《長崎 神ノ島編》 マリア様の叫び


この日訪れたのは、神ノ島こうのしまにある
岬のマリア像と神ノ島教会


先日の大浦天主堂で、ここでお話しましょうと
言われていたこともあり、やって来た。



向かうバスの中で、なんとなく気分が悪くなってきた…
(こういうときは、大抵なにかある時



まずは、教会から向かうことに。
教会内は撮影禁止のため写真はないが、
外にあるマリア像に黒蝶が飛んでいた。



教会内はとても美しかった。
ゆっくり椅子に座りしばらく休むものの
この気持ち悪さはなくならない…


なんだろうか…


すると、ふと正面左にいらっしゃる
美しい女性の像に目がいった。




美しいのだが、どこか悲しげな表情だ…
意識を合わせた瞬間
「あの子を救ってください」
と言われた。



あの子って誰のこと??
誰の声??



あ、もしかしたらマリア様のお母さん?!
あの子とは、マリア様のこと??


それに気づいた瞬間、お母さんの思いが
なだれ込んできた。



「あの子も、ある日突然選ばれ
イエスを生むことになった。
わたしにはあの子を護ることができなかった…」



「お前の娘は、神の子を授かる」
とある日突然言われ、あれよあれよという間に
授かり出産。

娘の幸せはさておき、勝手に進んでいく話を
止めることもできない、反対することもできなければ
「愛おしい我が子を護ることができなかった」
そう感じるのが当然だろう。



そして、それと同時にマリア様も同様に
「あの子=イエスキリストを護れなかった」
という思いを抱いていることを感じた。



もちろん、イエスキリストは己の宿命を選んで
生まれてきた神の子であるが、

母親にとったら神の子であろうと
自分から生まれた命である我が子が

あれほどまでに過酷な運命を辿るとなると
「護ってあげられなかった」と思うのも
無理はないと思った。




そして、もう一つ言われた言葉が
「マグダラのマリア」であった。

イエスの妻という見方があったり
娼婦だったという書かれ方をされたり、と
色々な顔を持つマグダラのマリアであるが


わたしの感じたところによると
イエスと一緒にいられなくなった
母、聖母マリアの分霊が
マグダラのマリアとなることで
一緒にいることを選んだのではないかと思う。


聖母マリアは、御子を授かった力の持ち主。
もちろん、神の力もあったと思うが
神の子を普通の人間が生むことはできないと思う。

それだけのエネルギー量が大きいものを
受け入れるということは
それだけの器がないと成り立たないからだ。



ゆえに、聖母マリアは生きながらにして
自分の魂の一部を息子を一番近くで
見守れる人物に入れたとしても
それくらいのことはできてしまうのでは?
と思ってしまう。
(あくまで、わたしが感じていることなので
何も証明するものはないが



しかし、書かれ方もキャラ的にも
聖母マリアとマグダラのマリアは
いわば、真逆。


でも、だからこそ聖母マリアは
マグダラのマリアを選んだそうだ。


ここまでの情報を受け取り
気持ち悪さもだいぶ軽くなっていた。


その後、岬のマリア像へと向かった。
実はこの場所、元々恵比寿様が先に
祀られている場所。

そこに後から、マリア像が建てられたらしい。




恵比寿様に一応、どう思っているのか
伺ってみると…


「娘のようだよ!
海で亡き者、海がまたその傷をも癒すからの。
海は生みの根であるからな。
わしの中で眠るもの、愛おしいものよ」


こちらは水神様



あぁ…
やはりマグダラのマリアの最期は海だったのか。



実は、教会にいるときに海巫女と
そんな話をしていたのだった。



いよいよ、マリア様の前へ
うーーーん。
イメージのマリア様とエネルギーが程遠い。。。


Before



まずはお話をすることにした。
お母さんからの伝言、そして聖母マリアとして役割
マグダラのマリアとしての側面ー


そのことについて意識を合わせると
色々と教えてくれた。



ある日突然選ばれて
訳がわからぬまま生むことになった。


聖母マリアとしてのわたし。
イエスの母としてのわたし。

それを取ってしまったら、わたしには何も残らない。


だから、聖母マリアと言われるまま、求められるまま
その姿を演じ続けた。本当は、聖母以外の側面もあるのに…
でも、それを見せてしまったら聖母のイメージを壊してしまう。

世間が求める、神の子イエスの母として
きちんとしなければ。

でも、本当はもういやだった。
聖母であり続けることが苦痛だった。


だから、全く真逆のマグダラのマリアを選んだ。
常識の外をいく女性、性に対して聖母マリアと
真逆なイメージがあるマグダラのマリア。

壊したかった。
聖母という枠を壊したかった。


そして、マグダラのマリアの最期に意識を合わせた時に
視せてもらったのが船底の牢屋のようなところだった。
光も当たらない、じめっとしたその狭いオリの中に
マリアはいた。


イエスの亡き後、イエスの魂を求めて海へ出た。
しかし、彼女の存在が疎ましかった存在に
捕らえられてしまったようだった。


注)史実などには書かれていない、わたしが感じたことである





出して、出して、出して!!



彼女の悲痛な叫びが聞こえて
思わず涙ぐむ。



大丈夫だよ、そこから今出すから
もう、大丈夫だよ。
出たいよね、出たいよね。


そう声をかけながら、解放の儀を行った。


精麻箒にはじめて火をつける



解放後の空



すると、その狭いオリの中から出てきた
マリア様の姿はこの地球をも覆うほど
大きく、美しく、ガイアをも生むほどの
エネルギーであった。



After
龍もたくさん出てきた空





海の音

生みの根

いのちの根



そして、ここでの体験が
翌日の日山神社での奇跡に
繋がるのであった。



つづく



聖母マリアが解放された時に視せてくれた
本来の姿、エネルギーを込めた護符はこちらより


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?