何にでも半チャーハンセットを付けるので煙たがられている人


人生、ではなく、人生の半チャーハンセット、だと思ったらいかがでしょうか。あなたの人生はあなただけのものではない。半チャーハンも付いてきている。見えていないだけ。そう考えてみる。


半チャーハンセットというのは実に気持ちがいいですね。なぜなら、例えばラーメンが美味しくなくても、半チャーハンがある。いわば保険です。最終兵器的に半チャーハンが控えている形。我々の人生もそうです。


我々は、もしかしたら満足のいく人生を過ごすことができないかもしれない。それを皆さんは悲しいことだと思うかもしれない。でも、我々の後ろには半チャーハンが控えている。そう考えると、気持ちが楽になる。


我々の祖先はどのように考えたか。人間には使命がある。必ずある。あるはずだ。その使命ーーー生きがいと言っても良いでしょうがーーーそれを見つけようと躍起になる。神は何のために私を創りなさったのか。


神はあなたを創りました。しかし、神は保険をかけておられる。あなたを創る際、プラス150円。そうすることで、あなたは半チャーハンセットになる。万が一あなたが思うような働きをしなくても、半チャーハンが付いてくる。


いいですか。人生はデタラメです。確かなものは、ない。強いて言うならば、確かなのは半チャーハンです。我々の意識、脳が作り出した意識の、半チャーハンセット。かつてデカルトが問うたのは、そういうことです。カントが問うたのも、そうです。我々は何を認識しうるか?確かなものとは何か?


皆さんは高校を卒業したかもしれない。卒業していなくても、構いません。大した問題ではない。高校には学費を払っていたでしょう。卒業式、あなたは何を貰いましたか。卒業証書だけでしょう。しかし、それはやはり、おかしい。高い学費を払っているんです。卒業証書の、半チャーハンセット。それを受け取るべきでした。半チャーハンをほおばり、涙を流し、ほおばり、卒業していくべきだった。それでいい。人生を肯定するんです。天球の音楽です。


そう考えると、ヤルタ会談に半チャーハンが呼ばれていないのはおかしい。間違いなく、半チャーハンも呼ばれるべきでした。違いますか。チャーチル。スターリン。半チャーハン。そういう並びにすべきだった。我々は敬意を示すべきでした。世界は、ただ存在しているのではない。いわば世界の半チャーハンセット。世界が滅びた後、控えているのは半チャーハンに他ならない。違いますか。


いろいろなことを見直すべきです。日本の冬は寒い。そう考えると、半チャーハンが靴下を履いていないのはおかしい。どうして、軽んじることができるでしょう。半チャーハンは、我々のために控えているのに。おかしいことだらけです。大阪大学に入学したのに「大阪大学」と刻印された半チャーハンがもらえないのは、おかしい。ツーブロックがかっこいいみたいな風潮は、おかしい。そうでしょう。


私だけが正しい。そう思っていませんか。しかし、そんなことはないのです。あなたは半チャーハンとニコイチの存在です。半チャーハンは、チャーハンを半分にしたから半チャーハンと呼ばれているわけですが、だとすれば、もう半分のチャーハンはどこに行ったのでしょう?皿に盛られず、客の前に出されない、もう半分のチャーハンは?どこに消えたのでしょう。その行方を追う必要があります。


世の中には、半チャーハンセットにできないものが多すぎませんか。だいたい、半チャーハンといえば、ラーメンとか、そういうものにしか付かない。それはおかしい。


愛とは何でしょう。私たちはどうして、キスをするときに目眩を覚えるのでしょう。繋がったという感覚が、ただ口と口との接触に過ぎないのに、感じられるのでしょう。愛の半チャーハンセット。離婚だ離婚だ!お前となんかやっていられるかの半チャーハンセット。キッス。キスが、キッスになると、途端にダサくなるのはなぜでしょう。分からない。いいですか。世界はデタラメです。それだけは覚えておきなさい。

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