注意
誰かの為にしか生きられない私を、貴方はきっと嗤うでしょうよ。
「誰かの為にしか生きられない」という私の事を、笑うのでしょう。
爆笑は大事よ、アリンコです。
なんかね、今月の頭ぐらいから、冒頭の「誰かの為に」っていう歌が、ふとした時にずっと浮かぶのよ。
歌っつっても、作詞作曲私なんで、もっとちゃんと形にすれば良いんじゃないのって思うんだけど、そこまでの情熱がない。
「誰かの為にしか生きられない私」は承認欲求の塊なんですよ。
それを、客観的な私は嗤ってる、「貴方」。
誰かの為に、人の為に、或いは将来の自分の為に、そういう生き方を選択した私。
尽くして、認めて貰って、それがあの、ギブアンドテイクではないですけど、いつかの自分の為になると浅はかにも信じて、それで「私は生きてるわ」って、勘違いしてるんですよね。
でも「私」は気づいちゃうのよ、あんまり私がしてる事って、自分が思ってるほど「誰か」に影響してねぇぞって。
「誰かの為に生きてるわ」って本心から、もう深層心理からそう信じてるのなら、別にそれでも、ええがな。
でも本質が承認欲求だから、影響力が微風みたいな感じだったら意味ないんじゃないかと、気付いちゃう。
自分の為にしか生きたくない私を、貴方はきっと笑うのでしょうよ。
「自分の為にだけ生きたくない」という貴方の事を、嗤うのでしょう。
そんな、誰かとか、自分とか、そんな線引き、どうでもいいわ。
どうでも良いわって最終的にはなってしまって、めんどくせぇってなってるのがアリンコです。
だからあの、ちゃんと詩とか、曲とか整備するのもめんどくせぇんですよ。
影響してないぐらいなら、そういう結果だとまだ許容出来るんだけど、許容っつってる時点でおかしいんだけどさ、「それはアリンコがして当たり前だろ」って定着するとムカつくんで、じゃ最初からやるなよとか考えてたら、なんかあの、歌になってましたね。
いやあの今回記事書いたのは、私が一人で珍妙な歌を作ってるとかではなくて、今年に入ってから半年近く虚無ってた時期がありまして、全く心が動かないんで、色んなジャンルの動画とか観てたんですよ。
虚な感じで眺めてたっていう方が適切かもしれない、宇宙とか占いとか、心理学とかオカルトとか局地的な流行りの歌とか、ジャンル問わず。
虚無ってるって言葉が合ってるかはともかく、心こそ動かないけど意識に掛かる言葉だとか何だかに、「なんかヒントあるだろ」って、その時にスピリチュアル関連の配信者さんで、「あれ?」っていう人が一人、いらっしゃったんですよ。
この人の言ってる事、私知ってるぜ、的な。
もうちょっというと、私がかつて人に伝えたかった事を、こう説明すれば良いのかと、こういう表現で言語化すれば良いのかと思って、ただ私そこに飛びつく事もせずに、逆に、今この配信者に飛び付いてしまったら、既にその時見失ってた、自分の意思がわかんなくなるって感じて。
だって考えてる事全部言葉にして、わかりやすく解説してくれてるから、そこに乗っかっちゃったら、本格的に自力で考える事しなくなるわ、私はあの、新しい道的な物を探してるのにさと、でもこれを、言語化して説明出来るってすげぇと、リスペクトみたいなのはありました。
例えるなら、健康食品が健康に良いからってそれしか口にしなくなったら、人間どうなるかっていう恐怖と、でも健康食品としてはこれ以上ないほど、優れてるみたいな、食品にしちゃった、ごめんなさい。
結局「虚無状態」から脱却したのは別の事ですし、note始めた事情も異なります。
でもアリンコは元々、その人は動画にしてるけど、もっと小さーいところで、つまりここですね、自分の視点で見える世界を記して行こうと最初は考えてたんですよ、初投稿よりもっと前に。
もっとまともな文章で、優しい感じで、温みのある感じの...、そういう記事を発信したかったとこから、この媒体になったんだけども。
向いてねぇなと実感して、noteじゃなくて、まともな、優しいのが。
配慮はするけど、そのまま出して行こうってこんな感じになっとるんですが、そのなんだ、オカルトスピリチュアル方面以外だと、もっと綺麗な感じで、上手い事、私が言いたいよーみたいな事を表現してる人って、いっぱいいるんですよ。
私あの、霊能者でもないんだけど、オカルトおばさんなんで、他にいるのならもういっかなと思って、長いから勝手に「オカスピ」ってジャンルで、ぼちぼち出そうかと考えてる今ですよ。
