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いじめ被害回想録〜東村山第七中学校編〜

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昭和59年度〜61年度に在籍した東村山市立東村山第七中学校時代に受けたいじめ被害のだ回想を執筆しました。
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#生きづらさ

毒親が知らない優等生の幼馴染み

実家の裏に住んでいる幼馴染みは、優等生といえども、現在の私同様失業したらしく、庭の畑仕事をはじめとした家事全般をこなしている様子であり、両親は親孝行している娘さんであると感心している。 畑仕事をしている幼馴染みを見る度に、中3の時に同じクラスとなったことを回想し、 ムキになって土を耕している所作から、当時のクラスメイトから嫌がらせを受け、公の前で強い口調で反論したことを回顧している。 私や幼馴染みのような真面目なタイプの失業者は、家事しなければならないという義務感から抑

別れる前に私が言えなかったことをこの場で伝える〜毒親に反する意思〜

在籍した学校や職場でも、 表面的に受け身型の私に対して、「もっと自分の意思を持って欲しい」と必ずと言っていいほど言われた。 原因はそもそも、出生時から手がかかる子供であったことは勿論、 どこに行っても問題児呼ばわりされて保護者である実母が失望したことを受け、私の要望を受け入れず、両親が先回りしてレールに乗るだけの人生を送っている。 上記三記事はいずれも私の意思ではなく、両親の意向でしなければならなかった事情でしたことであり、 余所者である友人達は表面的に私自身がした

イジられる側の苦痛

出生してから前職在籍中まで、 #イジり を要求されて困惑されたことが結構あり、上記執筆記事等の心情と重なる部分がある。 本当はごく普通のコミュニケーションを取りたかったのにも如ず、 #いじめられっ子 で友人が少なかったことを自覚している私は、 これ以上嫌われないようにする為には相手の要求に応えるしかない とと思い、不本意にやった。 大元な原因は、私が変わり者であるという近所中の有名人と騒がれていることを、過去に学校が一緒だった人による告げ口されてしまったことしか考えら

体育会系並みの強さを持って欲しいという試練

出生して約半世紀を迎えようとしている私だが、 本来の性格は文系並みの弱々しさがある と小学校時代に習っていた書道の先生に評されたことは勿論、 早くから壮絶ないじめ被害受けて、 #不登校 をしてもおかしくないものの、 #苦登校 を強いられた ことによって、 #昭和脳 を持った人が集まった職場に長くいられたと他の友人・知人達に賞賛されたことがあった。 なぜこんなに強くなれたのか酷い仕打ちを受けた私にもよくわからない。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ミスに