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〔浅草見番〕での第2回『神田松鯉のこのネタを聴きたい』にて、「勧進帳」と芸談を聴く。

2019年9月に開催された、演芸作家の木積秀公さん企画の『神田松鯉のこのネタを聴きたい』。

その年の暮れ、第2回を来年5月27日に開催します、とまたお声掛け頂いた。今度は、なんとリクエストした勧進帳。あら有難の大檀那と早速申し込む。神谷舞台にある能舞台でやりますから、お客さんもたくさん呼びます、と。「場所代がその分かかりますので、また、先生への御礼も皆さんから協力して頂きたく、ちょっと値上げしまして、すみませんが」7000円お願い致します、前が安すぎなんですよ勿論喜んでと心待ちにして、年が明けて2020年。例の初めての緊急事態宣言により、2020年5月27日の開催は延期となった。

緊急事態宣言解除後、寄席などのライブ開催は、ノウハウを築きながら、綱渡り状態ではあるけれども、公演を続けてきた。そんなこんなで2020年は終わろうとしていたが、「2021年5月22日に、場所も浅草見番に変えて、開催します」と連絡が入った。年がまた明けて、今度は冬の緊急事態宣言。で、春、またかの緊急事態宣言。気を揉んでいる所へ、「話し合いの結果、感染防止策を確りとした上で、開催します」の報を受けて、新幹線を手配。ま、仁左衛門・玉三郎の桜姫東文章をどうしても観たくて、この4月に県を越えて東京にはいっぺん来てるんやけど、気持ちはソレ、虎の尾を踏む心地、尤も大阪の方がアブナイですが、数珠揉むように手洗いして、やってきました5月22日、浅草見番。

入口で消毒、木積さんに検温して頂きながら、「やっと、ですね」などお話する。席もこの様に。前回よりも少し多い、20人位いらっしゃていた。

昼2時、開演。木積さんのご挨拶から。「席亭の木積秀公です。どうぞよろしくお願い致します。緊急事態宣言の中、快諾して下さった神田松鯉先生、お待ち下さった、ご来場下さいました皆さんに、厚く御礼申し上げます」。ちょっとジーンとしてしまう。続けて「まず、勧進帳を、そして換気の為に15分ほど休憩を挟み、そして、随談・芸談のコーナーとなっております。それでは松鯉先生、お願い致します」。

ドーン、ドーンと太鼓が鳴り、松鯉先生ご登場。浅縹のようなお色の着物に、濃藍に近い色の羽織、茶の帯。パンパンと釈台を叩き、礼。拍手。

松鯉「寄席もずっと出てるんですが、お客さんが薄いです。長いこと生きてますが、伝染病がこんなに続いたのは、生まれて初めてですよ。ペリーが来た頃も流行りましたな。コレラ。でも、コロリって言ったそうです。ペリーも、ペルリ。アメリカさんは大したものよペルリがコロリを連れてきた、って、皆言ってたそうですね。で、その頃は日本には石鹸なんてありませんでした。向うの水兵なんかが、波打ち際で手をシャボンで洗ってる。洗ってますと泡が立ちますから、それ見て日本人が、あ、コロリを作ってる、て」

んなアホな、の前に笑ってしまう。

松鯉「しかし、いずれにしても、大打撃です。私みたいな年寄りはいいですけど、若い人は大変です。オールキャンセルですから。寄席はもっとです。ソーシャルデスタ、横文字はあんまり判らないんですが、いっぱいにしても半分にしかならない。まぁ、鈴本さんはビルを経営してますからマダ、マダ大丈夫。池袋も地主ですからマダ。浅草は他の興行会社をやってますから。一番しんどいのは新宿の末廣亭でしょうな。あすこだけ寄席だけで食ってるんですからな。わたくし達も頑張りますが、この前から、寄席が集まって、クラウドファ……横文字が判りませんが、皆さんお持ちのコレ(と、スマホを指で突っつく仕草)でよろしくお願い致します。私、(突っつきながら)コレもよく判らんのです」お気持ちは伝わりました。

松鯉「末廣亭は7月上席、浅草は7月中席、今年も怪談をやらせて頂きます。ただ、今年もコロナの中ですので、ソーシャルディスタンスで、幽太がお客さんのソバに行ったらまずいんです。ですから、去年もでしたが、今年も幽太なしの、オーソドックスな怪談になりそうです」

ここから、怪談をやってる最中の失敗談。「慣れ、というのはオソロシイものですな」と、楽屋で何かに気を取られながら準備をして出て行って、サテ。これはぜひ寄席でお聴きを。「こういうのは、もう、運不運みたいなもので、しょうがありません。運が悪い、悪日、アクジツなんかには、仰向けに転んでも鼻の頭を打つと言いますからな」。

