マガジンのカバー画像

いじめ被害回想録〜東村山第七中学校編〜

33
昭和59年度〜61年度に在籍した東村山市立東村山第七中学校時代に受けたいじめ被害のだ回想を執筆しました。
運営しているクリエイター

#人間関係

自称スクールカースト三軍〜中学の三軍同士の人間関係の実態で知ったこと〜

学生時代の大半は所謂 #スクールカースト 三軍に属していた。 スクールカーストの種類分けでは、 一軍→野球部やサッカー部等のメジャーな運動部に所属する人やヤンキーやギャル等の不良グループで口数が多いコミュニケーション能力に長ける人 二軍→バドミントン部や卓球部等の地味な運動部、私が所属していた吹奏楽部等の上位文化部の所属者、かつごく普通の人達 三軍→ #ヲタク 趣味、上記以外の文化部所属者、地味人達、大人しい、嫌われ系の人達 といったところでしょうか? ーーーー

変態音頭〜交換日記で起きたトラブル〜

表題に関する作詞・作曲依頼はその経験がない私にされたら勿論お断りする。 それはさておき...、 今日のnoteでなぜそのタイトルで書こうとしたのは、昨日の中学の入学式早々からいじめ被害に遭ったことを書いている時に、その当時に起きた出来事が #トラウマ の如く蘇り、壮絶な経験を皆さんに共有して伝えるべく、思いついた時点で書くつもりだ。 1984.5頃、すでに出来上がった友人グループに #友達作り に出遅れて #ぼっち 状態になった私を誘われて、慣れた頃に #交換日記 をす

光の庭〜 #いじめ被害 激化と思春期の序章〜

表題は1984.4の中学の入学式をした学校の中庭の別称である。 その当時は校舎が落成したばかりで、体育館が完成していなかった為に止む無くそこで行われた。 新設校でやる入学式に参加する私を含めた生徒は第1号であったのは勿論、同然校歌がないまま三年生不在で敢行することになった。 私と同じ小学校から来た生徒は数少なく、面識がない他校の生徒と新しい #人間関係 が築くことが出来ればと願いつつ、極寒の中で起立したまま参列した。 昨日の季節外れの極寒であったことから吹抜けからくる

#支配的な家族 が原因による #ドタキャン

人生を楽しく生きるべきだった学生時代に表題が原因による #ドタキャン したことがで友人を失った経験がある。 中学に入学してから初めて出来た友人グループで校内で遊びに行く約束をしたものの、帰宅して約束をした相手の元に駆けつけようとしたところを母に捕まってしまい、禁止されたことが結構あった。 約束した時間に電話がかかり、先述が原因による理由で断らざるを得なかったことで謝罪をしたら、一度した約束を理由に関わらず急に断る行為をすることは嘘をついたことになるということを忠告された。

自分から友達を作れという言葉の裏

小学校を卒業する前に一緒に行動をしていた友人に表題の言葉を言われてからから人間不信に陥り始めた。 元々受け身型であった私に積極的な部分が不足している点で指摘されたと捉えていたものの彼女と中学校の校区が別々になってしまった為にもういじめ被害の救済は出来ないと断られてしまったのだ。 言葉に隠された意味を理解できずに額面通りの行動を取っても裏切られ、却っていじめが酷くなった。 内心、彼女が通った中学校の校区に引っ越したいと家族に伝えたが、社会に出ても同様なことがおきる可能性が