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2021年2月21日 武器とミニチュア、サウナ説話

    コロナ感染拡大に歯止めをかけるため、国が1ヶ月の休業期間を取る中小企業に助成金をあてがった。
    小劇団ばりの助成金乞食である職場はそれを欲し、突如として休業期間が設定された。

    休業期間に入る前日、職場近くの日本橋を歩いていると閉業する理髪店前で古典落語のカセットテープを37本拾った。
    休業期間は再排出される不要品を拾うため、その理髪店へ赴く行動に費やされた。

    まず初日は、斧と十手を拾った。斧をくるんでいた新聞紙は1985年の日航機墜落事故を報じていた。
    さらに翌日に赴くとペンギンと猫の小物が置かれており、これも拾った。

    家に帰り、武器(強力なもの)と小物(か弱いもの)へ同時に魅力を感じる自分に何か嫌らしさ感じた。
「強力なら強力、か弱いならか弱い、一生を通じてそのどちらかを愛好したいものだ」

    自分は、斧をくるむ新聞記事が報じていた、墜落はしてしまったがジュラルミン製の日航機もその強力さゆえに好むし、一方でか弱く可愛らしい、斧の次の日に拾った猫とペンギンも好む。そこに一貫性のなさを感じた。
    子供の頃から兵器が好きで自衛隊に行くのはいいし、反対に可愛らしいものが好きで雑貨屋を開く人も、それはそれで貫いているゆえにむしろ強さを感じる。
    自分にはそういった通底する好みなどなく、だからあのような助成金に惑わされて突然休業期間に入るような芯のない職場にいるのだと思った。

    力強さと弱さの中間にある趣味趣向を見つけさえすれば、何かがすんなりと、まさしく混雑した道の真ん中をスッと通れるような気がしていた。

【宗教説話・サウナ問答】
    京都市にある真言宗智山派の寺院で勤行に勤しむ若僧・珍念は根っからのサウナーだったが、ここのところのサウナブームには思うところがあった。

    サウナ人口の増加に伴い、他者の望まないセルフロウリュや場所取り、男同士の無益な我慢比べが無言のうちに行われる醜さを目の当たりにさせられる機会が増した。それもサウナに対する疑念のきっかけだったが、珍念にはどうも、サウナーがサウナそのものを愛好してはいないように感じられてきたのだった。

    それは珍念自身もそうであった。
    どうも近い未来に訪れる事の確約された水風呂への憧憬を膨らませながら熱波にあたる我々サウナーは、サウナそのものを苦痛に分類してはいないか。

    熱と冷却を交互に与えられる事で副交感神経が云々、といった生理的な働きなど実のところ関係なく、苦痛からの解放を望み、やおら水風呂に浸かってから「ほら、冷たくなった」と、簡易的に想定が充足する事を「ととのい」などと呼んではいまいか。
    そこに、今現在のリアルタイムを満喫していない不健全さを感じるのだった。
    ゆえに冷却へも満足が至らず、今度は更なる近未来の熱波を期待してサウナに戻るといった、依存症にも似た行き来に陥る。
    それがお釈迦様の説いた「苦行は無駄、せやけど快楽もアカン。中道を行け」という教えに反するものだと思えた。

    珍念は寺に住み着いた猫を見て思った。猫は食べたい時に食べ、眠りたい時に眠る。人間のように、「食いだめ」や「眠りだめ」といった異なる状態に置かれた自分を想定しない。そのストレートな生活スタイルこそが猫の美しさなのだ。

    珍念はしばし、サウナ通いを停止した。自宅の風呂で極度に熱い湯は避け、ただ適切な湯の温度だけを堪能するよう心がけた。

    己の趣向を中庸にさせようとする心がけは、他の生活全般にも適用された。
    珍念は決して生臭坊主でもなかったが、業務終わりの晩酌は欠かせなかった。ウイスキーや焼酎などのハード・リカーを嗜み、二日酔いの残る頭を目覚めさせるために翌朝、「赤べこ」や「化け物の能力」といったエナジー・ドリンクを摂取していたのだが、これを辞めた。夜はビール程度のアルコールと、日中はほうじ茶ほどのカフェインを嗜むようになった。これはアッパーとダウナーの中間を取ろうとする試みだった。
    中道への思いは、食べ物の咀嚼も右と左に偏らないように前歯で行わしめるほどだった。

    とうとう真言宗の開祖、空海の名にも両極端のエクストリームさを感じるようになってしまった珍念はある時、「空と海て、両極端やないか…両極端やないか…」と、朝の読経の最中に呟いているのを感づかれた。
    珍念の錯乱は他の僧侶を通じて大阿闍梨の耳に入り、急遽、面談の場を設けられる事と相成った。

「ちゃうねん、あれはお大師さまが洞窟での修行中、目を開いて見えたものが空と海だけだったのにインスパイアされて自身で命名されたんや。お大師さまは空も海も同んなじに愛してはってん。今も。現在進行形で」
    今もなお高野山奥の院で生き続けるとされる弘法大師・空海の伝説を引用した大阿闍梨の言葉で、珍念の混迷は一旦の解決をみた。

    数日後、その日の勤めを終えた珍念は伏見稲荷の聖域である稲荷山に登り、自分が暮らす京都の街を眺めた。
    珍念は視力が左右とも6.0あったため、遥か北方に建つ金閣寺と銀閣寺を肉眼で視認しながら、「第二時世界対戦中、米軍は文化遺産の多く存在する京都を爆撃しなかった」という逸話を思い出していた。
    珍念の祖父は、「いや、空襲はあった。原爆投下の候補地にも上がっとった」と言っていたので、その逸話も美談に過ぎないのかもしれない。
    しかしながら当該のエピソードが伝える構造は、珍念の持つ両極端や中道への考えに少しばかりのヒントを与えた。
    それは「弱さだって強さを駆逐するほどのエクストリームたり得るんやな」というものだった。

「そんなら中道だって突き詰めてしまえば、もっとエクストリームになってしまうやないか。今のわいがそうや」

    少年時代に見たテレビアニメ「一休さん」で、「このはしわたるべからず」と看板に書かれた橋の、そのど真ん中をスイスイと渡ってのける禅僧・一休宗純の姿を思い出しながら珍念は稲荷山を下りた。
    その歩みは伏見稲荷名物・千本鳥居の中心を貫きながら、それでも多少は衣服が鳥居の内側に触れる、左右にふらつくリラックスしたものだった。
    珍念の手には焼酎甲類のプラスチック・カップ。久方ぶりの千鳥足であった。

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