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オトラボ営業部長の第3章

2022-12-12


第三章 父との死別により気付かされた人生観

なんとか高校も卒業し
大阪の南方にある盲学校の職業訓練コースで
ピアノ調律コース・鍼灸・マッサージコースに進みました。

ピアノ調律は私にとって想定外の出来事ばかりで、全く者にならず
鍼灸マッサージの資格を活かした、業で生計を立てるに至っています。
その頃は80年代のバブル景気の真っ只中。
免許を習得し卒業し、その資格を活かし、
就職したバブルのかがり火がともっていた時代、
職場にひっきりなしになる予約の電話、
まだ見習い期間のものにならない
よちよち歩きの私にも仕事の嵐。

顧客を満足させるすべもなく
クレームの嵐に悩まされていた。

今では、もう淡い思い出笑い話になってしまっています。

この50余り、私なりに波乱万丈の人生だった様に思っています。
でも、その経験は無駄ではなかったと感じてます。

嫌いだった鍼灸、マッサージ業はなんとか板に付き
お陰様で自宅での開院からはや四半世紀
私を慕ってきてくれる顧客も
安定してあの下積み時代の苦悩が笑い話になっています。

(やっぱ 無駄な苦労なんてないんやなあ)

そして、今、新たに自分自身の可能性を広げるべく
新たな、就労の形を私なりに模索しているつもりだ。

今は、社会参加に特にハードルを要すると思われるであろう視覚障碍者が
社会自立するプラットホームが、確立されつつある、
そんな時代を迎えつつあるようです。

十年前から視力が徐々に落ちて、
六年前には全く光を失い、
路頭に迷っていた私の背中を 家族に押され
自立に向け訓練を受け
点字を習得し、当事者団体で
それを広める活動を行っています。

そして、就労支援事業所に通い
技術面や仲間作りなど
私なり楽しんでいます。

50半ばにして学ぶことがまだまだたくさんある。

そして、もっと発信していってもいいかなって思う今日この頃です。

終わりに、今の時代、障碍者に対する差別感情が段々減少しつつあるように感じています。 
でもまだまだ 視覚に障害のある人たちの世界が
理解されにくい世の中だと思います。

これは私たち視角障がい者がもっと自分たちの立場を世に発信していっていない
結果なのかもしれないですね。

同時に、見える人達にも言いたいことは
やはり、目に見えるもののみが全てだと
勘違いしている人が多いようで、
それは見えない人たちとの壁を作ってしまうのみならず、
何か、それによってつまずいてしまうのではと言う危機感も感じています。

皆さん、いかがでしょうか?