その、動画配信者の方が、ついに「最近のスピリチュアル方面は、意味がわからなくなってきてる」っていう動画を配信されてて、「それな!」って、私も、恐縮ですが同じ事を、やっぱりこの、言いたい事を凄く上手に、解説なさってて。
私が同じ事言おうとしたら、「は?って感じ」ってなるのを、語彙力の格差というか、ちゃんと書こうとすると冗長になるんで、良いサイズ感にキレイに納められる能力に嫉妬すら湧かんっていう...、私は、あの、いつの間にか教えられてた、どこ発祥かもわからん知識と、それがあったからなのか、自分で見聞きする事があった感じで。
配信者さんの方はですね、何目的でそんな事になったのか知りませんが、自分から悟りが開けそうな危険な事態に、突っ込んで行って、そこから「自分の意見」として提示されてる方らしいので、そりゃもう、言語化能力にも差が出るでしょうよ、元の能力もあるだろうけど。
どこ発祥かも探してるんですが、未だにわからんのですよ。
神道かなと思ったんですけど、違うんだよなぁ。
アタイの先祖は何者で、最後、こんなので良いの?と、思うんですけど、私も多分、最低限の事しか教えられてなくて、「知らなくて良い事」は伏せられてた感があるので、だからどこ発祥かわからん事になってるんだと思います。
最近のスピリチュアル方面がデンジャーだってのは、そうなんだよな。
デンジャーだと感じる、9割ぐらいの事をその動画で言われてるんで、それを紹介しなさいよって考えたんだけど、結構その「スピ関連が好きよ」って人には、きっつい事を仰ってるらしいのと、何がデンジャーかって根本的な事を言うと、「誰かがそう言ったから」って、その言葉を鵜呑みにしちゃう事なんですよ。
だからあの、二番煎じみたいに出てきたら、追撃追撃みたいな感じで重なって、「こんなに色んな人が言ってるのなら」って、三人目ぐらいから「みんな」ってカテゴリーになっちゃうんで、最初の一人になりたくもないのに、重複もしたくないって、難しいんですよ。
私よく「日月神示読みなさいよ」って、スピ関連に興味ある人にはポーンと投げますが、アレはあの、普通のことしか書いてないからですよ。
普通のことなのに、それを実践出来ねぇよっていう、パラドックスが生じるから、一番良い媒体だと思ってます。
興味ない人に日月神示は勧めるのは、怖いです、興味ないけど「なるほどなぁ」ってなったら、本当に表面的な、上澄みのとこしか、捉えないでしょう。
それが、一番デンジャーなんですよね、ある程度はほら、「こりゃ、結局どういうことなんだ」って自力で思考する、教科書です。
精神関連の、心持ちの分野において、身も蓋もない事を言うと、万人に共通する正解なんてないんですよ。
自分にとっての「正解」を、探す過程に意味があって、正解が見つかったら、人生楽になれるのかもですが、自分の「正解」と隣人の「正解」は、必ずしも同じではない。
人間は不完全だからこそ自分の「正解」を求める旅をしてるんですよ、多分な。
先人の「正解」を参考にして、ヒントがあり過ぎて逆にわからないというのも、この旅の醍醐味ですよ、ノーヒントにはノーヒントの旅があるわけで、いっぱいヒントあるからラッキーと思えるか、心の迷子になるかはその人次第。
ただ最近のその、「これが正解です」って無責任に断言しちゃってて、「瞑想しなさいよ」的なこと言ってるけど、瞑想って何すれば良いんですか?って人も、少なくないでしょう。
アリンコも「内観してます」ってよく書いてるけど、その内観に何の意味があるの?って問われたら、スッゲェ長くなる上に誰の何にも参考にならんと思います。
内観の結果こんなものが見えたよ、っていうのも、結局私だけの話なので、ヒントだろうが与太話だろうが何だろうが、発信できるわけで。
万が一にも宇宙の真理みたいなものを発見しちゃったら私はそれは黙る。
消されちゃう消されちゃう、なんかお偉い人に抹殺されちゃうとか、そっちは別にどうでも良いんだけど、人様の旅の阻害はしたくないから...、アリンコの言うことに、何の根拠も説得力もねぇけど。
私の一人しかいない友人と出会って間もない頃に、あったエピソードを一つ。
そもそもその友人は、初見で、良い意味で「なんやコイツ」と私は直感的に、なんかあったんですけど、実は我々の間にもう一人、人を挟んでるんですよ。
アタイが20代の話で、未だに友人との話題に上がるんですが、アリンコは、なんでか、あの、メンヘラホイホイみたいな、なんか悪い意味で「なんやコイツ」って人に、絡まれやすいんですよ。
