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【貰った&拾った】傘、錆 2020年11月 小豆島旭屋旅館~岡山県

 コロナ感染者数が一旦、落ち着いた感のあった2020年の11月に、香川県~小豆島~岡山県と3泊4日の旅行を行った。
 確かにその時、ウイルスの伝播は落ち着いていた筈なので…(申し訳なさを表現)

 小豆島で宿泊した「旭屋旅館」をチェックアウトする折、フロントの女将さんに「これから、どこに行くんですか」と聞かれ、小豆島に1686年(貞享3年)より続く、「小豆島八十八箇所遍路」の七十二番霊場である「笠ヶ瀧寺」奥の院に行く旨を伝えたところ、「今日は雨が降っているから、あそこの急坂はヤバイ」と、小豆島遍路に精通した(宿自体が、もともと遍路宿としての創業らしい)女将さんはフロントに併設された土産物売り場から折り畳み傘を取り上げ、包み紙を剥いて自分に手渡した。商品の傘をである。
「あの、これ商品じゃないですか」と聞いた自分に、「あーいいの、たいして売れやしないから」と答えた女将さんの、「粋さ」「スマートさ」「クールさ」といった美点は、その言葉の謙虚さにも表れていたのだが、殊にインパクトが大きかったのはやはり、その親切が「チェックアウト時」に行われた事によるのではないのか、と考える。

「またおいで下さい」「また来ます」と互いに口にするものの、基本的に宿泊業の方とその後、再開する機会はまずない。
 アメリカであればその時点で数セントを渡すのかもしれず、もしかするとそういったチップを期待した善行も米国には存在するのかもしれないが、日本の香川県小豆島であの瞬間に行われた親切は何をも期待していなかった。はずだ。
 そして別れ際に不意打ちの親切を受けた当方は、その親切を持続させたまま抱え、むしろ時間の経過と共に遅れてやって来た感情なものだから増幅し、雨に濡れる笠ヶ瀧寺の、鎖を伝って登る体感70度の急坂では折り畳み傘を使用する余裕こそ無かったが、参拝を終え、小豆島からフェリーで岡山県へ渡る数十分間、霧雨と海面の境が判別しづらい風景を窓から眺めてトランシーな状態になりながらも貰った傘の事を考えていたし、岡山に着き、東京へ帰る直前に通り掛かった、巨大な鹿の死体が横たわる廃工場で、フェンスなどに張力を与える為の錆びたフックを拾った際にも傘のイメージは残っており、「何か細長い物を2つゲットしたなあ」との印象を強く与えて旅行は終わった。
 ゆえに帰宅後、「あれにはやはり御礼をするべきだよな」と近所の和菓子店に赴いて返礼品を購入・送付する運びとなり、更にはその和菓子に対する礼状が旭屋旅館の女将さんから届く事になる為、旅行の記憶は3泊4日を超えて永く続いたのだった。

 で、わたしは考えたのですが、つくづく自分に好印象を与えるものは、廃棄物、寺めぐり、錆びた鉄、廃工場、鹿の死体、付け加えれば個人経営の旅館で行われた、ビジネスホテルではあり得ないだろう傘のプレゼント、そのプレゼントに対する和菓子での返礼だとかの、何かしら「残っている」かつ「決して新しくはなく」「変にしみじみした」、要するに「年寄りじみた」感触のする事物だな、大体にして感情すら自分にとってはリアルタイムではなく遅れて来るものだから、と確かめさせられるのだが、それは後ろ向きな事なのかと考えたとき、否、おれはむしろそれらが今後も、車が空を飛んだりVRでAVを見たり、ロボットの犬猫がペットになったりする未来にも残っていく事を所望してはいるので、ことによるとむしろ前向きなのかもしれないと、少しばかり己を慰めてみる。

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