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生き生きと生きて▶︎生き生きと死ぬ




生き生きと死ぬ


 

誰でも生きてりゃ毎日毎秒、世の中・自然・誰かに迷惑をかけてばかりだ。

  排ガスを撒き散らし、汚物・洗剤などを下水に垂れ流し、勤務先でも工場排水や煤煙を吐き出し続け、

 クラウド上にデータを預ければデータセンターでは発熱がすごい。

冷暖房でもオゾン層破壊に一役買って。安い物を求める度に貧困国の子どもは学校に通うのをあきらめて仕事を手伝う。

 どんな奇麗事を吐いている、いや、吐いてる奴ほど自分のことが良ければ全てOK!

 誰も迷惑をかけずに生きてる人なんかいないのに、結構大人はこういう。「ひと様に迷惑だけはかけないように!」

そうしてそのオヤジは未成年者と「援助」の交際をして、世の中に貢献し、

オフクロは、もう十分すぎる贅肉を増やすために、今日もランチで、「ああ、残したらMOTTAINAI!」と、皿についたコテコテソースをペロリと舐める。


 君もぼくも、今日死ぬかも知れない。

幸い、今日天から落ちて来た隕石にぶつからずに死ななくても、3ヶ月後に大病で死ぬ可能性は非常に高い。

と、その前に、核戦争か何かで死ぬかも知れない。

ぼくたちが生きているのは、全員が同じ目的だ。

そう、納得して抗わずに死ねること。死ぬために生きている。

わざわざ自分で死ななくても、どのみち死ぬから、焦らずせめて、近所のおばあさんの肩たたきをしたり、重たそうな荷物を運んでいる人を手伝ったり、人手不足の会社で働いてあげたりと、

この世に迷惑をかけた恩返し(罪滅ぼしは重いなあ)をいくつかしてみたらどうだろう。

何なら、命をかけられるほどなんだから、国内外の被災地や貧困層の元へ行って、死ぬほど活躍してみたらどうだろう。

(もちろんボランティアである必要はまったくない)

腐ったどんぐりの背比べして、どいつもこいつも同じように迷惑かけて、同じように素敵な存在。

今の歳が10でも20でも、明日には死ぬ可能性は十分にある。

金儲けがどうだとか、人に好かれてるかどうかだとか、そんなことも良いけれど、

明日死ぬとして、納得ゆく死を迎えられるのか?

「おお!生きてるだけでもいっぱい迷惑かけてきたけれど、同じくらいは世の中に貢献できたよ! いっぱい人を喜ばせて役に立って納得して死んでいけるよ!」

そう言って納得して死んでいけるなら、それでいいじゃん! 人生ってそれだけのことじゃん!

大袈裟に考えすぎるより、動いてみたら分かるよきっと。

ただし健康管理は必要。だって納得する人生のための最重要な道具なんだから、正常可動がなけりゃあ話にならない。

生まれついて不健康や、現在不健康ならば、せめて維持や向上を目指して、他人からではなく、自分での納得ゆく人生だ!



先日、知人の女性が3人の子を抱えて、それを理由に就職を諦め嘆いていた。

まだまだ女性の社会進出にはハンデが大きいって。

本当は違うと思う。もう、子孫繁栄して子育てしてる時点で、凄まじい社会進出大貢献!⁡

でも、今の世の中では、有名になって大金を稼いで形にして見せつけられる人を成功者とみなす傾向がある。

男の「育児休暇」も、まるで不参加のような扱いだけど、本当は出勤中と、いやそれ以上社会に「参加中」なはずだ。

だいたい、「育児休暇」と言う会社目線の偏った言葉がおかしい。実際には活動を休んでもいないし暇でもないのに、「休暇」になってる。

だから、きっと彼女もその風潮に流されて、自分の価値を他人の判断に委ねてるから、そう思うんだね。