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なぜ私は死ななかったのか。「日本共産党暗黒の百年史を読んで学んだこと」

なぜ私は死ななかったのか。

「日本共産党暗黒の百年史を読んで学んだこと」

ここからでも買えるよ

日本共産党の、警官射殺・暴行・暴動などの様々な事件については、
🔻こちらに書いたが、

https://ameblo.jp/momiccotaro/entry-12818252165.html


実は、他にもなるほど感心する部分があったので、別途記載しておく。


これは、真面目な話、私の母と兄が共同で私を殺害することなく済んだことが、単なる偶然の幸運に過ぎなかったことの証明になる。


もしも現在、無知で躊躇なく、SMプレイの拘束を楽しみ、刑務所や留置所で囚人や収監者の手足を革手錠で締め上げ、精神科の患者や知的障害者施設などで入所者を縛り上げている人々はぜひご一読いただきたい。




SMプレイのような性的嗜好を除き、一般的な身体拘束は、病院や高齢者施設、刑務所や留置所などといった、何らかの施設に於いて、その施設もしくは、スタッフ個人の円滑な業務の遂行が難しいと判断される場合に多用されている。


私自身の被身体拘束は、家族から受けたものであるから、その例には漏れるが、オウム真理教や日本赤軍、日本共産党事例や強盗犯など、強行的で過激な集団が、周りの仲間や拉致した人物、現場に居た人物の行動を制限する際にも常用されるのは周知の通りである。


当時の私は小学校より中学の一年生あたりまで度重なる両親や、それに伴った兄の3者及び教員からの暴行を受けていた。


教員のそれは、人目の多い校内でおこなわれることもあって、時折り口内から出血したり、聴力を失う程度の身体的被害で済んだが、


両親からの虐待については、正(まさ)しく命に関わるものだった。


厳寒、防寒具を着込んでいても震え上がる深夜、全裸(下着もなし)、わざわざ街灯が眩しい大通りへと連れ出され、コンビニの前で、そこから動かぬように命を受け立たされる。


その後も全裸のままで震えながら朝まで放置、意識をなくして倒れている所を、優しい笑顔で救世主のごとく父が現れる。


これはもはや洗脳のテクニックで、飴と鞭を巧みに使った手法だった。


母親の場合には、恐らくもっとも多かったのは、先がハートの形(愛の鞭だけに)をしたような、木製及び樹脂製の布団叩きで、顔面、手の先から足の先に至るまで隅々を、愛の鞭打ち血流促進施術と称して、100も200も300も叩き続けた。


全力で叩き続けるものだから、すぐに布団叩きは破損してしまう。そこで次々と新しい道具が出てくるのだが、革製のベルトがなかなかのお気に入りだったようで、時には金属のバックルの細い棒の部分が大腿部に刺さったり、顔面に当たれば皮の薄い部分は骨に直撃して鈍い音を立てた。


時には大腿部に細い金属の棒の部分が刺さったり、顔面に当たれば皮の薄い部分は骨に直撃して鈍い音を立てた。


その後はとにかく、周りにある棒状、ベルト状のモノならなんでもござれ、農家と、その他の力仕事で鍛え上げられた当時の母の腕力は中学の私でも腕相撲で敵わぬほどで、


その威力は、体育の時間に体操服に着替えていると、私の全身みみず腫れを見た、被害とは無関係の周辺生徒を震え上がらせた。


ちなみに私は世の中の全ての親が、わざわざ非常に疲れる愛の鞭を我が子のために振るっているのだと思い込んでいたので、震え上がる生徒の様子には合点がいっていなかった。


その後、ソヴィエト共産党、中国共産党、日本共産党がそうであったように、私の体格や体力の成長と共に、母親による圧倒的支配が叶わぬようになって来ると、そこに兄が加勢するようになった。


元々、虐待が横行するような家庭の状況は、間違いなく夫婦仲が悪く全ての家族党員が、思い通りに行かぬことは暴力で支配すれば良い!との短絡的な思考を持ち合わせている。


ましてや、兄も父からのそう言った体罰の被害に遭っていたから、今度は優位な加害側に加勢できることが快感でもあっただろうし、


日頃から自分と争いが絶えなかった弟を徹底的に、「家内合法的に」傷めつけることには心地よい達成感を味わっていたことは間違いない。(当時の非常に得意気な面持ちをいまも忘れない)


そう言った暴行の場合には、まず抵抗する私の腹に、やや肥満気味で体重が多い兄が馬乗りになって、私の身動きを停める。


そのまま、無理やり両腕をバンザイと上に上げさせられ、すかさず母が私の手首を紐で硬く縛り上げる。


抵抗するモノを瞬時に縛り上げるのであるから、もちろん血流阻害の問題など頭にもなく、限りなく硬く締め上げる。


その後は、両足首を縛り上げ、全身を簀巻きのような状態に仕上げて行く。


しかし、そんな状態でも数時間のうちに、私がうまく紐を解いてしまうことがあったため、


今度は両腕を背後で縛り、縛り上げた両足の紐と繋ぎ、口で噛み解かないように猿轡(さるぐつわ)までされるようになったが、これは、近隣に対して救援を求める大声を出せないようにする策でもあった。


そうこうするうちに、それでも私に絶対的な支配が及ばないと見るや、最終形態として、海老反り状態で手足を背後で縛り上げるのが常態となった。


これは、プロレスやタイ古式マッサージなどで、相手の背に自分の膝を当てて持ち上げるような技と同じく、数十秒程度なら大したこともないのだが、


5分後くらいには、あまりにも呼吸が浅く、酸欠状態で意識が朦朧として来る。何度か走馬灯のように、学校の生徒たちや弟、妹の顔が次々と脳裏に浮かんでは消えていったことを思い出す。


あの時には、すでに死を意識していたが、浅い呼吸を細かく繰り返す、「小太郎式束縛状態呼吸法」を編み出して乗り越えて来た。


86頁から100頁辺りまで紙面を割いて語られる第三章の「リンチ死事件の真相」を読んでいると、


後の共産党のトップ(志位→不破→宮本)で当時中央委員の宮本顕治を実行犯とする、同じく中央委員の仲間に対する暴行・監禁致死・死体遺棄事件についての部分がある。


この事件では、死亡した被害者の死因の特定に時間がかかり、結局、曖昧な部分が残っている。


つまり、猿轡による酸欠なのか、殴打による内臓破裂や出血多量(失血)なのか、恐怖からのショック死なのか、薬物や酒を無理やり飲ませての中毒死なのか、もしくは生存中に生き埋めにされての酸欠なのか、素人の私には分からないが、あらゆる方面からの検査がおこなわれたらしい。


結局のところ、現代の医学なら説明が容易いようで、どうやら、「エコノミークラス症候群」であろうと説明されている。


定義としては、


“食事や水分を十分に摂らない状態で、車などの狭い座席に長時間座っていて足を動かさないことが原因となって、血行不良が起こり、血液が固まりやすくなり、その結果、血のかたまり(血栓)が血管の中を流れ、肺に詰まって肺塞栓などを誘発するなどして急死”


と言うことらしい。これは、肺に起これば肺塞栓症であるが、脳梗塞や心筋梗塞など、最終的な死因は様々だろう。


当時の拘束状態の私は、当然食事など抜きで、日中から夜まで締め切った部屋で放置され、水も与えられなかったのだから、


その最中や、拘束を解かれた後に、同様な急死に至っていた可能性は非常に高い。


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https://journal.jspn.or.jp/jspn/openpdf/1090110998.pdf

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