぐれないように、赤は目印になるから。しかしこの頃には東京には既に出回っていて貴重でも何でもない、人力車の膝掛けに使われている位のものを、大事そうにしているのが野暮ったいよね、という感じです。『いだてん』でも描かれていました。
更に時代が下ると、③不慣れな洋行者となります。熊田宗次郎という人が書いた『洋行奇談 赤毛布』がありまして、著名人の洋行失敗談集です。赤毛布五段返しはこの本から作ったん違うかな、と思っています。
洋行者への羨ましさ、シットが出ているような替え歌です。途中途中で歌詞のカメラワークが変わりますが元に戻りますのでご安心を。では」
〽鞄をしこたま持って、という歌詞に大笑い。いつの世も。洋の東西でも。


千粋「赤毛布五段返しでした。唄として残っている、とは言え、ちょっと趣味がワルいかも……でも風俗として描かれているのが面白いです。ご当地ソング五段返しに、浅草寺の五段返しがあるのですが、〽蔵前通ればお菰がせがむ、とあります。当時浅草で一番多いものでした」

千粋「今は三社祭に替えて唄うことが多いそうです。では続きましてはご当地ソング五段返しから、関西湊町です」
井澤壽治編『座敷唄集成』によると、JR関西線開通を祝って作られたそうな。大阪から出て奈良へ行く。あ、言い忘れましたが、今回出てくる唄の歌詞はhttps://rcjtm.kcua.ac.jp/pub/2017web/archives/resarc/kamigatazashikiuta/index.html
で大体読めます。
〽回り回りて落ち着く先は武蔵野、と千粋さん唄い終わられた。

千粋「武蔵野、あれ、奈良から関東?と思われたかと思いますが、これは地名ではなく、野見尽くせない、の方の武蔵野です。結局お酒を呑みに行くのですが、そうとは言わないのがシャレてるなぁ、となる所です。
もう一つ、落ち着く先は武蔵野。この詞自体もシャレなんです。解りますか?伊賀越道中双六というお芝居の沼津、十兵衛のセリフなんですね」
ウソやん。落ちゆく先は九州相良。落ち着く先は武蔵野。前述書にも「沼津が元ネタ」と解説がある。でも本に採られている歌詞は武蔵野でなく「落ちゆく先は尻の穴」。武蔵野より語呂は穴の方が良いかな。相良の人ごめんなさい。
見透かしたように千粋さん「落ち、しか合ってないですね。
こういった替え歌は、お座敷でお客さんとワーワーキャァキャア言いながら作ってるものでして、落ち着く先は武蔵野、ワァステキシャレてる!って感じだったのかも知れません」
今ならコロナ禍五段返しなんかが出来るのだろうか。干上がる顎にマスクはくれた、さりとは面妖な。


歌詞の違いはもう一ヶ所あった。
〽鹿の巻筆 町の早起き
と、唄われた。
千粋「鹿の張子、と唄われてきました。張子の雄鹿が雌鹿に重なっているのを紐で括っている、という、子孫繁栄を願った名物だったそうです。
でも私はここを鹿の巻筆 町の早起き、にしましたのは、落語好きの方には耳馴染みあるフレーズかと思います。鹿政談の「大仏に 鹿の巻き筆 あられ酒 春日灯篭 町の早起き」から採りました。米朝師匠リスペクトで替えました」
こういうのも「お遊び」なんだろうな、とラボならではの実例を見せてくれた気分。町の早起きの箇所は、菊一文字と唄われてきたそうな。

話は鹿政談の歌の、あられ酒へと転がる。漢方医糸家宗仙が猿沢池を見て創案した、甘いものが無かった時代に珍重されたものだそうな。因みにこの宗仙先生は「奈良漬」の名付け親。
という事で、あられ酒つながりでシンカラ節をご陽気に唄われた。

千粋「お疲れ出てませんか?大阪へ行って、奈良行って、次は京都へ行きます。地唄の都十二月を聴いて頂きます。地唄、ですが、ライトなものですので」
ライトと表現された理由としては、松浪流web siteによると、

