見出し画像

精一杯

結果を求める時期だ。

就活、研究、単位。
どう頑張ったかではなくて、どう結果が出せるかが問われている。

優しい人は、「結果がダメだったとしても、その経験はいつか役に立つよ」とか言ってくれるのかもしれない。

でも、今の俺にとって結果が全てだ。
いや、結果を出すことに必死で余裕がない。

いくら自己分析したって、内定が出なかったら何の意味もない。

いくら勉強したって、単位が出なければ卒業できない。


今日で、ラボに来て1週間が経った。

まだ、先輩の名前もわからない。というか自己紹介もされてないしする気配もない。

それに何も感じずただ仕事をこなしている人が信じられない。同期も、先輩も。

全く好きになれない。所詮はガリ勉か。

大学受験が終わって京都大学に入った時、父に言われたことがある。

「お前は2度と京大の肩書きで語るな。」

父の言うところは理解していたし、実際正しいと思っていた。でも同時にこうも思っていた。

「でも学問では日本のトップに立てた。」

今思うと、人間の要素の一つである学問の力を過大評価していた気がする。

自分でやってきて分かったのは、学問の力を身につけるのは他の力に比べて簡単だということだ。

やればできるし、評価も正当にされやすい。
(やらなければそれ相応の評価にはなるが。)

いつからでも始められるし、どんな環境でもできる。


だが人の持つ他の能力はどうだろうか。例えばコミュニケーション能力。まず孤独の中で身につくことはない。努力に応じた評価がされるとは限らない。

判断力。自分が判断を要するような状況に置かれなければ物にならない。

でも、今の社会は学歴社会とも言われる。人の要素の一つでしかない学問の力が重視されているのだ。

そしてその環境に甘んじているのがいわゆる“ガリ勉”と呼ばれる人々ではないだろうか。

自分は勉強できるからそれでいい。

問いたい。お前から勉強をとったら何が残る。

今の俺にとって、誰とでもすぐ仲良くなれるような人の方が、最新の研究で新しい発見をした人よりも価値が高いように感じる。

1つの才能よりも、複数の能力のほうが人間として魅力的に見える。

ジェネラリストの考えだろう。

俺の求める結果は、そんな人が沢山いる環境に身を置くことだ。

何が辛いって、結果は6月にならないと出ないことだ。

しかし、社会に出て結果がいつ出るかわからないなんていくらでもある。今は試練の時だ。

そのために、今は努力しよう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?