持たざる者が持つものに対して感じること
医者になって1ヶ月が経とうとしている。
相変わらず、周りに翻弄されている自分がいる。
カルテの書き方、オーダーの出し方、アセスメントの付け方、それはやはり大事だし、当直もとっても疲れるし忙しい。
でも、それはどうやらわたしの中の意識の幹を成していない。
では、、
何が自分の意識の幹を成しているか。
それは彼らの働き方や生活をみて色々思ってること。
それがわたしの中の今のモヤモヤの根幹を成している。
自分は歯学部からの学士編入で、実質6浪換算だから、同い年くらいで6学年くらい上の上司はゴロゴロといる。
また、少子化の真骨頂というべきか、医局には私よりも1周りも2周りも上の先生もゴロゴロいる。
何が一番気になるかといったら、職場で各々の家族のことを互いに感じたり、比較して、干渉しながら仕事をしているということ。
私は家庭を持っていないが、なんとなくとても窮屈に感じている。
毎日、サラリーマンとしての勤務医生活と夫婦生活、または子育てをして、病院での朝から晩までの仕事に翻弄される日々を彼らは送っている。
ふと湧く疑問は、彼らは毎日ラットレースのような人生が嫌になることはないのであろうか。
ということである。
おそらく、彼ら、彼女らのなかで、私と同じように窮屈に感じている人もいるのだろうけれど。
かくいう私は、このような研修医生活が始まり、6年前の研修歯科医1年目の状況を思い出した。
自分の両親は歯科医院を経営していて、あのまま行けば実家と歯科医院とを往復する人生だった。きっと。
でも、その窮屈さ、自由のなさに、いてもたってもいられなくてもう少し、モラトリアムをしたくて、、そう、医学部に編入したのだった。
まさに、6年前の私もやっぱり、今と同じ心境だったかもしれないと。昨日ふと思い出した。
今のわたしの心の声に忠実に従うのなら、わたしにはやっぱり、一般に言う、普通に医局に入って、普通に専門医とって、普通に家庭持つみたいな型にハマった人生はおそらく送れないんだろう。
そう感じた。
研究者になって、海外行くとかそういう人生設計になっていくのかな...と。
大学生活を10年くらいしてみてやっと気づきつつある。
やっとね。
わたしだって。
型にハマれるなら普通の人生送りたかったよ。とね。笑
人生はそう簡単なものじゃない。
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