雑記728

あれ何の歌だっけ?って、サビの一部分しか出てこないから、鼻歌検索みたいなのあったなぁと思って、スマホに向かって歌ってみたんだけどさ。

検索するモードになってなかったアリンコです。

全然反応しないからさ、声小さいのかなと思って、全力で歌って、たまたま来てた、マンションの共有部の掃除の人に「良い曲ですね、それ何の歌ですか?」、諦めてコンビニ行こうとした時に訊かれて、それがわかんねぇから、歌ってんねんて。

それで、思い出して、無事、そう思い出せたからと思って歌詞確認したら全然違う詞だった。

The distance to heaven
The distance form my heart

ディスタンスをリッスン言うとったんで、どんだけ聞いて欲しかったのか。
Listen to heavenだと思ってたんで、「あの世に耳を傾けろ」ってどういう歌なんだろ?って思ってたら、そもそもが違うかったっていう。
検索を使わなかったんで歌詞間違ってても大丈夫だと思いますけどね。
掃除の人が、テキトーだってことは、よく理解できた。

誰か私の声をーどうか届けてっくっだっさいー⤴︎
あのハーハハンあのハーハハハン、あなぁたのへほーへふーんはーははーん

って、何のこっちゃわからんからな。
メロディーラインというか、キーのアップダウンが激しいからヒットすんだろと思ってたら、検索する気がなかったようで。

元々はニーアの「灰ト祈リ」のMVを観たんだよ、それで、ちょっと、そっち系...感傷系の歌が連想ゲームのように。
アリンコの悪癖で、何か聴いたら、私だったらカラオケとかでどう歌うかなと考えてしまうんですけど「灰ト祈リ」は、サビの三パターンを踏破するつもりで、絶対間違えますね。
ええ、やる気だけはありますよ、やるかどうかは多分やらないけど。

記憶、記録、君と、ふーっ、てなると思います。

カラオケも随分行ってませんが、アタイの1人しかいない友達が、歌わない人なんですよ。
一人で行くか、って思った時に、コロナ来たんでまだ怖いですね。
ただあの、モヤモヤっとした時に「歌う」というのは、多分一番良いですよ。

私の、今住んでるマンションも、たまにベランダでバラード的な何かを熱唱してる人いますけど。
アリンコが熱唱したのは、今日スマホがうんともすんとも言わないから、ふはははーんのフレーズだけですね、ちゃんと声出さないとキーがブレるわと思って、歌詞なんてなかったけども。
普段はあの、声出さずに歌ってます、エアカラオケですね、腹から何から全部使って、声だけ乗せないっていう、それやってると腰が痛くなる。
ベランダ熱唱の人がね、あの、うるせぇんですよ。
音ずれてるのが、無茶苦茶気になって、何だったら、壁叩きおじさんの、叩くリズムがズレるのが一番イラッとするんで。

人様のことを言えるほどのアレでもないんですけど、「聴かせるんだったらちゃんとやれよ」と、私も心の声がうるさい人です。
一度、外国の人が、「多分、そうはならんやろ」っていう、ブレブレなのに原曲がわからんから、合ってるのかどうかもわからんって、その「歌わない友達」の前で、これ何の曲だと思う?って再現した事はあるんですが、「ありそうな曲ではあるけども、多分違うねんなぁ」みたいな、おかしな事になったことがある。

故郷を思い出してたのかもしれません。

そうそうそれで「灰ト祈リ」ね、そっちの話よ。
YouTubeで観たんで、既にコメントにはいっぱいありましたが、オートマタのアニメのエンディングですけど、レプリカントとか、DODも絡んでるなという感想ですね。
シノアリスには、ちょっと私には共感できる要素があまり無いので、何とも言えない。
オートマタのネタバレを避ける為にここで、あの、ヨコオワールドの自論を出すつもりはないけど、シリーズは、シノアリス含めて「ここが良い」って箇所は、それぞれあるのですが、リンカネもアップデート待ちの時に途中で辞めちゃったんで、知らん物語もあるでしょうが、結局あたしゃ、レプリカントが、一番ツボってんじゃねぇかと。