間に入ってた子もざっくり言うとメンヘラですね、この人に、私も友人もそれぞれに「コイツ意味がわからん」って、その子がいないと友人ともそんなに関わってなかったので、何とも言えない感じですが、私の場合はですね、その、腕を切った傷を、チラチラーチラチラー、やったら見せてくるなと思いながらも、そこに触れたら深入りさせられる感があったんで、ずーっと、チラチラー、チラチラー...、相手もね、あの、諦めないんですよ。
謎の持久戦に突入しつつ、チラチラーしてても埒が明かんと思われたのか、「相談」ベースで、超個人的過ぎる私生活や家庭環境における不平不満が終わらねぇぜ、みたいな状態になって、それを、私が「こうすれば良いと思うよ」と言ったところで、「不満を抱えてるあたし」を維持したい人だから、問題が解決したら、その子が困るんですよ。
ネタ切れ起こして同じ事をずーっと言ってるし、単なる愚痴であるのなら聞くだけでも意味があるんでしょうが、これあの、難解過ぎるメンヘラ特性で、簡単に「可哀想」って同情しても、ダメなんですよ、アンタに何がわかるんだい!ってなる。
不満は不満として存在してるんで、だからどっかで解決したい問題でもある、でも解決すると、「不満を抱えてるあたし」が存在しなくなっちゃうんで、何をどうしたいのか本人が一番わかってない。
どうしたかったのかと、本人が意識してるかどうか別物として言うのであれば、完全リニューアルでしょうね。
「不満を抱えてるあたし」に執着する事もなく、そもそも不満もなく、客観的に見える「普通の人」になりたかったんでしょう、普通の水準も人それぞれですが、「わかってくれよ」があまりにも強い人は、他者に対する共感能力が低下してますから、「アンタのことよりも私の方が」みたいに、私の方がしんどい選手権に突入する傾向にあります。
もうあの、フィールドが変わっちゃう。
で、この人がチラチラーしてる時に、私も友人もそれぞれ個人的な問題がありまして、でもどちらも「どうにかしたいけど私一人で今どうしようもないから、しゃーないけど現状維持。でもどうにかならんかねぇ」っていう状態だったので、「今日もさ」みたいに、愚痴が重複する事はあるんですよ。
解決出来ない話の愚痴ですわ、解決出来ねぇなら人に言うなよっていう人もいますけど、出さんと溜まるんで、言語化して説明するだけでも意味はある、当然相手は選びますよ。
その愚痴に揃えて「私もさ」みたいに、解決する気もない不満を出してくるのと、出来ればフェードアウトしたいんだけど、追ってくるからどうしようもない。
職場が同じだとそういう事もありますし、その子を除け者にしてるわけではないけど、職場だったので三人いると、たまに二人で、ってちょっと寄り道とかする事も増えるわけでしょ?それを「私だけハブられた!」ってなる人と、二人でお茶してたってバレるとめんどくせぇ事になる。
その当時友人と二人でお茶するってなって、何の話してたかって「五行の事は私はあんまり知らんのよ」とか、洒落たカフェでするような話題でもない、でも「誰か」の話でもなくて、せいぜいどうでも良過ぎる雑談か、自分の抱えてる「愚痴レベル」の話ですよ。
でもその内、チラチラーさんも、「愚痴」の対象になって来ますよ、追ってくるんだもの。
で、その、何事もニュアンスで理解する友人が、「あの子と、アリンコの、「不満」の違いがわからないけど、何か違う事だけはわかるんだ、これは何に例えれば良い?」みたいな、言語化出来ない事について言及し出した時に、私の解説が、参考になったかはともかくとして、つまりこういう事なんですよ。
私達は、問題集があったとして、「これはどうやって解きゃ良いんだ?」って話しながら、問題を解こうとしてる。
同じ設問を解いてる訳でもない、同じ問題の時もある、それはその時々で異なるし、絶対に制限時間内に自力で解かなきゃならないという制約もない。
ただ、問題集は、片付けられるのなら片付けたい、答えを知ってるのであれば「そこはこうだよ」的に、正解を教えても何ら問題はない、理想は自分で解く事だけども。
でも似て非なる問題集は、それぞれが持ってる物が違うので、「何ページの何問目」って言われても、わかんないから、問題を読み上げる事が、共有するのに一番初歩的な工程だと。
問題を読み上げたけど、「わからーん」「私もわからーん」「何なのその問題、なんでそんなとこでこんな問題出るの?」「そう、この問題なんかおかしいんだよ」みたいな、問題と一応向き合ってはいるんだけど、一点集中してそれを解く気があるのかと言われれば、「わからーん」っていう相手の反応で、「あ、わかんないの私だけじゃないのね」と解答欄に書き込む内容が「協議の結果わかりませんでした」ってなる場合もある。
