Pumpitも終わってはや1ヶ月。



就活が始まって、研究室も始まって、正直手一杯。



色々疲れて、そうだ桜を見に行こうってなって鴨川で一服。



過去を振り返る。



Pumpitに入って、カンボジアの子どもの温かさと現状に触れて、彼らのために何ができるか考えるきっかけになった。



世界の貧困を知りたいと思ってアフリカまで行ってその現実にショックを受けた。




飲食だけじゃ狭いと思って単発派遣バイトをして、社会にいろんな人がいることを知った。



NFをやって、カンボジアツアーをやって。



コロナが来た。やりたいことができなくなった。それでも時間はあっという間に過ぎて。



気づけば3回後半。就活に全振りして単位がボロボロになって教授に怒られた。これは自業自得か。



1年の春、大学生活で色んなことをやってみたいと思って体育会をやめた。あの2年前の自分が今の自分を見たら何て言うんだろう。



色んなことが出来た。自分が思っていた以上に。地球の裏側まで行くなんて想像もしていなかった。あんなにカンボジアの子どもを好きになれるなんて。色んな人に出会えて、色んな経験をして自分は本当に恵まれた環境にいたと思える。



就活を始めて自分が何したいのか考えた時に、一番先に出てきたのが途上国の発展に携わることだった。世界にはただそこに生まれたという理由だけで恵まれない環境にいる人がいっぱいいる。そんな人達を救いたい。



でも、それが良いことなのか分からなくなった。救いたいだなんて先進国のエゴで、彼らの幸せは別の形であるんじゃないか。相手側の視点を失っているんじゃないか。そこからどんどん崩れた気がした。自分がやってきた行動、全部無駄。自分のエゴでやりたいことやって周りに迷惑かけて、自己満足した子供。



もしあの時Pumpitに入らなければ、普通の大学生活を送っていればこんな思いを持つことも今こんな苦労することもなかった。後悔と虚無。



人と疎遠になったことも相まって、先が見えない中負の感情がぐるぐる回る。



でも。あの教室があったことで彼らの環境が良くなったのは事実だ。なんで教室が足りないのか、なんでインフラが整ってないのか、何で日本より水準が低いのか、その根本的な解決が出来なくても、学生ができる精一杯のプレゼントを贈ることが出来たんじゃないか。そう思わせてくれたのがあの子供たちの笑顔だった。あの純粋な笑顔は本物だ。



途上国支援に正解はない。利益を求めたら救えない人が出てくるし、貢献心からでは持続性がない。



生き方に正解はない。どうすればよかった、そんなこと考えても答えなんか出てこない。何より、あの時自分の意思で選んだ行動を否定したくない。



迷惑ばっかりかけている。この間もダラダラくだらない話に付き合わせてしまった。ラボの先輩にも手を焼かせてしまっている。



全部エゴだ。だからせめて感謝を。一緒に飲みに行ってくれる人、遊んでくれる人、話を聞いてくれる人、先輩、教授、周りの人全部。



自分はこう生きたい、こうありたい、そのエゴを貫くわがままを許してほしい。



1年後の自分を見たとき、後悔のないように。



とりあえず単位を取ろう笑

2021.4.3 キティ

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