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2021年5月23日 喪服を買いに行く途中で拾ったズボン 神奈川県

    2019年4月に転職した会社はまずかった。入社初日、与えられた電卓が壊れていた。パソコンの動きがやけに遅いので、調べてみるとメモリが2ギガバイト足らずで、マウスの真ん中にある陰核じみたスクロールボタンも壊れていた。

    業務内容も、医療系マーケティングなどと銘打ってはいたが、実のところ医学雑誌や業界新聞からのコピペ・無断転載で300ページ余りに仕立て上げた空疎な資料を、業績の良い製薬企業に売り付けているだけだった。

    人間関係は輪をかけてまずかった。仕事がその体たらくだからなのか、長く働く社員はみな一様に後ろめたそうで小動物じみており、電話がかかってくると声を聞かれたくないのか別室に移動する有り様だった。
    自分と入れ替わりに退社していった女性社員だけが活発さを有しており、最終の出勤日に上司へ、「こういうこと、幼稚園で教わりませんでした?」と嫌味を言うなどして去って行った。
    自分も入社1ヶ月で、退社した女性社員と同じ態度を身に付けて転職サイトへのログインを再開した。

    人間関係において最も「マズい」と思ったエピソードは「お誕生日ケーキ」にある。
    その職場は小規模だった事もあり、各社員の誕生日には社長がケーキを買ってきて食べるような職場だった。社長の甘味好きという理由もあったが、少しでも辛気臭さを排除しようとする涙ぐましい取り組みなのだろうと考えていた。
    職場に、醜女で陰気な事務社員がおり、ケーキを切り分け、各社員に配るのはその人物の役割だった。しかし醜女の事務員は何も言わず、ただケーキを配る。他の社員も何も言わずにケーキを食べるので、自分がそれを誕生日ケーキだと理解するには1年かかった。ただの「ふるまい」なのだろうと。
    ある社員の誕生日、主賓にあたるその社員が有給休暇を取っていたため不在だった。しかし、甘味好きの社長は変わらずケーキを買ってきて、醜女事務員はやはり物も言わずケーキを切り分け、主賓を除く全員に配ったのだった。
    さすがの事に自分は、「いくらなんでも本人がいないのに…」と苦笑しながらその不自然さを疑問視してみたのだが、社長は「仕方がない。休んでいるんだから」と言い、その横ではクソブス事務員がガツガツとケーキを食べていた。
    これには大袈裟でなく背筋が冷たくなった。

    ところで、その甘味の好きな社長は明らかに糖分を過剰摂取した肥満体の上、喫煙量も多かった。
    どこか内臓器官に問題でも抱えていたのか、始終、嘔吐に近いゲップの音を放っていた。陰鬱で、誰一人声を発さない職場でその音はよく響き、自分にはそれが耳障りで仕方なかった。

    会社の陰鬱な空気感は外部の清掃業者にまで影響を与えていたのか、自分がトイレの個室に入っていると清掃の老婆が嫌味を言う事があった。「あーあ、これでまた掃除が進まないよ」などと。
    それが何度か繰り返されたある日、さすがに耐えかねて個室からダッシュ、清掃の老婆を捕まえて「仕方がないだろ俺はトイレの頻度が多いんだ。ましてこの陰鬱な職場だ、内臓の具合も悪くなる」といった内容の苦言をぶちまけたのだが、終業時間になってもイライラは止まなかった。社長のゲップが耳に触って仕方がなかった。
    職場には代わり映えのしない業務を記載する「業務報告書」の提出義務があったので、「ゲップの音がさすがに不快です。控えていただけませんか」との文言を記して渡した。      翌日、早くに出社すると同じく早い出社をしていた社長と二人になってしまった。「そんなに五月蝿かったかなあ、ゴメンネ、気を付けるよ」と丁寧に言われ、ただの八つ当たりだったと反省した。

    それから4ヶ月ほど経った12月のある日、社長が社内の何もない場所で転んだ。
    近くにいた社員は通常通り何も反応をせず、ただ、社長の「わぁ」という間の抜けた声のみが響いた。
    数日後、忘年会の席で閉会の挨拶を任された自分は、「せっかくこういった仕事なんですからね、社長ももう少し健康に気を使って来年を元気に過ごしましょうよ」と、当たり障りのないコメントを述べた。

「社長が、お亡くなりになりました」と、まるで心のこもらない口調で電話越しに聞かされたのは、忘年会から2年余りの春。忘年会翌年の健康診断で不調が見つかり、約一年を挟み、六十代半ばで早逝したのだった。

    その日は休みで別に用もなく、神奈川県を散策がてら、翌日の葬式に向けて紳士服店をはしごし喪服を探した。
    結果、喪服だか単に黒いスーツだか分からないが無難な上下を安く購入する事になる紳士服店へ向かう途中、やけに斜面の多い住宅街で、「ご自由にお持ち下さい」との文言と共に、ズボン(ボトム、パンツとも)が8枚、民家の前に積まれていた。
    そこからジャーナルスタンダードの灰ツイード、リーバイスの黒コーデュロイ、ユニクロのブラックデニムと3着を貰い、途中、甘味などを買いに立ち寄ったコンビニのトイレで試着しては「やっぱ要らね」となったものをゴミ箱に捨てる事を繰り返し、ユニクロだけが残った。これは今でも冬場に履いている。

    翌日、葬儀で社長はガンだったと聞かされた。
    後に、高頻度のゲップは腫瘍が体内を圧迫することによって起こる特定のガンの前兆なのだと知るのだが、社長はおそらく知らなかっただろう。真に受けたら患者を殺めるだろう妄想レベルの医療系マーケティング資料を作っている企業に何十年勤めたところで、自分の体の異変にすら気付けるはずもなかった。
    しかし社長はきっとその事を、病床に着いてから知ったのではないか。そして自分が業務報告書に書いたゲップへの不満を思い出し、「あいつの書いた呪いのような言葉が成就しようとしている」と感じていたのではないか、と今になり思うし、自分も葬儀の間、業務報告書に連ねた文言をどうしても思い出さずにはいられなかった。

    葬儀の後、その頃よく出没していたアジア系の女性が菓子を買ってくれとせがむ謎のビジネスに最寄りの駅前で遭遇した。
    通常なら無視して通り過ぎるだろう菓子売りだが、その日は500円を渡し、夜間の児童公園で味の薄いウエハースみたいなものをモソモソと食べた。

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