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お守り 様々な時期、各所にて

    落ちているお守り・お札は基本的に拾うのだが、特に信心はない。
    拾う事に躊躇したら駄目で、見つけた瞬間に拾えたらそれは良いお守りとなるという程度の指針ならばあり、そういった意味で、近所のファミリーマート前、電信柱を御神木に変える勢いで突き刺さっていた画像の御札は、何だかもう凄すぎて拾えず、4日ほど通ったのだが「今の時点でおれは負けている。この強大なエナジーに」と拾得を諦めた物であり、実際にここ1年で拾った物は以下となる。

左より、
・寳生寺
・花畑大鷺神社
・「御守」とだけ記された御守
・中尊寺「病気平癒」
・太田姫一口稲荷「風邪咳封治御守」(本宮から少し離れたJR御茶ノ水駅前に立つ木が奥の院になっており、そこに括り付けられた箱から貰える)
・上野東照宮
・高田馬場穴八幡宮「一陽来福御守」
である。
    
    既に手元にはないが印象に残っているお守りに、 東京の「亀戸香取神社」と、京都「地主神社」があり、亀戸香取神社は2020年の7月に 文京区小石川図書館前で拾い、拾った直後、転職の面接に行ったら内定をもらえた。給与面で折り合いがつかず辞退したのだが、スポーツの神様だそうで、やはり勝負事にご利益があるのだろうかと思った。
「地主神社」の方は埼玉県所沢にある祖母の墓参りに向かう途上、墓の場所がうろ覚えで、辿り着けるだろうか、と不安に思っているところで拾い、何か土地に関するご利益のありそうな「地主神社」という名前に元気を得、墓前に到達できたのだが、後日、実は土地など関係なく、縁結びにご利益のある神社だと知ったあたりで交際相手ができた。 

    ところで、私はだいたい1年で5つ以上はお守りを拾うのだが、これは多くないだろうか。一人の人間が1年で5つ拾うほど、世間の人はそんなにお守りを落とすものなのか。
    そして、お守りは多くの場合カバン等に紐を括り付けて保持するものだが、この紐が切れている物が存外に少ない。現在所有している7つの内、紐タイプは4個だが、そもそも括り紐が見当たらず、はじめから付いていたのか不明な上野東照宮を除いても、3個は紐が現存した状態で落ちていた。
    そう考えれば、落ちているお守りは、単にうっかり落としたというよりは、受験に失敗した、女に騙された等の不運に見舞われた者が、カバン等に着けたり財布に入れていたお守りを改めて見て、「なんだ、こんなもの」と、神仏に対する不信感を持ったうえで捨てたものではないかと思える。
    そういった負の力を帯びているから、落ちている御守りなど拾ってはいけない、としばしば言われる意見は真っ当だとも思うのだが、とはいえ自分の場合、    
「いやいや、神様や仏様とかは多分もっと壮大なスケールで生きていて、人間の不幸など取るに足らないからその人を護らなかっただけで決して効力不足ではないし、不吉とか天罰とか、そんなレベルで物を考えてないだろ、あの存在は」という思考回路で拾得する事に決めている。
    1年でお焚きあげするべきという意見に対しても、同様の思考法で「神仏がそんな短いスパンで生きてるわけないだろうから、まだチャージが余っている」とSuica、ICOCA、PASMO感覚で比較的長時間手元に置いている事が多い。

    もっとも、こちらが不幸に見舞われた場合は、お焚き上げや道に捨てるどころか、懲らしめる為になるべく酷い処分の仕方をするよう心がけるのだが。
    この間も、シュレッダーに入れた。 

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