空欄でも良いだろう、解ける時に解きゃいいし、別のページで「あれ?これ同じ問題じゃね?」と解いた後で気づいて、ページを戻って、同じ答え書くみたいな事をしても良い。
敢えて制限時間があるとすれば、そりゃ「生きてる間」だな、問題自体がスッと消える事もあるから、「時間が経てば消えるだろうな」って難問を、解くかどうかも個人の自由。
一回解いた問題だと、覚えてたら次に同じ問題が出た時に答え知ってるから、一度解き明かすと言う事も問題が消えてしまうとしても無駄ではない。
ただ、大抵の人はそうやって自分の問題集があって、中には、私が持ってるの他の人より分厚いんだけど?とか、何だよサイズが違い過ぎるだろおかしいだろ、って論点をすり替える人もいるけど、パンフレットと辞書ぐらいの差があったとしても、自分が割り当てられてる事には変わりないし、「その問題一緒に解くよ」という人が現れたり、逆に自分が人の問題を解く事もある。
チラチラーさんは、自分と他人の問題集を比較して何やかんや言うてる人ではなくて、「私の解答集はどこですかー?」って、言ってる人なのよ。
他人の問題集とかどうでも良いし、自分の問題集もチラッと見て「うわぁ」ってなってて、みんな、なんか自分の解答集みたいなのを実は持ってるんだろ、私のは何処だ?誰か知らんか?って、言ってる、人。
「そんな物ありませんよ」って教えても、解答集ないならどうやって答え合わせしてるんだよ、おかしいだろ、スラスラ問題解けてる人もいるんだから、絶対カンニングしてんだろ、って、問題すらまともに読んでないのに、もう答え合わせの心配してる、人。
答え合わせなんて自分がくたばった後の話ですよ。
だからサイズでガタガタ言ってる人は、「そんなん言われてもー」って、知らんがな、何この人...、ってなるけど、「解答集を出しなさいよ」ってはっきり言ってくれればまだ良いのに、「ほら、実はみんな持ってるんでしょ?アレよアレ、言わせないでよ、内緒にしとくからさ、アレ、私のアレはどこにあるの?」、アレとは解答集の事なんだけど、誰も解答集なんて持ってないから、「みんな持ってる」って前提から、もう意味がわからない事になってる。
カンニングしても良いんだよ、その問題集は。
でもカンニングは悪い事だと謎に信じてるから、「アレ」と濁してくる、私の問題集は、内容が凄く難しいから私は他の人より頑張ってるんだけど、流石に「アレ」が欲しいのよ、どこにあるか知らない?って、絡んで来るから、んなものありません!って言っても、無いという事実を受け入れてくれないのよ。
で、急に「お前の簡単な問題とは格が違うんだよ」みたいな、謎のブチギレ発作起こすから、あの、「私の解答集をお前が持ってるかもしれない疑惑」を、私達はかけられてますね。って話をしました。
解答集って発想が無いから「アレ」と言われても察する事が難し過ぎる。
新手の、問題だろこれ、外部から急に来る感じの。
結局その子とは職場が離れたので疎遠になれましたが、問題集例え縛りで行くなら、たまにその子の問題集が自分のデスクに放置されてる、みたいな事があって、「これ、何でか私のとこにあったんだけど」ってお届けしたら、もう「解答集寄越しなさいよ!」になるから、こっそり戻すか、その問題集を見なかった事にするしかない。
友人の方がかなり粘着されてたので、昔のガラケーで、「着信拒否する暇がない」事件とかありました。
スピ業界の話に戻すと、よく出題される内容に関する、参考書が世に出回るようになったと。
その参考書を見て「ああこれは私の問題集の内容に似てる」って、これは良いぜ、みんなにもオススメだって人も出てくる、問題集片付けたいから、参考書は欲しい人の方が多いでしょう。
いやもう、全部自分で解くんで大丈夫です、って人もいます。
自力で解くのが主流だった時代があるので、「そんなずるい事したくないわ」とか、参考書のお値段にもよりますとか、色んな人がいますね。
何だよ、参考書買ったのに、全然何も当てはまらないじゃないか!って人もいます、問題集も個性あるので。
そんな状態から「これ解答集です」って売り出す業者も出てきちゃった。
胡散臭さ爆発ですよ、いやぁでも半信半疑で、有効な参考書とかもあるし、もう解答集出てきてもおかしくないんじゃないか、ってぐらいならまだ、「いや、流石にそこまでの解答はいらない」って、自発的にそれを求める人はまだ少ない、「解答集買ってる奴いるぜ」ぐらいの風潮だった。