歴史も一緒で……と話し方が変わられた。チェンジオブペース。「最も運が悪かったのは、源義経公でしょうか」と眼鏡を取られる。パシリと張り扇を一つ入れて、壇ノ浦から総勢十三名、どの道を取って遁げて、「朝まだき、夕べの月がまだ残ってる」と実際に上を見ながら、一行は安宅へ着く。噂に聞く関守の手強さにもうこれまでと腹を切ろうとする義経の刀を大きく手を使って抑え、「ああいや我が君」と弁慶。この声の太さ。

松鯉先生、緊迫した状況へと、話の段落を変えられる時に、少し無理してるようにも聴こえる程カン高い声を出される。そこに来て、ああいや我が君の声の太さ、低さ。そして、安心感。義経や四天王と共に、我々も安宅の関へ。

三百の番卒が弓を番える安宅の関。奥で茶を喫んでいた富樫が、義経一行を留める。弁慶に質問していく富樫、松鯉「言葉は優しいですが、真綿で締めるよう」。その富樫の声が、太い。歌舞伎で聴き慣れた富樫の、怜悧さや鋭さに結びつくあの甲高い声の印象からすると、松鯉先生の富樫は、弁慶と同じ匂いのする豪傑、つわものに感じる。そうだ、話芸はただ声色で人物を描き分けるものではないのだったわ。阿部主計『伝統話芸・講談のすべて』で、小山陽時代を評して、

小山陽は低音階の発声に茶色の力強い響きがあり、いわゆるドスが利くという利点がある。

この、茶色を、少し解った気がした。

このよく似た両名が、山伏問答でぶつかり合う。富樫を見据えながら答えていた弁慶の「阿吽の二字」、カッと喉を開いての大音声は感動的であった。「聴いておりました富樫、本日は何と好き日であろうか」と得心したかのように穏やかな口元、涼し気な口調で、では「勧進帳を読め」と言う。

「ハッとしたんだけれども、ここで驚かないのが弁慶」。四天王の一人に巻物を持って来させるこの場面、少しユーモラスな語り口になる。妙に自信たっぷりにずんずんと手に持って来るので、弁慶とも、演者ともつかぬ、呆れた口調「喰えない山伏だわい」。この、硬軟自在さ。

無事読み終えて、通ってヨシ。そして例の注進する番卒。この番卒の「申し上げます、あの強力」うんぬんの声は、歌舞伎の方の富樫に似た高い声であったのが印象的。

弁慶、小声で四天王を押し留めて、義経に向かって「これ、痩せ強力」と地を這うような声。金剛杖で撲つが、その時に「泥の着いた金剛杖で」、この言い回しが、ああ話芸ならでは、と思った。もう一つ話芸ならではなのが、芝居では緊張感持って撲つ所を、「弁慶も主人はブてませんから、ヒャーッと早く振り上げて、力をスポンと抜いて振り下ろす。ヒャースポン、ヒャースポン」と、笑わせる。

と、ガラリと口調を変え、これを見ておりました富樫、「ハーア、御労しや」と唸るような声。「弁慶に撲たれて、また、撲つ弁慶も」と弁慶の心情を思う富樫の声が一段低くなる。弁慶も富樫も、その声は申す如く低く太かったが、ここに於いての富樫の声は、そこに温かみを感じた。松鯉先生に戻って「涙は富樫の頬をハラハラハラと」は指を伝わせながら口演。中啓に見立てた扇を顔に当て涙隠して、「早々にお立ちを」。

一行は野々市を通り陸奥へと進む。「胡蝶の舞う野々市から、黄金花咲く陸奥へ」行く先はまた険しいだろうが、主従の行く道を語る松鯉先生は歌うように明るく、にこやかに「安宅の勧進帳の一席」を読み終わられた。

聴き終わって、「唯そこに十余人、夢の覚めたる心地」、であった。

昼2時50分、休憩。15分の換気休憩ありて、芸談・随談コーナー。我々の質問に答えて頂くのだが、松鯉先生、「最近耳が遠いので」と急遽、

木積さんを侍らせて、番卒よろしくお耳に入れる。

松鯉「もうネタやるわけじゃないんで、アグラかかせてもらいます」
グッとくだける。

木積「歌舞伎の山伏問答は、講談からだそうですが」
松鯉「はい。渡辺保先生も、ご本でそう書いてらっしゃいますね。能の安宅と混ぜた、て。ただね、役者は、能から取りました、ばかり言って、講談には触れないのがねぇ」
と嘆息。旅のお供に読みかけの、岩波文庫から出たばっかりの郡司正勝校注『歌舞伎十八番の内 勧進帳』を持って来たのだが、そこにはちゃんと山伏問答を教えた伊東燕凌の名がありました。

