スキとかキライとか
よく分からねえってのが本音だよ。
いいな。よくないな。
っていうのが
いいな=スキ。よくないな=スキじゃないかも
っていう感じになってはいる
もうホント大っ嫌い!この人!!
っていうのが人生のうちに、まあ1人や2人は居ただろうけど
これってパワハラ上司のことだけどさ。
人を人と見ないで見下してくるタイプの人間は大っ嫌いだね。
まあ、これからそういう人に出会うかは知らないけどさ。
それ意外でキライって感じるのは、、、、虫かも。。。
うわっ、想像しただけで背筋が痒い感じ・・・
なにこれ。
子供の頃は、全然大丈夫だったんだけどなあ。
美的センスっていうのは、あまり備わりすぎると弊害にしか成らないんじゃないかって思うね。
潔癖症っていうのとなんか似ている気がする。
人は、最も好むであろう環境の変化によって、美的だと認識する。
ストリート・アートを美的だと感じる人、
額縁に入った作品を美的だと感じる人、
色々な環境の変化によって、これは美なのだと考える。
単なる落し物にさえも、
人はこんな落し物スキかも知れないって感じれるのだ。
そういう意味では、私のスキは結構たくさんある。
色んな環境の変化で見せるオリジナリティな素材たちを私はスキだ。
人は変化するようで、意外と変化はしない。
その人が居た環境が変化して、
なんだか変わったかもという錯覚をするだけなのだ。
この場所ではスキだけど、あの場所にあるとスキじゃないな。
ある意味これは盆栽の空の彩りをデザインすることと似ている。
敏感になればなるほど、その傾き加減が気に入らないとかになるだろう。
なんでも受け入れるという美的感覚は、赤色の口紅とワインレッド色の口紅の見分けがつかないという状態に似ている。
こだわりの無さだ。
スキやキライが強く現れる人は、美的感覚にも優れ、潔癖症になっていくことだろう。
スキやキライが滞りがちな人は、私のように美的感覚に疎く、汚いものでもある程度受け入れてしまう人だと言える。
社会は、美的感覚に優れた者を好むようになっている。
ゴミ屋敷状態は、社会的に排除したいと感じるだろう。
美的感覚に優れれば、やがて「スキやキライ」の格差が広がっていき、いじめ問題へと繋がる要因を抱える社会問題が浮上してくることだろう。
私たちは、この「スキやキライ」という事を安易に考えがちではありますが
社会の根本を揺るがす大きな問題なのです。
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