空亡のとらえ方
先日、空亡について投稿しました。
何人かの方から、どう過ごしたらよいのか、どうとらえたらよいのかなど、質問をいただきましたので、私なりのとらえ方を書いてみようかと思います。
前回、天の気は十、地の気は十二、地の気が二つ余るので、
天の気=「禄」が付かない2年を四柱推命の世界では、「空亡」と呼ぶと書きました。
天の余慶(助け)が弱い2年間。
逆に言えば、普段たくさんのサポートを受けながら生きているということです。
様々な流派がある。
昨日、四柱推命の講座の中で、「空亡を取らない流派があるそうですが、どう思われますか?」という質問を受けました。
四柱推命には、さまざまな流派があると聞きます。
私は、師より、「信じたものが、真実になる」と教えられ、納得したので、あまり他の流派について調べたり、そもそもネットの情報は、参考にする程度です。
私が信頼する情報は、「信頼する人から伝えられたこと」
このことをとても大事にしています。
会ったことがない、誰かわからない人の情報は、基本的に取り入れないか、参考にする程度です。
たとえそれが功名な先生だとしても、丸呑みにしないで自分なりに精査して、取り入れさせていただくことは、ありがたく取り入れています。
古事記の先生がおっしゃっていた言葉。
「信じないけど疑わない」
この姿勢を大切にしています。
そして、私は空亡はとても大切だと感じています。
「12」というサイクルの中でやってくる2年間の空亡は、毎回同じではなく、テーマも違えば、影響の度合いも違います。
そもそもこの2元の世界を表す12というサイクルは、月の朔望サイクル。
そして太陽と月の関係です。
そして十干の「10」のもとは、五行からきている・・・
「森羅万象」のリズムを古代の人がどうとらえたかという視点から生まれているので、大切だと考えます。
ただ、人によって空亡の影響を受けない人がいるのは事実。
ひとくくりにはできないということ。
そこが占術の面白いところであり、単純な「吉凶」で測れないことろが、たまらなく興味を引くところの一つ。
Lineやメールなどで、生徒さんやお客様から、「吉凶」や、簡単なアドバイスを求められることがありますが、何か一つのパーツを見て、「吉凶」も、アドバイスもできないなあというのが私のスタンスです。
「真面目」とよく言われますが、まあ真面目なのですが、全体を見ないこととには答えらないし、人の人生もそんな簡単に片づけられるものでははないと思うのです。
なので、文章だけの鑑定は、できるだけやらないようにしています。
空亡の影響を受けない人
自分が日干という生まれながらに持っている十干の五行と、空亡の干支の五行が同じ人は、空亡の影響は薄いです。
例えば、今年と来年は寅卯の年なので、五行で言えば、「木気」の年。
なので、日干が「木気」の人(甲乙)は、比較的影響がなく、空亡という実感はないと思います。
そういう人は、「天冲絶迹」という60年に一度来る恐ろしい運気も、影響を受けていない人がほとんどです。
十干の五行と十二支の五行の関係は、とても重要です。
その外にも空亡を受けない人はいます。
だとするならば、そういう人は特別ラッキーな人なのかというと、そうでもなく、ほかのタイミングで空亡と同じような経験をされます。
人の人生は平等
声を大にして言いたいこと。
誰かだけがラッキーで、誰かだけがアンラッキーな人生はないというのが基本的な考えです。
が・・・ひとくくりにしてはいけないことも事実。
私ごときが浅はかな知識で、人の人生を語るべきではないです。
自分の力ではどうしようもない立場にいる人も、たくさんいらっしゃいます。
特に子供たち・・・
なので、これから書くことは、ある程度恵まれた環境にいらしゃる大人の人に向けての内容です。
自分がうまくいっていないときは、うまくいっている誰かをうらやましく思うこともあるでしょう。
ただ、誰かがうまくいっていないときは、自分がうまくいっている時もあると思います。
誰かがうまくいっているときは、その人の応援をし、誰かが悲しいを想いをしているときは、その人に寄り添う。
そうすると、自分がうまくいっているときは、誰かが応援してくれて、自分が悲しい思いをしているときは、きっと誰かが寄り添ってくれる。
そんな想い合う経験をするためにも、空亡やアンラッキーな時期はあるのかもしれません。
そもそも・・・
何もない平穏な人生が、本当に幸せなのでしょうか?