今はね、あの参考書も適した物が人それぞれ、当然解答集もですわ、そこまでは理性で分かってるだけど、訪問販売して、CMとか広告とかもバンバン打ち出して「これのお陰で、私はお金持ちになれましたー」って、体験談集まで出てきちゃってるし、そんな視界にガンガン入り込んできたら「アレ、もしかしてみんなカンニングしてる?」って、真面目に解いてるのが間違ってるみたいな、空気になる人もいる。
カンニングは何度も言うけど、しても良いんだよ、学習なんだから。
テストじゃないの、学習なの、答えを知るまでの過程が、どういう方法でも良いのよ。
極論解答欄見て良い時もある、でもそれは、問題を知らなきゃどの答えが該当してるのかわからんでしょ。
それでも空気は読まない、吸うもんだって徹底する人もいるし、解答集なんて信用したら死ぬかもしれないと考える人もいる、別に死なないけど、解答集の信憑性がわからんから、「それは偽物だ!」とか迂闊に言えない、偽物だって言った人が、非難されたりしてるのも視界に入ってくる。
それで、問題集の中に「これが解けないと先には進めません」みたいなところに、誰かがぶち当たって「やばいやばい、そんな問題が存在するぜ」って騒いだら...、そこで自分も躓きたくないから、「解答集はどこで売ってますかー?!」って、二十年前だったらかなりおかしな人だったのに、参考書も解答集もドンピシャな人も中にいるから、「私の解答集はこの世のどこかに存在するはずだ!」って、書店を巡ってる人が多発してる。
そこで私が、何かの参考にって、路上で手書きの資料を配布するとやな、「それは、まさか解答集?!」って、持って行かれちゃう恐怖があるのよ。
持って行くのは構わないんだけど、配布してるからな、「これは解答集だ!」って、違います違いますって訂正出来ないのが、デンジャーだって思う訳ですよ。
私は「こういう公式がありますよ」って式を出してるとすれば、その式が使えない問題であっても、式そのものが答えだー!みたいな、誤解を招く状況にある、これが、スピ業界に蔓延し始めてる、デンジャーな話ですよ。
問題だけは最低限読んでくれよって、関わってしまう以上は、そう思うだろ。
そこに答えがあるのなら問題を読む事に何の意味があるの?と言われたら、「いやあの、答え合わせは今じゃない...」って、これは答えではないですって主張するか、もう沈黙してしまうかの選択かになる、私はね。
そこを、気ぃ遣わなあかんようになったら、発信する側は、しんどいわな。
アリンコは、「どっかに答え書いてるかもしれないけど全文読まないとわからないわよ、答えなんて無いんだけどな」って、ややこしい事をほざいてるポジションです。
これが私の答えですが皆さんに該当するとは限りません!って、コイツが答えを知ってる訳ねぇだろってアホになる方が楽ですね、アホは地なんですけどね。
誰かの為にって、承認欲求の塊の時であるのなら、そりゃもう誰もが納得するだろう答えを、模索して言葉を尽くしたでしょうが、そんなエネルギーねぇわ。
解答集が必ずしも間違ってると言えないし、何度も言いますがカンニングはしても良いんですよ。
私が言えることは、その解答集はどうかと思う、とか、適した解答集の探し方情報、ぐらいなら、ご提供できるかもしれませんが、検索エンジンでは無いので、私の言うことは半信半疑どころか、9割は疑っていただきたい。
自衛の為に、疑う心までは失わないでください。
ここを経由しないと、この先書くであろう「オカルトスピリチュアル」の話は書けませんので、今回長い上にめんどくさいですが、ちょっと言わせていただきました。
因数分解を私生活で使う場面がありますか?じゃあなんで学ぶの?という事です。
別に逆上がりが出来なくても生きていけますし、昔は大車輪出来たけど今は鉄棒に辿りつけねって人もいますので。
その例の配信者さんは、今後も活動していただきたいんですけども。
コメント欄で、もう既に何も伝わってねぇなって人も、いますので、人様のチャンネルに文句つけるってダメですね。
オカスピ、ええ、私はこのジャンルで何事かを書く機会も出てくると思いますので、今後は「こいつ大丈夫かよ」と、疑惑の目で見守っていただけると幸いです。
では今回もここまでお読みいただきましてありがとうございました。
一万文字以内に収めるように、今後とも頑張っていきたいと思います。
では、また次回に。
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