今はまだ深海を語らず

 アイドルは、基本つまらない。アイドルだからダメとか偏狭な意見を言うつもりじゃないんだ。単純に、ブログの文章やツイートが日常生活の報告ばっかりだから、僕は読んでても面白く無いってだけの話なんだ。 プロコル・ハルム好きです!とかなら、「グランド・ホテル良いよね!」って共感できるのに。
 今のアイドル現場が生の演芸のフレッシュさと、双方向のコミュニケーションの楽しさに基づいてるのは勿論知ってるけど、そこの楽しさ求めるなら僕はバー行くなあ…というのは前も言ったところ。 バーテンダーとアイドルの職能は変わらないんだよね。
 →https://note.mu/ottsyideti/n/n3a70669ce10b?magazine_key=maa4e281f1607 …
 基本的にエンタテーメントなんてのは、感情移入なしに楽しめるものではないじゃない? 日常We/Theyでざっくりと分類しているところ、Theyの箱の中に入ってるものに自分と共通するものを見出してWeと思えるようになるのが楽しいんであってさ。 そうなると、アイドルはなかなか難しいね。

 僕は、アイドルの映像作品はライブよりも、ご飯食べてる光景とかの方が価値があるんじゃないかと思っているんだけどさ。 それって、ご飯美味しいよね、美味しいもの食べると嬉しいよねってところで共感しやすいからなんだよね。 ライブ映像は、興味が無い人には何のフックにもなりはしないからねえ。
 ほら、あなたの周りにもいません?ラジオ好きで、バナナマンのファンって事で『乃木坂って、どこ?』見始めたのに、今では乃木坂46の事も大好きになってる人。 それは別段、テレビに洗脳されたんじゃないんだよ。素敵なお嬢さん達が楽しげにしている姿に、共感を覚えて感情移入した結果なんだよね。
 ドルヲタの中には、曲の良さや総合的なパフォーマンス力、あるいは曲の素晴らしさを軸にアイドルをプレゼンテーションしようとする人がいるんだけどさ。 あれって、世の中にごくごく少数しかいない、音楽オタクにしか届かないと思ってるんだよね。レベルの高さより、自分との親和性の高さの方が大事。
 勿論、曲やライブパフォーマンスがフックになるケースもあるかとは思うんだけどさ。それはあくまでワンオブゼムだよね。そこだけで興奮できる人は、多分、世の中では相当フェティッシュな人なんだよ。 何かしらウェルメイドなものを志向するグループは、それ故難しいケースもあるのかと思っているよ。

 「聴けば分かる」「見れば分かる」なんてのは、言っちゃダメなんだよね。そこに感情移入するかしないかは、自分が親しみ持てるか否かなんだから。それに価値があるかないかなんて判断は、相手に委ねなきゃダメ。 「僕これ好きなんだよね」「ここの部分が面白いと思ってるよ」までで留めておかないと。
 現場でわっしょいわっしょいやってる系のエンタテーメントが強いのは、「みんなでわっしょいわっしょいするの楽しいよね?」という、シンプルで強力な主張が浸透力あるからなんだよね。 ウェルメイドなものを楽しむにはある種の教養がいるけど、わっしょいわっしょい言ってたら楽しくなるもんでしょ?
 わっしょいわっしょいの人達は、別に新規の人にあれ知っとけこれ嗜んどけとか言わないからね。強いていうなら、「元気に騒ごうよ」くらいのもので。 ウェルメイドなもの愛する人は、新規客に自分と同様の教養を前提で求めたり、あるいは、ものの見方を植え付けようとするから嫌われちゃうんだよねー。
 翻ってじゃあ僕は…というのが本題。 僕ねえ、ウェルメイドなもののウェルメイドたる由縁なんか知りもせず、また知ろうともせずにわっしょいわっしょいやるのが好きなんだよねえ。 ショコラティエが丹精込めて作ったチョコレートを、ガーナチョコと同じ様式でバリバリむしゃむしゃ食べちゃうんだよ。

 ウェルメイドなものを、ウェルメイドであるが故に愛する人からしたらこの上ない侮蔑と捉えられかねないんだけどもさ。 けどさー。ウェルメイドなものは、結果としてウェルメイドになっただけで、強度があるから楽しいんだからさー。 (と言いつつ不自分の勉強な事を曖昧にしてしまおうという試み)
 そういう自分からすると、アイドルはなかなかに難しい。 未完成なものや未成熟なものの中に、愛着なり感情移入なりロジックでもって補いながら、価値を見出すというっていうね。それって随分高級な遊びだからなー。 僕はまずまずの凡人なので、そういう気の利いた遊びに全力で没入しにくくてねえ。
 その理由の一端が、僕の趣味嗜好があまりにおっさんおっさんしてて、感情移入できるテーマがあまりに狭いというところは、言うまでもないところだけどね。 レストランバルでガブガブワイン飲むのが好きなアイドルなんて、10代はおろか20代でもめったにいないからさ。話が合わないんだよねえ…。←
 『語り得る対象となるだけの強度』と、『語り得るだけの余地』が両方あるケースに関しては、その現場で参与観察した上で、その良さを語ったりするのは出来るんだけどさ。 あくまで外部の人間による分析にしかならないんだよねえ。それじゃあ、没入してるとはとても言えないね。半分醒めてるんだもの。

 半分醒めてる良さはいろんな現場に潜り込める事なんだけどね。けど、深く深く沈んでいって、気付いたら引き返せないくらいに深くにいて、息が続かなくなった瞬間に、必死で水面に浮上するんじゃなくさらに深く潜っちゃうような人間でないと、エンターテイメントの本当の深さは分からない筈なんだよね。
 深海に潜む生物に魅入られた皆さんの語る海の中の世界に対して、「良いなあ。楽しそうだなあ」とは思うものの。そのレベルまで深く沈むには、装備の為にお金もいるし、時間や手間もかかっちゃうからね。 じゃあ彼らはそこまでしてなぜ潜るのか。海が、美しいからなんだよね。ただ、それだけなんだよ。
 そんなこんなで、僕は浅瀬でパシャパシャ水遊びしてる分で十分かなあ、とは思っています。 深海写真とか海の世界の話聞くのは好きなんだけどね。流石に、一緒に海の底まで深く深く潜っていく覚悟も思い込みも持てていない。 それに、海は綺麗だけど怖いところだからね。自力の及ばぬ世界な訳ですよ。
 まあ、でも。自分は浅瀬で遊んでいたつもりが、知らぬ間に深いところに行ってしまうのも海遊びではよくあるお話。 あるいは、離岸流に巻き込まれて一気に沖に流されて溺死してしまうかも知れない。 そこら辺は、誰にも分からないものではあるけどね。何がきっかけでそうなるかは、本当にわからない。
 取り敢えず、思っているところは。 深く沈む時は装備だけじゃなく、心の準備が必要という事と。それと、深く沈んでると酸素酔いになってしまうかも知れないというところかな、と。 そこら辺は十分注意しつつ、ひとまずは浅瀬での水遊びだけで行こうかなあと思っています。とりあえず、現時点ではね。

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