平和な暮らしをするために、ただわくわく楽しいことをするために、この世界にやってきたのでしょうか?
何のために生まれてきたのか・・・
空亡や、バイオリズム的に苦しい時期は、考えるチャンスの時かもしれません。
私自身、病気も、死ぬのも、貧乏になるのも、そして大切な人を失うことも、もちろん怖いし恐れています。
ただ、ある程度自分のサイクルを把握しているので、受け止め、立ち向かっていく力は蓄えているかなあと思います。
空亡中の過ごし方
前回の記事では、何か学んだり、鍛えたりすると良い。
そして、天地の守りをしっかりとつけると良いというようなことを書きました。
もう少し補足します。
空亡中は、現状維持に努め、新しいことはしないほうが良いと、師にも教えてもらったし、本にもそう書かれています。
ただ内容によりけりだと思います。
先日も、「空亡中に新しいことをはじめると、うまくいかないのでしょうか?」という質問を受けました。
「新しいこと」をする目的のベクトルが、「自分のため」だとすると、結果は、「空しく亡びる」でしょう。
ただ、こういう時だからこそ、ベクトルを自分以外のものに向ける時期なのではないかなあと感じます。
前回も書きましたが、「徳」を積む時期ということかな。
誰かのためにやることは、どんどんやっていってよいと思います。
小さなお子さんがいらっしゃるなら、PTAや子供会の役員を率先してやる。
特にお金にならないことはやると、空亡が明けたときに、何かの形で返ってくるでしょう。
すべては宇宙の循環。
私たちもその循環の一部。
最後に・・
少し自分の経験も書かせていただきます。
実家の父が、昨年と一昨年、「天冲絶迹」という60年に一回の大凶の2年間でした。
他にもいろいろ重なって、一つのお別れの時期かもしれないなあと、覚悟を持ちながら過ごした2年間でした。
この2年間、父のために毎月仕事場の近くにある、瀧谷不動さんで、護摩木を書き、父のために四天王寺さんへ回向参りにも何回か行き、最後は娘が行ってくれました。
父には詳しくは話していたなかったのですが、月数回約1時間かけて、高野さんの別院で、庭仕事をしたり、お茶を出したりというご奉仕をしていたので、「いつも以上に努めてね」ということは伝えていました。
パンデミックの状況下で行けないときもあったようですが、熱心に通ったそうです。
結果・・・乗り越えました。
まだ父にはこの世界で働かせていただくことが、あるのかもしれません。
誤解がないように、生かされたから良いとか、素晴らしいとかという話ではないです。
そもそも生死に、良い悪いもないし。
生まれて死んでいくという事実があるだけかな。
人の生死は、私たちがコントロールできることではなく、前述したように、宇宙の営みの中で、人知を超えた領域で起こること。
ただこの時期を経験したことは、私にとって良い時間でした。
たとえお別れがこのタイミングできていたとしても、父の無事を祈りながら、できることをした2年間たったので、受け止められたのはないかと思うし、いつかはやってくる別れを受け止めることができると思います。
もう一つ、これはどうでもよいことなのですが・・・
私は寅卯空亡。
今年の寅の年の、今月の寅の月の、寅の日18日に、スピード違反で捕まりました・・・
事故じゃなくてよかったけど、「まんまやん」と、自分で突っ込みました。
空亡中は、「我のかたまり」になりやすいとき。
謙虚さを意識したいと思います。
何かの参考にしていただけたら幸いです。
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