DOD3が女怖さだとすると、レプリカントはなんだ、「男性主人公です」ってドンと前面に出てるのがレプリカントだけなので、ヒロインであるはずのカイネさんが、「乙女」になる瞬間が、好きですね。
ゲシュタルトはレプリカントほぼ同じで、主人公がおっさんか青年かってだけなんで、印象変わりますけども、まぁあの、青年の方で。
オートマタの9Sは、彼はちょっと系統が違うという事で、少年だし。

レプリカントは「乙女枠」はエミール君がナチュラルに食ってますんで、彼はあの、砂漠の国の結婚式前夜に、「僕もいつかお嫁さんになったら」とか、普通に言うとる子なんで。
あの、レプリカントには実は「夜」が無いんですよ、ずっと昼のターンなのではなくて、陽が沈まないっていう設定なので、一応はあれ前夜扱いで。
あの世界観の人たちはちゃんと寝てますよ、陽光を遮って「寝る」という習慣はあるんで、細かい事を言うと、地軸の関係なんですが、オートマタもそんな感じですね。

カイネさんが男前なのは、そうなる必要が彼女にあったからで。
DOD3のゼロ姉さんが荒いのは、アレは元々そういう人です、ゼロ姉の気質は、あの「めちゃくちゃ強ぇ母ちゃん」の印象しかないので。
そこらの男よりも男らしくならなければならんかったカイネを、最初から最後まで「女の子」として扱ってたニーア氏は良い男ですよ。

良い感じに「狂気」が育った、男ですよ。

私はあの、レプリカントでは畑でずっと花を作り続けてた人なんで、ニーア氏は自分でやっといて、「畑の人」の印象が濃いんですけども、畑を育てながら、フィールドに出て「マモノ狩りじゃーい」で、ほぼ、自宅か村の外かの往復でしたが、そりゃもう、「真相」を知っても、私もニーア氏も、マモノを狩ることは辞めなかったですわよ。
レベル上げではない、ひたすらに、マモノを狩り続けるという、マモノを狩りながら、畑が育つのを待つっていう、作業。

オートマタでは私はずっと釣りしてて、ポッドの防水加工の心配とかしてた、一点集中型ですけど、アレは魚的な何かとポッドの戦いが絵面的に面白かっただけで、やってましたが。
たまに「ゴミ」とか釣れると、じゃあアンタ何をあんな水中で荒ぶとったんやってガッカリする、アニメでもあったらしいですが、ゲーム内でもアンドロイドはアジ食ったら死ぬので、気をつけてくださいね。

それで、畑でせっせせっせと、「月の涙」を量産してですね、魔王城で一回しか使わなかったんですけど、アレは回復アイテムとしても有効ですけど、私はその花を、カイネにプレゼントしたかった、そんなシステム無かったんだけども。

超優秀アイテムを最後まで使わない事を、ネトゲで知り合った人が「ラストエリクサーを何故か使えない心理」と言ってましたが、私はあの、エリクサーとか世界樹のアレはガンガンに使う人なので、その心理はわからないんだけども。
世界樹を最も投入したのは、「一週目で先が気になり過ぎてゼシカのダンスでは間に合わない事故」を起こした時ですね、彼女はずっと踊ってました。
RPGは私よく事故を起こします、全滅しないんですよ、辛うじて息が続いてるから、「こりゃ長期戦になるなぁ」事故。
負け確イベントでアイテム投入しすぎる事故も起こしますよ、何の予備知識もなくやるんで。

唯一、人に聞いたのは小学生の時にドラクエ5で、クラスの男子に「ラーの鏡って、アレどうやって取るん?」ですよ。
その後母に、スーファミ自体を没収されたんで大人になってから、その回答は活用しましたが。
で、その時に見えない通路の通り方を教えてくれたケンちゃんは、リアルに盗んだバイクで走り出して高校生ぐらいの時に滅茶苦茶怒られてたって、記憶の連鎖とは恐ろしい。

そうそうケンちゃんは、凄く勉強が出来たんで、賢い学校に進学したんだけどなんかストレスでやっちまったんだよって、私の父が言ってました。
何故かケンちゃんのお父さんだけが、うちの近所に今住んでますね、何があったのかは知らん。
「アリちゃん、なんか困った事あったら、おっちゃんに相談しぃや」って何年か前に路上で会った時に言ってくれましたが、相談した事ないですね。

