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書くのではなく貼るもの

もう何日振りなのかもわかりません。とにかく久しぶりだということはわかります。

元々、継続することを意味として始めたもので、内容も決まっていなければ、欲求もなかったもので、よく考えてみればハードモードだったのではないかと、屁理屈も出てきます。
いずれにせよきっと継続できていないだろうということは一度棚に上げておいて、なぜできなかったかを考えました。

大きな問題は"テーマ"です。毎日とにかく継続する、ということは広義でのテーマにはなりますが、その駄文の内容には関わってきません。それが逆に楽なものだと思っていましたが、実際には異なり、習慣になることはありませんでした。
きっと日記という小項目を設定できれば違ったと思います。その日あったこと、見たもの、聞いた音を書けばクリア、という単純な継続にはもってこいのネタなはずです。
しかし日記は嫌だという、謎の、プライドのような、よくわからない制約の下始めたことは大きな誤算でした。

他にも問題点はいくつかあり、まず写真が無いということです。
なんとなく自分で拵えた写真だけをアイキャッチに使おうとした結果、弾切れが生じたという、わかりやすい失敗です。
ご時世のおかげで外出はめっぽう減り、家の中で撮れる写真などたかが知れているので、自ら悩みを増やしていってしまいました。

おまけ程度の問題になりますが、やや同じような執筆だったり、編集のような作業が増えたということもあります。嬉しい悲鳴、みたいなもんですが、時間の使い方というのは難しいな、と初めて実感した気がします。

読む本も変わったりしました。なんの為にもならない心理学や哲学書、SF小説、コラムみたいなものから、所謂ビジネス書みたいな、自己啓発本みたいな、今まで小馬鹿にしかしていなかった本を読むようになりました。
別に強制されたわけでもないのですが、必要になったので手に入れた、という感じでしょうか。しかしそこに時間は割かれるわけで、とはいえこのnoteに反映しようと思うものではなくて。面白いことは面白いですけどね。

以上のように言い訳を唱えてきましたが、ようはサボタージュの成り果てということで、人間なかなか簡単に変われないよね、ってことを再認識できていい経験でした。

どうせもう習慣でもなければ記録でもないので、ぼちぼち続ければいいかなと思っています。

要は使い方が大事。

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