僕は「ハガキ職人」と名乗らない

 ただラジオを聞いていた頃、面白いメールを読まれているリスナーに憧れていた。あんな面白いことが考えられるなんて、あんな痛快な悪口を響かせられるなんて。最高に面白い、天才だと思っていたし、各番組のエースとして君臨するような方を神のように崇めている節もあったかもしれない。
 今でも勿論、尊敬している。だが、その「尊敬」は、少し変わった。

 自分でちょっとメールを送るようになったり、数多くラジオを聞いて仕組みを理解していく中で、あることに気づいた。それは、メールというものは作家・ディレクターといったスタッフに選ばれて初めて命が宿るということ。どれだけ面白いと思っていても、選ばれなければただの「紙くず」。勿論、面白いメールを書くリスナーも凄いのだが、それを選び、流れに合ったメールをチョイスするスタッフ、そしてメールの意図を汲み、読んでくださるパーソナリティの方がいることで初めて「メール」は成立する。

 だから、「尊敬」は面白いメールを書いたことに払うべきで、その人のことを神格化することじゃない。良いメールはリスペクトするけど、良いメールを書いている人が偉いわけではない。僕はこう考えるようにしている。

 リスナーの論争を見ると、「せっかく面白いラジオ番組なのに、番組と関係ないところでリスナーが離れていくのが本当に勿体ないな」と思ってしまう(今回は番組で煽っていたので特殊例かもしれない)。
 番組はパーソナリティとスタッフが「作り手」で、投稿している人は勝手に手伝ってるだけ。SNSの投稿は勝手に盛り上がってるだけ。出来あがった「番組」を楽しむのと、ネット上の云々、リスナー同士の云々は別物になって欲しいなと思う。

 それで、「職人」と名乗るほど専門的に極めてるわけでもないし、ハガキで投稿しているわけでもないから、僕はハガキ職人とは名乗らないようにしている。多分守れてるはず。
 こんな僕に対しても「メール面白かったです!」なんて褒めて貰えることがたまーにある。お世辞かもしれないけど、「尊敬してます」なんて言われることも本当にたまーにある。
 それに対して、「ラジオ聴きは平等ですから!」ということもあるけど、完全に否定はしたくないなという気持ちもある。ラジオをただ聴いていた頃の自分を考えると、憧れのあの番組で読まれている人に尊敬する気持ちは分かってしまう。
 なので、送ったメールに対するリスペクトは認めて、「ありがとうございます!」というのが良いのかなぁと思っている。今は。

 読まれたメールにはリスペクトを。
 ラジオ番組は番組として楽しんで、ツイッター上では気が合うなら仲良くしたらいいんじゃない。そんな感じで。

 とある「お笑いのプロ」のnoteに影響されて、小生意気な文章ですが書いてみました。
 えっ、最近お前メール読まれてないだろって?はい、頑張ります。

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