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11月13日はロバート・ルイス・スティーヴンソンの日(架空記念日ブログ)

おはようございます。本日は令和5年11月13日(月)です。今日は夜勤明けで10時過ぎに帰ってきて即寝、ただいまの時間13:46、夜勤入りで家を出るまでの間、少しでも書こうと起きました。

2023年第74回NHK紅白歌合戦の出場歌手の発表が先ほど行われみたいですね。

司会は有吉弘行さん、橋本環奈さん、浜辺美波さん、高瀬耕造アナの4人

【紅組】あいみょん(5)新しい学校のリーダーズ(初)Ado(初)MISAMO(初)ano(初)伊藤蘭(初)石川さゆり(46)MISIA(8)坂本冬美(35)櫻坂46(3)椎名林檎(8)JUJU(2)Superfly(7)天童よしみ(28)NiziU(4)乃木坂46(9)Perfume(16)水森かおり(21)milet(4)YOASOBI(3)緑黄色社会(2)LE SSERAFIM(2)

【白組】エレファントカシマシ(2)大泉洋(初)Official髭男dism(4)キタニタツヤ(初)郷ひろみ(36)さだまさし(22)JO1(2)純烈(6)鈴木雅之(6)すとぷり(初)Stray Kids(初)SEVENTEEN(初)10-FEET(初)BE:FIRST(2)福山雅治(16)藤井フミヤ(6)星野源(9)MAN WITH A MISSION(初)Mrs. GREEN APPLE(初)三山ひろし(9)山内惠介(9)ゆず(14)

最多出場は石川さゆりさんの46回、初出場は13組となりました。去年まで3年連続で司会をしていた大泉洋さんが初出場となってます。玉置浩二作曲、プロデュース、2023年10月31日リリース『あの空に立つ塔のように」を歌うみたいですね。特別枠じゃないのがびっくりです。キャッチフレーズが「ボーダーレス越えてつながる大みそか」となっております。個人的には初出場の10-FEETが楽しみです。仕事ですけどね。

今日の架空記念日は?


173年前の今日

1850年11月13日はイギリスのスコットランド、エディンバラ出身の小説家ロバート・ルイス・スティーヴンソンが生まれた日です。スティーヴンソンの代表作は1883年発行の『宝島』そして1886年発行の『ジキル博士とハイド氏』です。さて今日はこの文豪の一生を見ていきたいと思います。本日もよろしくお願いします。

ロバート・ルイス・スティーヴンソン(1850-1894)

ロバート・ルイス・スティーヴンソン

灯台建設の技術者の父トーマスと母はマーガレット・バルフォア。スティーヴンソンはエディンバラ・アカデミーを経て、エディンバラ大学の工学科に入学した為、父の後を継ぐ事を期待されていたが、1871年法科に転科。1873年に療養の為フランスに滞在、1875年に弁護士の資格をとった。生まれ付き病弱で、若い頃に結核を患った為、療養のため各地を転々としながら執筆した。

執筆活動と結婚

1874年に雑誌に寄稿した『南欧に転地を命ぜられて』が処女作。療養先でレズリー・スティーブン(『英国人名辞典』の主幹)の紹介でジャーナリストのウィリアム・アーネスト・ヘンリーと知り合い、1877年からヘンリーの編集する『ロンドン・マガジン(London Magazine)』『新アラビア夜話(短編集)』(1877-1880)を連載。1877年にアメリカ人ファニー・オズボーンと出会った。ファニーは10歳年上の既婚者で子供が2人いたが、1889年夫が病気を患い離婚し翌年の1890年5月に結婚した。1876年にフランスの運河をカヌーで旅行した時の経験を元にして、1878年『内陸の旅人(内地の船旅)』1879年『驢馬の旅(旅は驢馬を連れて)』の2篇の紀行文を出版。

