見出し画像

11月3日は宮沢賢治の日(架空記念日ブログ)

おはようございます。本日は令和5年11月3日(金)です。今から92年前の1931年11月3日に詩人・宮沢賢治が手帳に”雨にも負けず”を記した日となっています。この詩は宮沢賢治が亡くなってから発表され日本中の人が知るところとなりました。実は宮沢賢治が生前に発表された作品は、詩集「春と修羅」童話集「注文の多い料理店」の2作(新聞や雑誌に投稿した作品もある)のみ。後は全て亡くなってからの発表でした。今日はそんな宮澤賢治さんを見て行きたいと思います。それでは本日もよろしくお願いします。

今日の架空記念日は?

宮澤賢治という人

1896年(明治29年)8月27日岩手県花巻川口町(現在の花巻市)にて、父・宮澤政次郎と母・イチの長男として生まれる。家業は古着屋。1903年(明治36年)4月花巻川口尋常小学校入学。鉱物採取、昆虫の標本作りにご執心。家業を継ぐのに学歴は要らないという祖父を父が説き伏せ中学に進学する。1909年(明治42年)4月岩手県立盛岡中学校入学。「自彊寮」に入寮。鉱物採取と星座に熱中。この頃から石川啄木に憧れて短歌を読むようになる。1914年(大正3年)3月同中学校卒業。卒業後、家業を手伝うが身が入らない為に両親が進学を認める。それを聞いた賢治は喜んで猛勉強した。

宮澤賢治(1896ー1933)

同人誌「アザリア」

1915年(大正4年)4月盛岡高等農林学校に首席で入学。「自啓寮」に入寮。1917年(大正6年)7月1学年後輩の保阪嘉内(銀河鉄道の夜、カンパネルラのモデル)、小菅健吉河本義行(後の俳人河本緑石)の4人で同人誌「アザリア」を発行。賢治は短歌や短編を寄稿。1918年(大正7年)3月13日保阪嘉内が「アザリア」に書いた作品が原因で学校を除籍させられる。賢治は講義するが受け入れられず。同年3月15日に卒業するが研究生として学校に残る。1920年(大正9年)5月農林学校研究生を卒業。またこの頃、国柱会(法華宗の宗教)に入信し、浄土真宗の父と激しい口論をするようになる。

「アザリア」のメンバー
前例、小菅(左)河本(右)
後列、保阪(左)宮澤(右)

妹トシの死

1921年(大正10年)12月3日稗貫郡立稗貫農学校(後の岩手県立花巻農学校)の教員になる。雑誌「愛国婦人」12月号と翌年1922年1月号に「雪渡り」掲載。この時の原稿料5円が宮澤賢治が生涯で受け取った唯一の原稿料。1922年(大正11年)11月27日結核で病臥中の妹トシが亡くなる。深い悲しみに暮れた賢治は「英傑の朝」「松の針」「無声慟哭」を作詩する。1923年(大正12年)7月農学校生徒の就職依頼で樺太を旅行中、「樺太挽歌」「青森挽歌」などトシを想う詩を書く。

詩集「春と修羅」

1924年(大正13年)4月20日「心象スケッチ 春と修羅」刊行。花巻の吉田印刷所に原稿を持ち込み1000部を自費出版する(定価2円40銭)。東京での配本を関根喜太郎という人物に500部依頼するが、関根はゾッキ本(中古本)として流してしまい、古本屋で50銭で売られた。本は全く売れず、賢治も本のほとんどを寄贈してしまったが、タダイストの辻潤が「読売新聞」のエッセイで紹介したり、詩人の佐藤惣之助が雑誌「日本詩人」12月号で取り上げるなど反響はあった。詩人の中原中也は夜店で5銭で売られていたゾッキ本を買い集めて知人に配った。

中原中也(1907ー1937)

童話「注文の多い料理店」

同年12月1日に「イーハトヴ童話 注文の多い料理店」刊行(定価1円60銭)出版費用の工面に苦労しながら東京で印刷、製本した。出版社「光原社」名義で1000部使ったが全く売れず、賢治は父親に300円借りて、200部買い取った。翌年1925年(大正14年)雑誌「赤い鳥」の主宰・鈴木三重吉の好意で「赤い鳥」に「注文の多い料理店」の1ページ広告が載る。同年7月に詩人・草野心平の同人誌「銅鑼」に参加する。

まとめ

その後、売れない詩人・宮澤賢治はほぼほぼ父親頼みの生活を送ります。1931年(昭和6年)11月3日手帳に「雨にも負けず」を書きます。1933年9月21日永眠(享年37歳)1934年(昭和7年)「風の又三郎」と「銀河鉄道の夜」発表。賢治はたちまち売れっ子作家になる。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ䕃ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

宮澤賢治「雨ニモマケズ」

今日のさわだくん

111日チャレンジ26曲目

奏/スキマスイッチ

2004年3月10日リリース、スキマスイッチのセカンドシングル曲です。オリコン最高位が22位ながらも38週連続でランクイン、2018年1月3日には再発売されるなどとても長い間親しまれている曲です。

あとがき

今から焼き鳥の串打ちをしますので後ほど。


串打ちからの焼きで楽しい焼き鳥タイムでした。
また明日。

避妊手術しました😭