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例え それが事実であって真実であったとしても

君は誰かから批判された事があるだろうか?
そして、それは事実だと思うことがあるだろうか?

今日はそんな話。

誰かから批判されて
その内容が事実である時

君はその批判を
仕方ないものだと
受け入れてしまうかもしれない。

事実なのだから
批判されるのは仕方ない

と、そう思うのかもしれない。

これは

間違いを犯した者は
裁かれなくてはいけない。

という概念によるものだろう。

でも本当は

その内容が事実であって
真実であったとしても
批判する権利は誰にもないんだ。

その批判を受け入れるかどうかさえ
君は選ぶことが出来る。

そして、批判とアドバイスは別ものだ。

もし、この考えを採用するなら

批判する、責めるという概念が消えてしまう。

結果、最もらしく偉そうに批判をしても

それは結局、自分を正当化したいがための
単なる愚痴にしかならない。

みんな自分の考えや感想を
「あなたは正しい、素晴らしい」と言って
採用して欲しいだけだ。


それでも批判的になりたい時だってあるだろう。
そんな時は自分の中で適切に処理する。


その気持ちを無視せずに、
ただ、その感情が今、自分にある事を許せばいい
そのうち手放したくなるから大丈夫。

そして誰かを強く批判したくて
それを自分で処理できずに相手にぶつけるなら

それで誰かが消えてしまう可能性がある
知っておく事だ。

君は批判をしたい 
その人の命に責任が取れるのかい?


それからもうひとつ。

君が受けたその批判は、
君に新しいステージを知らせる
光かもしれないよ?

そうすると、受けた批判さえ光に変わる。
そうやって闇を光に変えられるんだ。

人間って不思議だね。


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