あんまりその、人に弱点を晒すという事が私苦手でして...何の話だよ。

そうだ、カイネさんがどのキャラかわからないって人に、あの、下着姉さんです。
下着に二刀流の、あの姉さんです、水色の下着の姉さんがいたら、それがカイネです。
防御力大丈夫なのかと心配になりますが、あの、彼女は心にマモノを飼ってるんで、大丈夫だと思います。
マモノを飼ってるって語弊があるな、勝手に入ってきちゃった、二週目以降にサイコな発言を連発してる人が、結果的に彼女を守ってますんで、大丈夫です。

ニーアはあの、仲間はNPCなんで、カイネさんは気がつくと、よくぶっ倒れてるんですけど、気付いたら復活してるんで多分大丈夫です。
あのシリーズはNPCが死んでも、何ら問題ないので大丈夫よ、復活してくる。

そだ、私あの、斬る、殴るをアクションと呼んでましたが、先日あの「悪魔城ドラキュラ」の解説動画を観てて、あ、こっちがアクションか...じゃあ今まで私がアクションだと思ってたジャンルは、なんや?という思ったのを今思い出しました。
まぁあの、今ゲームするエネルギーないので、何でも良いんですけどね。

今あの、物語を知りたい人なだけであって、最後にやったゲームが、レプリカントの新しい方なのですけども、物語を知りたいだけなら、解説動画で充分じゃねぇかと。
ただサントラを含めた演出とかも観たいなと思うと、動画だとカットされちゃうんで。
実況と称してギャーギャー喚いてるのも、好みではないので色々めんどくせぇ性質ですが、新たな趣味になり得る「何か」を探しています。

その上で、たまたま昨日は「音楽」だった。

世の人はゴリゴリ働いてるのよ、と、「出来れば家でじっとしててください」と、何じゃこの身分はと、最近ちょっと、疲れる事何もしてないのに疲れてる感じで、身動きが取れないので、好き勝手に生きてるように見えるし実際そうなんだけども、「退屈」とはちょっと違うんだよな。

体調は良いんですよ、例年と比べても多分過去一で。
病院で「最近これが出来るようになりました」みたいな事を医者に言ったら、普通は出来ねぇんだよって、また検査になって今結果待ちです。
でもあの、具合が良いならそれで良いじゃないかとは、どうしてもならない。

今なら何か出来るんじゃないかって、トライアンドエラーを繰り返してる内は、まだ「トライ」出来てる分良いのかもしれない。
そういう事を繰り返してると当たり前に出てくる「どうせまた失敗するんじゃないか」という気持ち。
全部に何の成果も出せないから、今全部自己満足にしかなってない気もする。
余力が出てくると余計な考えも浮かんで来るんで、なるべく、体力なり何なりを削れねぇかなと「自己満足」の領域でも、動いてはみてるけど。

具合の悪い時を思い返すと、どうにかこの痛みを緩和できねぇかって事に思考を全部持っていかれるので、体調が良い時ほど肉体と精神が乖離してる錯覚を覚える。
まぁ「体調が良い」と言っても、要らん事せんかったら、我慢できる程度の痛みなんで、「万全か」と問われれば実はそうでもない。
もうちょっと遡れば、「我慢できる程度の痛み」に疲弊してる時もあったけど、半日でも、一時間でも良い、少し休ませてくれと。

そういう意味では、今は「休めてる」から、体調も良いんだろうな。

体はここにあって、思考だけが体に囚われる事なく「何か」に全振り出来る時があるから、「休めて」いる。
酷い時は寝てても痛いから、「とんでもなく体痛い夢」とか、去年ぐらいまで頻繁に見てた。
こんなん、気がおかしくならん方がおかしいわ、と思ってた時期もあったけど、「痛み」には慣れる。
「痛みと疲れは違う」と言ってた人がいたけど、貴方の場合はそれどうなの?と思いつつも、実際違いますね。

