「東京は美味しい店ない」とか言う関西人嫌い。

 僕は大阪の梅田を軸とする文化圏で生活してきたけれど、北摂、もっと言えば宝塚線沿線で育ったからか、パブリックイメージの関西人と自分自身とはズレがあるなあと思ってるよ。 今暮らしてる船橋で平野とか長堀とかの人と話してても、なんか違うね。この人ら関西人として正しいなーとか思っちゃうね。
 土曜日の昼間に新喜劇とか観た事ないよ、僕。今もあんまり好きじゃないなあ…。 昼過ぎからやってる、漫才師が何組も出る番組は観てたけどね。新人コンテストとかもテレビ中継されてて、面白かったな。 関東は、漫才師が漫才師としてでじゃなく、テレビタレントとして出るから大変だし可哀想だよね。
 後、関西に戻っと時に大阪の人と話してて違和感もつのは、「東京には美味しいもん無い」って、東京に滅多に行かない人が言い切っちゃうことかなあ、と。 関西いた時から反感覚えてたけど、こっち来てはっきりと反論出来る材料は揃った気がするよね。(わざわざ、相手に面と向かっては言わないけど)
 関西だと、飛び込みで入ってもまあまあ美味しく食べられるお店が多い…って印象は僕にも勿論あるけど、これのどこまでが「食べ慣れたものは美味しく感じる」ってやつに由来するか、僕には判別がつかないよ。 関西の人間が定食屋さんで砂糖醤油味の切り干し大根食べたら違和感感じちゃうのは当たり前。
 逆に、修学旅行で行った京都でうどん食べたら味がしないから、醤油注いで食べたよって東北の友人もいるしね。味覚に関してはやっぱり育つ過程での慣れが、育った後に自覚的に行った訓練を上回るよね。 それを、相手が味覚音痴だなんて嗤う人っていうのは夜郎自大に過ぎないし、関の東西を問わず嫌い。
 それに、東京は流入人口が多い。流入人口が多いと、腕磨かなくても客が来るからってあぐらかく店は多いよね。 けど、大阪でも、わざわざ腕磨かなくてもお客さん来てくれる立地の良いお店は沢山あってさ。そういう立地で一生懸命仕事して大繁盛も、ぼちぼちやってぼちぼち客来て…って店もあるんだよ。
 新梅田食道街(梅田駅の南側の飲食店街)なんか、ヒドい店いくつもあるよ。大半は、安くて美味しい素敵なお店だけどね。 けどそれは、外れを踏まないように嗅覚働かせればある程度避けられるものと思ってて。東京の方が甘やかされた店多いかも知れないけど、わざわざ行かなきゃ良いんだよ、そんな店。
 自分の感覚を磨いてこなかった人間がのほほんと東京にやってきて、リサーチもお店の観察もせずに飛び込みで入った店がたまたま美味しいなんて事がある理由無いからね。 だから、同輩であるところの関西人でも、「東京には美味しいお店無い」なんて言う人にはただの怠け者なんだなあとか思っちゃうよ。
 後、「高くて旨いんのは当たり前や」とか言う人もそんなに好きじゃないなー。僕も、安くて美味しいお店は大好きだし、地代と人件費にお金払ってるような料理は嫌いなんだけどさ。 値段が絶対的価値じゃないのは確かにそうだけど、高くて美味しいもの提供してる人へのリスペクトを感じないんだよね。
 東京にいると、高くて美味しくない大衆酒場とか屋台風の店とか、そういう詐欺みたいな店が一杯あるけどさ。 それはそれで、そういう文化に慣れてなかった人が嬉々としてお金払ってるんだから良いじゃない。美味しいものじゃなく、そういう形で情報を処理するのが好きな人達なんだから。離れておけば。
 そういう諸々をごちゃごちゃにして、実態の無い『東京』を作り上げる。そこに批難を浴びせる事で「それに対して関西は」みたいに溜飲を下げるのって、端的に言って格好悪いし、そのロジックで当の『東京』の人を説得できる訳がないんだよな。(誰も、生活圏外の人の説得の為にはやってないだろうけど)
 食に関して自分の好みを披瀝する事自体にはなんにも問題は無いし、自分の好みの味の店にしか行かないのも当たり前の話。 けど、わざわざ自分が意思決定して行った店に関し、文化の違いを意識しないで文句言うのはなんだかなあ。 まあ、東京大阪の2極制でもって世界を解釈してる人も結構多いからね。

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