タワー・オブ・テラーの無毒化こそ毒である


最近すごくディズニーシーに行きたい。あの世界観に身を浸したい。あの幻想的な空間。


少し前までは、そんなことは思わなかった。ディズニーシーと言えば、友人に誘われたらまあ行くか、といった程度のもので、自発的に行きたいと思ったことはこれまで一度もなかった。

それに、せめてランドだろ、と思っていた。高校生くらいになると、みんな大人びてきて「いや勿論シーでしょ」みたいな態度になってくる。何となく、ランドは子供でシーは大人というイメージがあるのだろう。雰囲気に騙され本質を見落としている。


私の言う本質とは、大体こういうことだ。

ディズニーランドの方が、はるかに、アトラクションが怖くないのである。


私は、絶叫系アトラクションが嫌いだ。まったくもって、その良さが分からない。


絶叫系アトラクションというのは、スリルのない日常を送っている人たちが、スリルを求めて乗るものなのだ。ヒリヒリするために乗るのだ。二人の息子を自立させ、縁側でお茶をすすりながらぼーっとする時間ばかり増えた主婦が、ああ、いけないいけない、と思って乗るのがタワー・オブ・テラーでありレイジングスピリッツなのである。


しかし、当時の私は日常に満足していた。絶叫しなくても、それなりに刺激的な毎日を送れていた。


だから。


だから、当時の私は、あんなことをしてしまったのだと思う。




18か19歳の夏、私は友人に誘われてディズニーシーに行った。このときも、私は消極的だった。家で遊べば良くない?スマブラあるし。あとせめてランドだろ。そう思っていた。入園してすぐ、友人たちは小走りし始めた。どうしたの?と聞くと、彼らはこう答えた。「タワー・オブ・テラーのファストパスを取るんだよ」


わけが分からなかった。当時、私が持っていたタワー・オブ・テラーに対する見解はこうだった。タワー・オブ・テラーは、ただ臓器を揺するだけ。それだけのアトラクション。何の面白味もないし、多分だけど、人体にも悪い。


そのため、タワー・オブ・テラーのファストパスを取るという行為に対する、私の見解はこうだった。ファストパスを取るのは、心臓を痛めるのを前倒しにするだけ。心臓というのは、痛まないに越したことはないのにである。


また、走るという行為もやや心臓に負担がかかるだろう。入園して即、タワー・オブ・テラーのファストパスを取りに走る。早めに心臓を痛めに行くために早めに心臓を痛めている。


それに、どうせファストパスの時間になってタワー・オブ・テラーに向かう際も、やばい、間に合わない、と走ることになるのだ。早めに心臓を痛めに行くために早めに心臓を痛めて、なお心臓を痛めながら心臓を痛めに行く。いいだろうか。


私は、そこまでしてスリルを得たくない。私は、今の生活に満足しているのだ。しかし、結局私たちはファストパスを取得し、時間になるとタワー・オブ・テラーの列に並んだ。ファストパスとはいえ、さすがは人気アトラクション、それなりの行列になっていた。


我々はしばらく他愛もない話をしていたが、次第に話題も尽きてきたので、スマホで大富豪をすることにした。


皆さんにとってどうかは分からないが、私にとって、この大富豪はディズニーあるあるそのものだった。ディズニーには親しい友人と行くことが多いので、行列に並んでいるうちに話すことが無くなり、大富豪をする。最悪、大富豪をすればいいじゃん。私たちのディズニー旅行は、こうしたマインドによって支えられていた。


スマホから顔を上げ、辺りを見回すと、幅広い年代の人がいることに気付く。その意外な共通点は、スリルを求めていること。ヒリヒリしてえ、という気持ちに頭を支配されていること。


本当に変な人たちがいるものだ。ここにいる人たちは、実はとても気が合うのではないか。いっそ、タワー・オブ・テラーの行列で婚活をするというのはどうだろう。いいと思う。盛り上がったらそれでOK、ウェディングロードまっしぐらだし、盛り上がらなかったら、大富豪をすればいい。大富豪をすればいいじゃん。だいたいの婚活は、結婚に結びつくか/結びつかないか、二つに一つだけど、そんなの疲れてしまうよね。大富豪をすればいいのだ。


あれこれ考えているうちに、もう少し、というところまで来てしまった。目前になって、私は怖くなった。そこで「タワーオブテラー 怖くない 方法」と検索をかけてみた。すると、これがなんとヒットした。たしか「手すりに掴まり、上方向に力を加え(椅子と体を密着させ)、口を開けながら上を向く」というような方法だったと思う。これで怖くなくなります!とのことだったが、私は、ほとんど都市伝説のようなものだ、と思っていた。


しかし、いざ乗車すると、本格的に怖くなってきた。以前乗った時の記憶が蘇ってくる。私は、やはりこういうアトラクションが苦手なのだ。着席してすぐに、私はネットで見た方法を実践していた。お守りのようなものだ。少しでも気休めになればいい、と思っていた。アトラクションが動き始める。恐怖のエレベーターは、激しく上下した。周りから悲鳴が上がる。しかし段々とエレベーターは本来の動きを取り戻していき、そしてついに、呪いが解けた。出口が開く。友人たちは、面白かったね、と嬉しそうな顔をしながら出口の方へ歩いて行った。


私もゆっくりと立ち上がり、彼らを追いかけるようにして出口へと向かった。





まったく、怖くなかったのだ。





少しも。悲鳴が馬鹿らしく思えるくらいに。怖くなかった。私にとって、それはただのエレベーターだった。シリキウトゥンドゥは呪いをかけるどころか、ただ純粋に、エレベーターガールとしての職務を全うしているように思えた。上から下へ、私たちを運んでくれただけ。


問題は、アトラクションを終えた後の、私の心にあった。私は、途方もない無力感に襲われていた。タワー・オブ・テラーに乗るために、私たちはファストパスを取り、長い列にも並んだ。では、その成果として、私は何をした?エレベーターの使用。これだけである。大富豪で暇を潰して、エレベーターに乗る。通勤?


違う。ここは夢の国であって、雑居ビルではない。私の非日常であって、日常ではない。しかしインターネットは、私の魔法だけ解いてしまったのだ。


私は何をしに来た?私だけ、夢から覚めてしまった。ここにあるのは全て人工物だ。ミッキーはいないし、シンデレラもいない。ここは夢の国ではない。日本だ。島国だが、経済大国だ。だからこんな施設を作ることができた。


僭越ながら、皆さんに忠告させていただきたい。手すりに掴まり、口を開けながら上を向いてはいけない。エレベーターに乗るだけなら、メガドンキでもできる。しかし、メガドンキには無いものを、あなた方は求めているのだろう。当時私が行ったのは、他でもない、夢の国のメガドンキ化だった。私は一つ、非日常を失ったのだ。


私たちは、夜遅くまで遊んだ。友人たちは、また来ようね、と笑っていた。私は、早く家に帰りたかった。


帰りの電車は、サラリーマンで溢れかえっていた。疲れているのか、彼らの目に光はない。くたくたになって、体を揺らしながら眠っている。私は思った。私は、実は彼らととても気が合うのではないか。いっそ、ここで婚活をするというのはどうだろう。いいかもしれない。盛り上がったらそれでOK、ウェディングロードまっしぐらだし、盛り上がらなかったら、やはり、大富豪でもすればいいのだ。


(終わり)

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