痛いのは、何やっても痛いんだよ、緩和する痛みもあるけども。
疲れは溜まるんですよね、「痛い」が蓄積され続けると「疲れる」事になりかねんので、なんだ、上手い言葉が見つからん、時系列がある。
疲労し過ぎて痛いという事もあるけど、ほら、この時点で「痛みと疲労」は全然違うじゃん。

少なくともアリンコは「痛みの緩和」と「疲労の緩和」は別物です。

例えば「音楽」が丁度良くて、そこを掘って掘ってしてても、意識があまり向かないだけで痛いのは、ある。
ただ「意識が向かない」という状況もレアなんで、そういう時は掘り続ける。

ちょっとだけ言わせてよ、こんな状態で私は何故生きてるの?

ここ数年、あんまりここに着地する事は滅多に無かったけども、「アレ?これなんで私は、何をしとるんや」と考えてしまうだけの余裕が、生まれてしまった。
あの、アリンコは「何の役にも立ってない」というところにまで、まだ落ちてないよ。
落ちてた時もあるけど、アタイのデータは、事例として収集して貰ってるから、一個、かなり特殊なケースですけども、「事例」が爆誕した事もあったんだよ。

持病とは全然関係ないんだけど、症状緩和の為に免疫力下げてるから、年齢的にも不具合は出やすい。
幸か不幸か、一般の人よりは遥かに多い頻度で、血液検査とかしてるんで、異変が出たらお医者さんも対応しようとしてくれる...、頻繁に貧血起こすから、数値的に「貧血」となったら、鉄剤出されるとか。
それで、「この病名でこの薬を服用しても副作用が出た事はない」っていう、健康な人がそこの数値だけを正常に戻すだけでも、発生率が0.03%っていう、渋いガチャみたいな割合のある薬がありまして。
発生率に関するそもそもの数式を知らんので、「何とかの確率、何パーセント」みたいな人が20年前から、フィクションですが当たり前に視界にいるので、ゼロではないのね、と、思いながら。

えー、副作用、出ました。
一応、データ共有してる中で「出ない」と結論付けられてる、0.03パーセントを、見事に引き当ててしまって。
副作用自体が、出たら出たでえげつない、まぁあの、全身硬直と全身痛なんで、持病と見分けつかんやろと「可能性」の話の段階では思ってたんですけども。
指先から顔面まで一定の痛みと硬直で、「何じゃこりゃ?」となって、......人が感知できる「痛み」って、本来は一箇所なんですよ。
足が痛い、腰も痛い、頭も痛いって人は、それコンマ何秒とかで感知してるだけで、一気に来るという事は体感ですがほぼほぼない。
普段「全身痛」って言葉を使ってても、多分私自身も「痛くない箇所」が見つけられないだけで、目まぐるしくあちこちが痛いという状況なだけで、その副作用が出た時に、「体全体が一箇所」っていう、オールインワン状態になった時に実感しました。

んで薬の効果が切れたのかして、二日半ぐらいで痺れとか残ってましたが、そこそこに動けるようになって。
効果はもっと早くに切れてたんでしょうが、痛みが呼水になって、あっちこっち「僕も私も」と痛み出す事はあったけど、「私の体は一つ!」みたいな事が、あの時初だったんで、こりゃもう副作用だわと思って。

病院に事細かに詳細を説明したら「やべぇ、副作用出た奴がいる!」って、すぐ共有しますって、一人暮らしの人には推奨しない、に変わったそうで。
どういう連絡網なのかは不明ですが、うちの主治医は国内だけの情報共有ではないそうですし、関西に、アリンコの二大持病の片方を研究してる大学があって、そこが十年ぐらい前に、まぁ治療法に繋がるかもしれない発見をした、っていうとこで、その後の情報がないながら、ずっと謎に包まれてた病なので「ここか!」っていうだけで、大きく前進はしてると思いたい。

日本国内で片道一時間で専門医がいるっていうのは、世界的に見れば非常に恵まれた環境でもあってね、国内でも患者はあんまり移動できないからって、泊まりがけで都会の病院に通院してる人もいれば、アメリカとかだと、州内に医者がいねぇ、車も運転出来ねぇって、どうしようってなってる人もいる...、私が知ってるのは「「どうしようってなってる人の知人」が、どうしてあげるのが良いのか、という話ですが、どうにも出来ない。