木積「先生はこの勧進帳は、馬場光陽先生から習われたそうですね」
松鯉「滝野川にお住まいでした。五代目馬琴っていうスゴい先生の、兄弟子なんです。だけども、一度辞めて、で復帰する時に、師匠の二代目山陽の〔客分〕ってことで、一門になりました。それがラッキーでしたね。滝野川に、何日通ったか判らない」
木積「箙の梅、もそうですよね」
松鯉「はい。博覧強記で、テープ録らせないんです。ゆっくりやるからノートをとりなさい、て。いくらゆっくりやられてもそんなムリですよ。だから随分、苦労しました。言い立てが本当に、言葉自体がまず難しいですから。でも、やって良かったです」
木積「初めて聴いたのですが、頭の中でイメージがしやすかったです」
松鯉「ありがとうございます。
光陽先生は、稽古を始める前に仏壇に向かって、"ご先祖様、今から陽之助(松鯉先生の前名)に教えますから"って、拝むんですよ」
この、稽古前の儀式は、六代目馬琴著『講釈師 見てきたような……』にもあった。
松鯉「で、稽古終わりに、グラスで酒を呑ましてくれました。肴は乾きものでしたね」

歌舞伎役者時代の話に。
松鯉「中村歌門の弟子になりまして、この人は、二代目燕枝の伜なんです。珍しいですよね、噺家の伜が役者になるって。で、後に私が講釈師になって、歌門未亡人が、遺品の落語の本を段ボールで送ってくれたことがありましたよ」
木積「松鯉先生の男の花道も、役者の経験が活きているんですね」
松鯉「やはり愛着がありますね。
六代目貞丈先生が教えてくれました。男の花道という題でやってますが、名医と名優、本当は。でも、長谷川一夫の映画が当たりましたから、それ以降、男の花道の題の方が、得だから、って」
木積「なるほど、営業上の、ですね」
松鯉「そう。教わって良かったです。あの、直に教わると、その中に、故実や芸談込みで、教えてくれるんです。
例えば、歌舞伎の定式幕、江戸時代は今の逆から開けてたんです。そういう知識を教わりながら、稽古をしてくれました。貞丈先生も江戸時代の人じゃないから、誰かに教わったんでしょうけど」

稽古の話から話題は、伯山ティービィーでも映っていた、鶴瓶さんが弟子のベ瓶さんに稽古を付けてもらった、ありがとうございますと松鯉先生にお礼を言うシーンに。
松鯉「末廣亭で、上方の噺家が出た時に、彼が教えて下さいって言って来てね。惜しむことはないですからね」

上方の話から、トリイホールの話に。
木積「トリイホールのお稲荷さんに、松鯉先生の名入の提灯があって、ビックリしました」
松鯉「一昔前に、あそこの社長がよく呼んでくれまして、5年間ほど毎年独演会やらせて下さって。社長、今、山伏になったんだってね!勧進帳聴かせりゃよかった」
提灯は独演会やらせてくれた御礼として、寄付されたものだそうな。


客席から質問を募る。
Q「質問というか、お願いですが、此花千鳥亭に出演して頂きたいです」
松鯉「大阪の。小南陵さんってカワイイ女の子がやってる。
伯山がね、自分の席を持ちたい、て。まあ、力があるから、出来るでしょう、私は間に合わないけど。
私も実は、自分の釈場を持ちたい、て思ってました。けど、原資が無かった、ハハハ。
此花千鳥亭、大阪ですね。ただ、声が掛からないと行きにくいですよ、押し掛けるわけにはいかないですからな」

Q「どのお弟子さんに、勧進帳を受け継いで欲しいですか?」
松鯉「伯山は、教えてくれって、申し込みがあります。あの子は本当によく覚えられる。あんだけ忙しいのに、一番稽古に来ます」
木積「伯山さんのツイッターでの、今日はこの稽古をしてもらった、というのを読んで、初めて知る話がたくさんあります」
松鯉「やっぱり売れるには、アクティブで貪欲じゃなきゃダメなんでしょうな」
木積「伯山さんのお蔭で荒川十太夫も知れました。梶川与惣兵衛も、松鯉先生がキッカケですね」
松鯉「屏風まわしという題でやる人がいるんですが、滑稽味が強いんです。どうせなら、一直線でやろう、と梶川でやっています。
まあ、他にも弟子がいますから、みんなで分担して、受け継いでくれたら、満足ですね」

勧進帳の継承に就いて、松鯉先生は、

師匠(山陽)から教わった中で一番の大ネタは『天一坊』。師匠以外の方から教わったのが『勧進帳』で、やはり思い入れがある。だから、松之丞のようにあんまり砕いてやられるのは『勧進帳』に関しては嫌だね