地歌は音楽専門家が作って演奏するわけですから高度な技術を要する真面目で重く長い曲が多いのに対し、上方唄はいわば素人(しろうと)が作るポピュラー音楽的性格のものでしたから、気軽に演奏できる、比較的単純な構成の軽く短い曲が多いです

と、あるからだろう。
歌詞に出てくる季語やキーワードをスクリーンに映しながら解説。黒の背景に、キーワードは黄色、歌詞は白、ていうのがシャレて見える。番組も終盤あたりで都十二月をされる有難さを感じつつ拝聴。
をんごくなははなははやをんごく。去年山村流舞扇会で友五郎さんと若さんが手を繋いではったのを、千粋さんの声で思い出せた。唄に合わせて歌詞がスライド式に変わる。ちょろけんの絵も出た。
千粋「都十二月でした。この唄で、節句のお祭りや行事を知りました。暦を重視した生活をしていないので、大事にしないとな、と思っています」

いよいよ最後、へらへら、です、と千粋さん。
「合羽屋は、おおきにハバカリさん、というだけの唄です。
せつほんかいな、は節季候の歌が洗練されたものです。
めでたいな、で全て無かった事にする唄です」
と真理を突かれて、
「最後はメドレーで今日はお開きです。早口にならないように気を付けたんですけど、早口でしたね、スミマセン。では、へらへらです」

早口よりも気になるのはお疲れだろうに、へらへら、の間ニコニコと唄われる。最後の最終コーナー
〽一銭投げてチャット拝んで
ここでスライドの為に暗かった場内が明転。フィナーレ感。
既存の歌詞では〽市川團州の十八番郭巨の釜掘りとなっている所、stand.fmのラヂヲでもそう唄われていた所が、ちゃんと立川談志になっていた。これは『桂米朝集成』でも指摘されている所で、しっかり勉強されているなぁと、米朝リスペクト伊達じゃない、と感心。

千粋「ありがとうございましたぁ。しまった!へらへらの、〽ドンが鳴ったらオマンマだよ、で誰かに叩いてもらおうと団扇太鼓持って来てたのに忘れてました!あーあ。
えー、へらへらは毎回やろうと思っていますので、次は叩いて下さいね。
本日は、何をするかも判らない催しに来て下さり、ありがとうございました」

昼3時50分、終演。お見送りまでして頂く。お一人お一人に「どうぞまたよろしゅうに」とラヂヲと同じ言葉を掛けてらっしゃった。 

さて、次回は、へらへらの他に何をされるのだろう?折角地唄も包括する松浪流だから、地唄との違い、殊にその発声の違い唄い方の違い、晴眼に就いて等をラボして欲しいと思う。勿論、歌詞の世界の深掘りも継続して欲しい。歌詞カードも。

長谷川「ぼくが一つ言いたかったことは、谷崎潤一郎の後半の芸術は、全部、上方から発生したものだと。菊原琴治によって、あれが出来たといっても、冒涜するものじゃないと思いますよ。そういうふうに、一つの上方唄、江戸唄というものも、人を得たら、生きてくるはずですがね」
池田「江戸の芸能は、まだ谷崎文学を生んでませんからね」
長谷川「安鶴(安藤鶴夫)の文学は生みましたけれども」
池田「それは、江戸では生まれませんよ、やっぱり。地方の人、あるいは大阪や京都の人が江戸にあこがれて、東京の芸能を背景にしたものでなければだめです」

『邦楽体系11 上方唄・江戸唄』対談「芸能史における上方と江戸」長谷川幸延・池田弥三郎

後日、ご丁寧にお礼のメールを頂戴した。そこには、行く行くは、皆で車座になり歌ったり踊ったりしたい……と綴られていた。上方の端唄を並べた踊りの会、観てみたい。踊れないけどシャンシャンくらいは振りに行きたい。