右ハンドルの外国人にファックと言われた話


以前、自転車でバイト先に向かっている道中、信号待ちをしていたら車に乗っている外国人と目が合い、その数秒後にファックと言われたことがある。中指も立てられていた。しかるのちに、彼はウィンカーを出し、右折した。私は。私は、絶句したまま直進した。


fの発音方法を知っているだろうか。下唇を噛むのである。そして弾く。音声学的には無声唇歯摩擦音という。彼は私と目が合い、わずか数秒のうちに下唇を噛むという決断を下し、噛み、弾き、摩擦、ファック。この世には圧倒的な理不尽が存在する。


あれから一年が経つ。振り返れば、貴方はおかしかった。少なくとも一年前の時点では。どれだけ考えても、行動すべてが分からない。


たしかに、都心と比べれば、外国人を見かける機会は少ないかもしれない。しかし、貴方は一見すれば、日本車に乗ったごくありふれた外国人だった。そして目が合った。ここまでなら、私は母親に報告しない。「今日ね、外国人と目が合ったんだ」「そうなんだ」 終わりだからである。


だが、目が合うだけでは済まされなかったのだ。そうなんだ、で終わるような話ではなくなってしまった。


まず、私にファックと言うだけの十分な理由が無い、ということを指摘させていただく。私と貴方は目が合っただけ。それも数秒。それだけでファックと言われる。さらに中指まで立てられる。死ねの欲張りセットみたいなものを食らっている。これはおかしい。


まだ続く。もう終わると思っていたなら見立てが甘い。私はこの件について、上下巻の本を書くことさえできる。上中下、でもいい。これはカラマーゾフの兄弟と同じボリュームである。皆さんには大学の夏休みを活用して読破していただきたい。


次に、彼が私にファックと言った後、ウィンカーを出して右折したことについてだが、これに関してはもう怖すぎる。人に死ねと言ってすぐ「自分右行きます」じゃないんだよ。非倫理と倫理を連続させるな。倫理という概念そのものが揺れ動くだろ。


腹が立ってきた。ファックと言われた理由さえ分からず、ウィンカーを出されている。いや、ウィンカーを出すこと自体は正しいのだが、その直前にファックと言われているからその正しさすら腹立たしい。そして、右折で逃げられている。いや、右折すること自体は正しいのだが、というかその車線に並んだ時点で右折しないとか、ないのだが、ファックと言われているから逃げられたと感じてしまう。


そもそも、私にファックと言って右折して、どこに向かうんだ。その場合の目的地ってどこになるんだよ。お昼時だったから、牛丼屋とかになるのかな。近くの吉野家とか、すごく目を見て接客してくれるけど大丈夫?社員教育が行き届いていればいるほど死ねって言うの怖すぎるよ。一人だけ反比例なんだよ。


あと思い出したけど、乗ってたの日本車じゃなかった?右ハンドルだったし。なら確実におかしいよ。流暢な英語でファックと言ってる外国人が右ハンドルなの自己矛盾だよ。運転席が右なのに中指なんか立てるな。まあまあ日本に染まってて、偶然目が合った私にファックじゃないんだよ。


右ハンドルだったために、本場の人間による正真正銘のファック、といった感じが損なわれてしまっている。左ハンドルだったら、まだ行動に一貫性がある。ファックと言われても、なるほどねと思う。まあ筋は通ってるねと。それだけに、右ハンドルが悔やまれる結果となった。



右ハンドルでなければ、ファックに厚みが出たのだが。そんなことを考えながらバイトを終え、自宅に帰った。母親にただいまと言い、今日あったことを報告する。



「今日ね、外国人にファックと言われたんだ」「そうなんだ」



そうなんだなんだ



(終)

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