と、『絶滅危惧職、講談師を生きる』のインタビューで答えられている。

歌舞伎でも十八番の内だし、あまねく人に『勧進帳』の存在が知れわたってるわけですから、あれをおろそかにはできない。『やっぱり歌舞伎の方がいいや』って言われたらおしまいなんですよ。歌舞伎もいいけど、講釈の『勧進帳』もいいねって、お客さんが言ってくださるようにやりたいわけですから。

同じく、前掲書より。

Q「乳房榎などの圓朝作品に就いて質問です。元は落語ですが、講釈師が演じるにあたっての心構えはありますか?」
松鯉「圓生を基にしましたが、少し変えました。落合の由来を、妙正寺川に直しました。事実ですので。あと、浪江に、基には無かったセリフを言わしています。圓生師匠が亡くなってから、直しましたね。
だから、そのまんまやることはないんですよ、自分の物に段々としてますね。これは弟子たちも、最初は教わった通りでやりますが、考えて変えていますよ。自分で考える、これが芸には必要なんですね。影法師、コピーだとダメです。
教わったものが、今、松鯉のネタになっています。自分の言いたい事を言ったり、合わないものはカットしたり。発展のないところに伝統はない。アグラをかいてはいけない」

Q「実は今日が講談2回目で、1回目は新歌舞伎座にゲストで出られた松之丞さんでした。今日はスゴく距離が近くて光栄です。講談はどれ位のキャパ、人数や広さ、が適していますか?」
松鯉「150~200人どまりですかね。かつての本牧亭が40畳でしたから。お客さんの目の動きや呼吸が伝わりますし、こちらの目の動きや呼吸も伝わります。高座と客席はコミュニケーションしているわけです」
このコミュニケーションを、松鯉先生は2020年に書かれた『人生を豊かにしたい人のための講談』で、シャボン玉理論と名付けていらっしゃる。

立ち読み、覗き見せずに買いましょう。

松鯉「マスクは目しか見えない、本当は顔全体が見えた方が、"分かりあえる"んです。しかし、いつになるかね、マスクが外せるのはねぇ。お上が色々さ迷ってるからね」
木積「お上で思い出しました、旭日小綬章おめでとうございます!」
拍手。
松鯉「ありがとうございます。人間国宝の時もだったんですが、コロナで天皇陛下にお会いしてないんです。お目通り、まだしてないんです。やはりね、時の帝ですからね、ご尊顔を拝し奉りたいですよね。私の今使ってるこの合引きは、浅草公会堂の裏の〔みかど〕っていう三味線屋で買ったんですけどね」

生憎コロナで休業中でした。

松鯉「浅草演芸ホールに出た時、最前列のお客さんが画用紙に『おめでとう』って書いて掲げてくれたのは、嬉かったですね。で、そのお客さん、客席振り返ってみんなに見せてくれたりしてネ。ああいう方がいると、励みになりますね」

そろそろお開きのお時間に。
木積「三度目の緊急事態宣言で、開催を迷ったんですが、やりましょう、と仰有って下さって」
松鯉「今日位スキマが空いてたら大丈夫でしょう。寄席でもこんなに空いてないですし。第一、木積君は大阪から来てくれてるんですから」
この後、寄席に行かれる松鯉先生を拍手でお送りして、昼3時45分、お開き。

松鯉先生が勧進帳に惚れ込んでいるのは、そこに男の美学があるからだそうな。

私の永遠のテーマです。『勧進帳』に代表されるような惻隠の情、武士の情け。そういうのが本来の男の美学だと思っています。

『演劇界』2019年10月号「歌舞伎と講談」インタビューより


終演後、木積さんと立ち話。コロナが本当に落ち着いたら、此花千鳥亭かトリイホールのあった千日亭でこの会をやっていただきたいです。
仇を恩で返す話、名人小団治や雲居禅師、または無筆の出世。
言えば叶うと信じて。またその時は、ケベンさんさして下さい。



附。質問会で出た、「ぜひ此花千鳥亭に出演して下さい」、2021年11月5日の『講談ひるず』で実現された。

席亭の小南陵さん、感極まった様子で、「色々思い悩みますが、また10年は頑張れます」と仰有られていた。嘆願をされた、かずくんさんも東京から来てらした。
2回公演だったので、合間に木積さんとお茶しに行く。
『このネタが聴きたい』は、テーマとして、
木積「実は、冬は義士夏はお化け、以外の時季に開催して、忠臣蔵と怪談以外の演目を聴こう、という会にしたいんです」
とのこと。こちらも10年は頑張って欲しい。