人はなぜ日記


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どういうことなのだろうか。説明をして欲しい。納得した回答が返ってくるならば、お金を払ってもいいと考えている。




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何かの行動の主体が人間であるとき、完全に意味を持たない行為など存在しない。我々が何かしらの行動をとる際、我々はその行動の意味から逃れることはできない。


仮に「何も意図しない」と考え、いかにも自然発生的に行動が生じたとしても、そこには「何も意図しないという意図」が発生しているのである。


とすると、卓球ラケットを持ち手と本体が別れるように折ったもの、あるいは何かの拍子で折れてしまったものを、タイヤ館の目の前の歩道に捨てるという行為にも、当然意味があるということになる。


幾つか可能性を列挙していきたい。


1. 卓球部の痴話喧嘩


かなり濃厚、というか、殆ど正解と言って差し支えないと思われる。


前提として、卓球の試合において選手が相手を威嚇するシーンが多く見受けられることから、卓球部はきわめて気が短いことで有名である。


一昔前までは「サー」という威嚇が一般的であったが、最近では「シャー」「ハウッ」などバリエーションに富み、しまいには「チョレイ」という威嚇まで現れている。どういうことだ。


さて、卓球部は気が短い上に威嚇の独自性に固執しているという点、そもそも卓球ラケットを所持しているのは卓球部以外にいないという点から、犯人は卓球部以外にありえない、という推理が成り立つ。


しかしながら、キャプテン翼における名言「ボールはともだち」にも見られるように、何かを志す者にとって道具は大切な存在であるはずだ。


本当に卓球を愛しているなら、決してラケットを折りはしないし、折れたラケットをタイヤ館の前に捨てはしない。捨てることなく、お墓を作る。お盆には大好きだったワックスを石碑に塗りたくり、「めちゃくちゃ光ってる墓ありません?」と墓参りに訪れた人たちを脅かす。それが卓球部というものだ。


すなわち、心から卓球に燃えている卓球部が道具をむげに扱うことなどありえない。このことから、犯人はただの卓球部ではなく卓球部のメンヘラ、ということになる。


卓球部のメンヘラが「アタシとこれ(ラケット)どっちが大事なの?」という生物 or 無生物の二択を迫った挙句、二度と使えないように持ち手の部分から折ってしまったのだ。そして、タイヤ館の前に捨てた。


可能性としてはかなり濃厚だが、「なぜタイヤ館の前に捨てたのか」という疑問は残る。そのため、次の候補ではその点も考慮に入れてみた。




2. あいみょんのラケットだった


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うん





3. 卓球ラケット破壊Dremer が僕の名さ




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まとめ


後半、本当に何も思いつきませんでした.........


皆さんには、何も思いつかなかった結果、Youtubeのスクショに卓球ラケットの切り抜きを貼り付けるような大人にはなって欲しくないなと思います。日記なので大目に見てください。


さてと、今日はかなり眠りたいと思います


終わりです


(おわり)

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