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210929 BLSSDさんによる GoldenChild 自我探し三部作 後記 訳メモ

BLSSDさんのInstagram投稿より


Golden Child

Re-boot trilogy

他の歌手たちの曲というものは特にアイドルの領域では自分のものであると同時に自分だけのものではない気分を同時に感じる。なので私の考えを吐き出すには慎重な面が大きく、なにせすべてのコンテンツは聞いて見るこれらの解釈通り消費されることを願う心も少しあって、ただ通り過ぎたいという気もしていた。
だけど三部作という選択はイ・ジュンヨプ代表の選択であると同時にそれを解き明かす機会を私にくれたので、普段の曲とは違って私の考えが深く関与され、ちょっと書き留めておこうとしている。インタビューも惜しくて、自我を見つけたのか(?)という質問もあったし以前はアイドル音楽に大げさな意味を付与すること自体がおかしい事のように感じていた人たちが今はなかなか真剣に受け入れようと思ったりもするから


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ずっと前から素直で純真な子たちだったし相変わらずそうだったので音楽的に違う場所へと連れて行ってあげることができるのか私も気になっていたし、デビュー前の作業の時に感じていた残念な点たちを想像しながら反対に作業した。そうして一つでも助けになったならという気持ちで、ほとんど似ていても異なるスタイルの曲を3曲送ったし、幸い運が良いことに気に入っていただけてそれを三部作としてまとめてほしいという返事を聞いた。当然彼らから感じられるのは「成長」だったし、それが彼らであり私の自己実現と夢に対する物語として解くことができるいい機会となった。
三部作の「世界観」(?)に対する内容は理由を大げさに羅列するには意外と簡単な内容だ。断言すると私は自我の完成という結果よりは、どんな存在になろうとして、どのような人になろうとする私そのものの過程を込めたいと思った。そして完成(?)を早く自覚することができない姿も。綺麗だが難しい単語で複雑な世界を説明するのではなくて、慣れた言葉でじっくりと考えられるようにしたかった。


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Re-boot.

(数多くの領域の努力がイメージだということを決定するので私は音楽に対してだけ話すのみだ。)とりあえず長いこと見できた子たちであり、Re-bootというコンセプト自体が彼らに以前とどれほど違う意味を持たせておかなければならないのかを理解した。だから似ていても異なる曲でなければならなかった。同時に「彼ら本人たちが望む何か」。このような姿も見せてあげることができるということを濃く表現して出さなければならなかった。
私は個人的にプロデューサーがしなければならない一番重要なことは彼らのキャラクターを見つけられるように助けることなので、以前に長く作業した子たちもそうだったが堅い方式よりは、自分がこのように歌うときもっと魅力的だということを分かるようにしたかったし長くかかって複雑な作業だった。
私の判断が完成されていく過程を各自に聞かせて、それがまた自分になるように助けること。惜しいことも多いが実際に三度行って(デビュー前もあるけど)もっとそれぞれらしい口調で見つけたことに満足する方。


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Trilogy.

私たちは皆熾烈な夢を見て生きている。初めて夢を見るときの覇気と強烈さがそうだし(Wannabe)初めて挫折を経験した際の虚しさがそうだし(Without you)結局夢を見ることに酔って中毒になり夢をずっと増やしていき育てていくだけで、私が初めて夢を見始めた時を忘れるものだから。
欲は終わりがなくて、私が望むものを既に持って成し遂げても、既に夢の大きさが変わっていたり、目標が遠くへ行ってしまって依然としてずっと不幸な人もいる。(夢や目標が?)小さくても大きくても、私が本当に望んだ瞬間に向き合いながら、また通り過ぎながら成功を満喫したり喜べていなかったかも分からないことも。
結局、自分がどこにいるかを自覚して認知する、結局は一つの私(One)と出会う過程が重要だ。


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私たちが上がったり下がったりして苦痛なことでもある深い夢から覚めて、夢は反対だと叫び自分の現実がどれほど美しいか振り返ってみることもしてみながら、私が限りなく海に墜落したような気分がもしかするとより高く静かで一定した、事実その中は不安定に満ちた完璧なような海を既に飛んでいるところなのかもわからない。

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それで私たちは手に入れたい私の姿と、(Wannabe)挫折して空虚に届かない私の姿と(Without you)、もしかしたら私のものではなく私の行き過ぎた欲なのか。もしかしたら既に持ってしまったものかも分からない私を振り返るという過程を繰り返してこそ前に進むということ。あるいはもっと良くなっているのか、わからない。
夢を見て、目覚めてを繰り返しながら眠りに就いて目が覚めてこそ、一日を作って再び夢が見られることのように。


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夢の大きさと関係なく今日一日を無事に送るのが夢でも、夢見ること自体が重要だということを表現したい三部作だったみたいだ。
夢を見なければいけないという負担も、夢から必ず覚めなければいけないという負担もなく、この無数の変化の中で私を閉じ込められるものはなく、それがだれかを害する領域でなければ続けて夢を見ることができなければならないと感じる。
昨日と明日の無数な変化の中にそれを受け入れる私。
それを探すのが私の主題だった。


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