_鎌倉と室町から私たちが学べること_鎌倉は武士の強さの象徴_室町は乱世を作ったと覚える_歴史が全くわからない人シリーズ3_

【鎌倉と室町から私たちが学べること】鎌倉は武士の強さの象徴、室町は乱世を作ったと覚える。歴史が全くわからない人シリーズ3。

はじめに

この記事は歴史が全くわからない人が5分で鎌倉時代と室町時代をざっくりと理解できる内容になっています。前回のシリーズはこちらの記事です↓



ここまでのおさらい(縄文から平安まで)


縄文時代は争いのない平和な時代、農耕が発達して貧富の差が現れて争いが起きるの弥生時代。
ムラとムラが争い大きな邪馬台国が統一し大和政権になったのが古墳時代。
古墳時代に法律を作って天皇を中心とした中央集権的国家を目指したのもこの頃。
全ての土地は天皇のものとして借りている国民には重い税があった。
奈良時代に入り、税収が少なくなったこと墾田永年私財法を設立し、自分で開拓した土地は自分のものにできる法律を作る。
自分の土地を守るために武士ができるようになる。
平安時代に入り天皇とその親族がつく摂関と貴族が国を支配していた。
しかし天皇家の間に確執が生まれ武力を伴う代理戦争をしたり、力を持った武士が反乱するなど次第に武士の力が台頭している。
平安の最後は武士の平氏と源氏が争い源氏が勝利して源氏が鎌倉幕府を設立し平安時代の幕が閉じる。


というところまでが前回までのおさらいです。


【結論】鎌倉時代は武家が強いことを表した時代


源氏が鎌倉幕府を開いたのは1192年と思われる人は未だ多いと思いますが、今は1185年というのが有力な説です。
「いい箱(1185)作ろう鎌倉幕府」と覚えておきましょう。
源頼朝(よりとも)が鎌倉幕府を作り源家は強い勢力でした。
しかし源家は3代将軍で血筋が無くなってしまいます。
その時有力な権力を持っていたのが武家の北条氏でした。
武家の北条氏が権力を持つことを面白くないと思った公家の後鳥羽(ごとば)上皇は反旗を翻します。

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