安易に、「病院のある地区に引っ越せば良いじゃない?」と言えないのは、その患者さんは親から引き継いだ土地を失えば、医療制度とかの違いで、本当に「命しか残らん」って状態になるから。

日本には「生存権」が、今のところ絶対的なものとして存在してる。
その日本でもよ?内部疾患で外見的にわからない不具合で動けない人を「サボり病」「怠け病」って風潮は、ごく最近まであったんだから。
なんかあった時の為に貯蓄してない奴が悪いとか、そりゃアンタ他人事だから言える。
一瞬で溶けるわ、そんで、支援は「溶けなければ受けられない」ものの方が圧倒的に多い、生存権があったとしてもだ。

スイスに安楽死を希望して向かう人は単なる自害希望ではない、周囲の状況も鑑みてそういう選択をした人で、選択をしても許可が降りるケースは珍しい。
同じ病気ではないけど、長い闘病生活の果てに「これ以上良くなる事はない」と、くたばるまで辛い状況に絶望して残念な事になった人もそれなりに知っている。

私の通院先で、スーツ姿のおじさんが、診察室から出てきて待合の椅子でガックリとこの世の終わりのような状態でフリーズしてしまった事があった。
おじさんはとりあえず職場に報告しなきゃって、看護師さんに「なんて、名前でしたっけ?」と死人のような表情で確認してたけど、口には出さなかったけどね、私からすりゃ、「それ完治する可能性まだあるやん?」である。
重い病気だよ、生活なんで変わっちゃうね、仕事もきっと長期に渡って休まなきゃならない。
最悪歩けなくなるかもしれない、でも、治療法が見つかってる病気だ。

それでもこの世の終わりみたいになるだろ、人生設計に「それ」は入ってない、想像もしてこなかった。
何で私がそのおっさんに対して、何にもしとらんけど「完治するやん」とドライだったかといえば、私もそれ持ってるからだよ。
二大持病があるので、私からすれば「あーそういうのもありますねぇ」で、そのおじさんの病気は、ほぼ放置してる状態です、それより厄介な事になってるので。
私の基礎に根づいとる、「激痛」と「疲労」、合併症扱いにはならんので二つになってるものの、診察方法も違うんだけど、私からすりゃ、出てる症状が違うだけで緩和措置もほぼ同じだわさ。

もうちょっと言えば「生活面含めて相談できる人」が身近に出来るまでは、何事もなかったんだから、誰と比較するわけでもないけど、ショックだろうが、「その程度で落ち込まんでくれ」と当時はなんかピリついてたんで、スッゲェむかついたんですけども。

私が病名を診断された時に、「子供も配偶者もいなくて良かった」と思えるほどには、もう、人の事も自分の事も信用できなくなってきたよ。

アリンコが数値的に鑑みた時にバケモノじみたガッツを謎に持っているのは、やっぱり元々の基礎体力にもよるらしい、
あとはあんまりよろしくないけど「ど根性論」で育った、環境。

私はもっとポジティブな話がしたい、でもここでは嘘吐かないと最初に設定してる。
言わんで良い事は書かないとも決めてるけど、誰かに故意に迷惑を掛けないようにという価値観の持ち主である以上、今の状況はベストなのかもしれない。

このままくたばるまで大人しくしているにしても、最後に「恋」みたいな事は、したかった。

だから今はとても良い状態なんだ、きっとそうだ。
もし何の生産性もない負債だと、考える人がいるのなら、責任持ってガス室作ってください。
私いつでもそこに入りますんで、靴先で蹴飛ばしても良いよ、「生産的な活動」だと、本気で思うのならどうぞご自由に。

The distance to heaven
The distance form my heart

私の感情論が自己満足だとしても、私はくたばるまで、無意味だとしても「私」であり続ける。
くたばった先のことは、わからないねー。

でもそれが「生きる」という事なら、今の私は「死んでない」状態ではない。
今は、美しい音楽に心を預けて、もう少し回復を図ろう。

回復したからといって何ができるかわからないけど、考えるのはもうちょっと後でもいい。

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