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《プロローグ3》 九州の旅の神意


福岡へ行くとばかり思っていたが
秋分の日を境にタイムラインが変更、
次に示された宮崎県都農町へ行き先を変えた。


都農行きを決める数ヶ月前から
とある人に「高千穂神社って顔に書いてある」と
言われていたことを思い出し
せっかく宮崎に行くのなら・・・と
高千穂も巡ることにした。


そんな話を海巫女にすると
「ここの神社が呼んでいる」と示されたのが大分県

西寒多神社奥宮 本宮神社
http://www.kyushu-jinja.com/ohita/hongu-sha/


宮崎に行くと言っているのに、なぜ大分??
その神意がわかることになるのは、まだ後の話。



宮崎〜大分〜高千穂〜阿蘇を巡る
約二週間の旅に出ることになった。



その時々に届く目に見えぬ存在たちからの
「ことづて」を受け取りながら移動すること二十社以上。



例の本宮へは、酷道によりタイヤがパンク…
辿り着くことができなかった。
しかし、それ以上にその経験をしたことが
今後のわたしの在り方にヒントを与えてくれた。




そして、何よりもそこを目指すことに意味があったのだ。





大分から高千穂に入り、数日後
再び海巫女より指令が入るー


「大分に戻って」


翌日、早朝から片道2時間かけ
大分県臼杵市へ。。。


レイライン上にあるといわれる
臼杵石仏や、呼ばれた神社を数社まわり
また高千穂へと戻ったのだった。



なぜ、臼杵へ一度戻る必要があったのか?
その時には、分からなかったが
旅を終え、記事をブログにまとめながら(現在は存在しません)
もしや?と思い、「中央構造線」を調べると・・・



スクリーンショット 2022-01-13 11.55.03

https://mtl-muse.com/mtl/aboutmtl/whereismtl/ より拝借



今回、移動したルート

宮崎から一度大分へ入り、
高千穂→再び大分の臼杵、そして阿蘇(幣立神宮)

を辿ると・・・



中央構造線と重なるのだ




それを裏付けるように、旅の最終日、阿蘇
地震(鹿島神宮関連)や鹿に関することを通して
またしても志賀海神社に繋がったのだ。



鹿のからはじまり、都農(つの)へ繋がり
九州の旅で中央構造線の上を移動。
さらに、岐路となった秋分の日を迎えたのが愛媛。




これはただの偶然ではない。
そして、まだはじまりに過ぎないという
直感だけはあった。


その直感はやはり正しかったのだと
氣づくのは旅を終えて数週間後のこと。



つづく


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