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手漉き和紙のノート 2021年成人の日 世田谷区

    2021年の1月、正月気分を引きずったままの成人の日に世田谷区の住宅街を歩いていたところ、建売り住宅の玄関先に据え置かれた「よかったらもらって下さい!」ボックスから拾い上げた和紙のノートは、手漉きなのか、表紙に様々な植物が織り込まれているのが、特にシダ植物がメインに据えられているあたり化石を思わせた。
    または琥珀に閉じ込められた虫などにも似ている。

    要するに、紙なのに鉱物とか樹脂っぽい。
   むかし読んだ本の中で、作者が「鉱物のような文章」という言葉を用いて、ある一つの文章を称賛していた。
    それとはまた別の、10年前にテレビで見た作家は、「岩の中に隠れた文章を掘り出すように書きたい」と、仏師が仏像を彫る際のスタンスのような事を言っていた。
    どうも文章というものは岩や鉱物とはかけはなれた流動的なものという前提がありながら、その硬質さに近づくほど優れる、というルールがあるようだ。
    そこまでに硬い文章というもの、それは何かもうとにかく凄い、書いた瞬間から後年に残る聖典のような内容を持つものだろう。
    このノートが抱える問題は、書き付けるほどの文章を自分は持たない、の一点に尽きる。

【経済小説「瞬間アンド岩石」】
    日本人の父とアメリカ人の母から産まれた岐阜出身のモーメント・岩山は、30歳を過ぎた頃からどうも岩や洞窟、化石などが好きになり、休みの度に巨石や磐座だとか、千葉県に数多く存在する素掘りのトンネル、岩盤をくりぬいて造られた埼玉県の「岩窟ホテル」といったものを見に行くようになった。
    モーメント・岩山は大手製薬企業において、担当地域の大学病院や開業医の医師に新薬の情報を提供するMR職を新卒の頃より続けている社員であり、磐座だの化石だのといった、スピリチュアルや懐古的な思考とは対極の存在だと自覚して生きてきた。

    自然界の菌類や低分子化合物を用いた新薬の開発にも限界が見えはじめ、生物のタンパク質などを薬品化するバイオ医薬品・抗体医薬、再生医療等に注目が移行している近年の医薬品業界ではあるが、モーメント・岩山の勤務する製薬企業に残る「休暇中、海外旅行に出掛けた際はその国の土や植物を持ち帰り、新薬開発に繋がる未知の菌類、植物中に含まれる薬効成分の発見に貢献する」という旧来の慣習や、漢方薬が西洋医学の側からも注目され、癌治療にもその可能性が見出だされている近年の潮流、中世ヨーロッパの貴婦人が点眼して瞳孔を開き目を大きく見せる為に使用していたベラドンナが、21世紀の今でも点眼薬や鼻炎薬に用いられている事実など、地続きの伝統や理論を見せつけられて来た社会生活が、モーメント・岩山の中に、何か連綿と続くものへの関心を芽生えさせたのかもしれなかった。
    モーメント・岩山に似たような感覚をもたらすものとしては他に、

・自社ビルの屋上にある、伏見稲荷より祭神を勧請して建立された小さな祠
・フグを食べれば死ぬと分かりながら過去の人が死にながらも食べ続け、卵巣を除けば大丈夫と判明した結果に、今現在の自分が忘年会でフグを食べている事実
・大昔に練られたり、鋳造されたりして造られたものが残る骨董品の瀬戸物や鉄器
・現在お爺さんでいる人が子供の頃に経験した戦争や学生運動と同じものとして、製薬企業で働く自分が実際に疲弊させられたコロナウイルス騒動が、いずれ後の教科書に載るだろう事

    などがあった。
    最近の若い奴は、と言われていた奴が歳を経て今度は自分が「最近の若い奴は…」と苦言を呈するようになり、やがて自然に天皇制とか、演歌、大河ドラマあたりを好む歴史の流れに入り込んで抵抗しなくなる事を一般に老化と呼ぶのかもしれなかったが、読書など悪とされていた時代の二宮金次郎が、近代に勤勉さの象徴として称賛されるようになったのだから、未来の世界では子供たちが、その時点で流行している何か良くわからないムーブメントに夢中になっており、「アニメも見ず、ゲームもやらないで」と親たちから叱責されているのだろうか、と、書物の替わりにiPadを眺めながら薪を運ぶ未来の二宮金次郎像を夢想してニヤつくモーメント・岩山は、何かもう少し、俯瞰した視点で己と、己を取り巻く時間の流れを見つめているのだという、証明の難しい珍妙な自負を持っていた。

    そう、モーメント・岩山の持つ感覚はとても証明が難しく、岩やトンネルを見ながら考える事も「この岩を原人も見たのだ、この手掘りトンネルを参勤交代が通過したのだ」という茫漠たる感想に留まり、その果てしなくすり抜けていく実体のなさがモーメント・岩山を更なる岩石、化石、トンネル鑑賞に駆り立てるのだった。

    理系出身のモーメント・岩山は35歳の時に研究開発部へ移動となったのだが、リウマチ治療薬の臨床試験で副作用により錯乱した患者にぶん殴られて20年の昏睡状態に陥ったのち目覚めた際、急激に皺が目立っていた自分の掌を見て思った事は「ああ、俺はようやく連綿と続いて来た己の時間を目で見て確認できた」というものだった。
    モーメント・岩山はずっと、この瞬間を待ちわびていたのかもしれなかった。
    それは一瞬と堆積を同時に体感する通常あり得ない眺めだった。

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