うどんを殺してしまう飲み会


飲み会が嫌いだ。


第一に、私は酒が飲めない。アルコール度数3%の酒でも、少し飲むだけで頭痛になってしまう。そもそも酒はかなり不味い。得がない。


さらに、酔った人間の多くはたがが外れる。たとえば、成人式後のクラス会では、酔った男女が肩を組んでいた。肩の肉に食い込むように。組むというより掴むに近い。触れるというより理解するに近い。


元クラスメイトの男女が確かめ合うように肩に手を置いている。そして私はそれを視認している。これほど悪い状況はない。


私はその場から逃れるために席を立った。座席は男子と女子に分かれており、立つと女子側の席を一望することができた。鍋料理のコースだったので、鍋が見える。鍋の外に、うどんが落ちている。落ちまくっている。


うどんって普通、落ちたら拾いませんか。もうそういうところから分からなくなっているのだ。青春を共にした女子たちはもう、落ちたうどんすら拾えない。


彼女たちとは実に多くの思い出がある。


あの子は字がとても綺麗だった。書道を習っていないと聞いて、すごく驚いたのを覚えている。


あの子は合唱コンクールの時、とても熱心に歌を練習していた。クラス全体の士気も高めてくれて、おかげで良い合唱になったと思う。


そんな思い出を抱きしめてここに来た。しかし懐かしむ間もなく、うどんが殺されてしまった。殺された、という表現で差し支えないだろう。鍋の外に出され、存在を忘れられている。これほど短いスパンで二度死んでいる。


そこから目を逸らすと、互いの肩を理解しようとつとめている男女。お互いがお互いの肩を触り「肩が存在しているね」と思い合っている、通常ありえない男女。


さらに目を逸らすと、煙草を吸っている女子と目が合う。「イェーイ」と煙草を持っていない方の手を私に向けてくる。ハイタッチしろ、ということなのだろう。煙が細くたなびいている。ハイタッチに応じる。


何が成人おめでとうだ。二十年生きてきた成果が、うどんの黙殺か。異性の肩の実存証明か。どういうことだ。今のは、何のハイタッチだったんだ。もう何もかもが分からない。


視線を戻すと、相変わらずルーティンみたいに肩を触り合っている。男の方は小学生の頃からよく遊んでいた友人だ。眼鏡をかけたアフロヘアーなので、音楽をやっていないと辻褄が合わないのだが、無職だそうだ。


その彼が肩を触っている子。彼女、あんなに字が上手かったのに。書道を習わずにこの完成度?と仰天した思い出を、私はどうすればいい。どの棚に仕舞えばいい。


今も字は上手いのかい。きっと上手いんだろうな。でも残念だ。もう字とかじゃないぜ。肩を触り、肩を触られている君が今「肩」と書いたらどんな字になるかな。上手いんだろうな。本当に残念だ。もう絶対に、字とかじゃないんだぜ。


うどんを黙殺しているあの子。あんなに合唱コンクールは熱心だったのに。うどんは無視するんだな。合唱コンクールはみんなで金賞を目指したのに。困っているうどんには手を差し伸べないんだな。


そういえば君は書道を習っていて、順当に字が上手かったね。うどんを黙殺している君が今「うどん」という字を書いたらどんな字になるかな。多分だけど、「うどん」って字に上手いとか下手とかないね。残念です。


そして、結局のところ、これらは全て酒のせいなのだ。私はクラスメイトを信じたい。肩を組んでいたのも、うどんを救わないのも、意味不明なハイタッチも、全て酒のせいだ。そう思わずにはいられない。


未成年の皆さん、聞いていますか。未成年飲酒は法的にとか倫理的にとか以前に、人間としてもっとも面白くない行為だからな。いいですか。まずは目の前のうどんから救いなさい。そうすれば道は開かれる。

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