ファニー・オズボーン

正木退蔵との出会い


1878年エディンバラ大学教授フリーミング・ジェンキンチャールズダーウィン『種の起源』の批評し、自然淘汰説を批判して有名になった人)宅でお雇い外国人(欧米の技術・学問・制度を日本に導入する為に雇う外国人。富国強兵策の一つ)をスカウトしに来ていた正木退蔵と出会う。松下村塾出身だった彼の吉田松陰の話を聞いて感銘を受ける(『宝島』を書くきっかけになったと言われている。

正木退蔵(1846-1896)

その後スコットランドに帰り創作、1881年にエッセイ集『若い人々のために』を出版(処女作『南欧に転地を命ぜられて』も掲載)した。また子供向け雑誌『Young folks』『宝島』(1881-1882)の連載開始。

松下村塾についてはこちらに書いてます↓

『宝島』

1882年エッセイ『わが親しめる人と書物』(吉田松陰の伝記Yoshida-Torajiro掲載)を出版した。その年、南フランスのイェールに家を買う。1883年最初の長編小説『宝島』出版。もともとは妻ファニー・オズボーンの連れ子のロイド・オズボーンの為に書いたもの。

1911年に出版された本

『宝島』の簡単なあらすじ
主人公ジム・ホーキンスが少年時代の事を語るスタイル。宿屋で自分を探している片足の男を警戒するビリーボーンズと出会う。そのボーンズが紙切れを見てショック死。元郷士のトレローニリブシー医師の3人でボーンズが持ってた箱を開ける。ボーンズは海賊一味のフリント船長だった。そしてフリントは海賊団が集めた宝を隠した島の地図持っていた。宝を探しに行く為、航海の仕方を知ってる片足のジョン・シルバー(気付けよ!)と手下を仲間に入れて海にでる。
宝島に着くと、ジョン・シルバーと手下が海賊団の仲間だった事が発覚し早速裏切る。船長スモレットのお陰で無事に船から脱出。島で海賊団たちとの争いになるが、島に残されてた元海賊ベン・ガンに助けられて撃退。ジョン・シルバーは降伏。少年たちは宝を手に入れてイギリスに帰還。宝は山分けしました。

南海巡り

1884年父の容体が悪化した為ボーンマスに移り住む。1885年『プリンス・オットー』を出版。1886年『誘拐されて』『ジキル博士とハイド氏』を出版した。1887年に父が亡くなると、アメリカに移住。サンフランシスコに滞在中に、編集者のチャールズ・ウォーレン・ストッダードと出会い、南海の話を聞く。検討の末に療養のため、1888年にマルキーズ諸島のヌク・ビバ島パウモトゥ諸島ギルバート諸島を訪れた。1889年にハワイ諸島に行った際にカラカウア王と親しくなり、ハワイの地理や歴史に関心を持ち神聖視されていたカメハメハ大王の曽祖父ハレ・オ・ケアヴェ王短編『壜の小鬼』の主人公の名にした。1890年に南太平洋のサモア諸島中のウポル島に移住し、残りの生涯を過ごし、そこでも『ばらんとれーの若殿』や義息子ロイド・オズボーンとの共著作品など数多くの作品を残した。

まとめ

1894年12月4日妻との会話中、ワインの栓を抜こうとした時に脳溢血の発作が起こりそのまま帰らぬ人となりました。今日はスティーヴンソンの人生を追いかけてて、作品の羅列と共にこれほど家族を愛している人はいないのではと思いました。貧しさや苦しさから生まれる作品もあるけど、この人は愛から作品を作ってると感じました。しかし片足の男には気づいてほしかったよね。

今日のさわだくん

111日チャレンジ36日目

輝く月のように/Superfly

2012年8月15日リリース、Superfly15枚目のシングル曲。TBS系テレビドラマ『サマーレスキュー〜天空の診療所〜』主題歌

まとめ

現在の時刻は17:22、名古屋駅まで移動して、ベンチで続きを書いております。昨日こらさわだくんの動画のサムネイルの制作をボチボチと始めました。中々の上手くできたなぁと自画自賛してました。

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これからも色々と発信していきますので、チャンネル登録と高評価是非ともよろしくお願いします。それではまた明日。