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ラジオ「井戸端会議」を始めて半年経ったので振り返ってみる。

これは三ツ星スラムの木曜zoomのLT発表資料である。

【井戸端会議ラジオ発祥の経緯】


・群れの研究をする「群れ愛好会」

スラムでは様々な研究が雑に行われている。

そのうちの一つに「群れ愛好会」というのがある。群愛好会では、群れの成り立ちなどを雑に研究している。

コチラが一つ目の課題図書

ロビン・ダンバー著
「人類進化の謎を解き明かす」

https://www.amazon.co.jp/dp/4772695516/ref=cm_sw_r_cp_awdb_imm_XAYR6M3PXEQM9QVCNA3N


・「最も親しい人」がいないのは不健康では?

この本のなかで、「群れの人数は3倍ごとに次元が増え、人数が少ない次元であるほど親しい関係にある」といった説が唱えられていた。

下の図で説明すると、最も親しい5人を中心とし、そこそこ親しい15人、まあまあ関わりのある顔見知り50人、といった感じだ。

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私はこの説に違和感を覚えた。「最も親しい5人がいない人、私を含めてけっこういるのでは?」と思ったのだ。

最も親しい人がいないということは、人間という動物として不自然なことであり、不健康の原因のひとつなのではないかという仮説を一つ立てた。


・人が親密になる一番の方法は「単純接触回数」

そしてもうひとつ、この本の中で唱えられていた、人間が親密になるのに最も重要なのは「単純接触回数」である。という説である。

コミュニケーションの中身はほとんど関係ないという。

現代社会では、単純接触回数を増やす環境が不足しているのではないか?という二つ目の仮説を立てた。


【社会実験ラジオ「井戸端会議」とは?】


・ラジオとは?

ラジオとは、zoomアプリを使い、スラム民同士がパーソナリティー/リスナーになり、コミュニケーションをする三ツ星スラムの音声コンテンツ。

私が音声コンテンツに力を入れるのは、文字でのやり取りよりも、「接触している実感」があるからである。

・井戸端会議の語源

水道が無かった江戸時代、人々は公共施設でる井戸に、朝・晩とその日に使う水を汲みにいっていた。

水を使う時間というのはどこの家庭も大体一緒なので、待ち時間が発生し、どこからともなく会話が自然発生する

「偶然会った人と挨拶代わりになんとなく行われる会話」がいわゆる「井戸端会議」だ。

井戸に限らず、江戸時代以前は、ライフラインが公共的だった。

電気のない時代は焚き火を囲って、人々が集まっていた。

大体同じ時間に単純接触する環境があり、自然に「親密な人」が充足する構造となっていたのだ。


・接触が減らされた現代社会

ライフラインを個人で使いたいときに使えるという便利さと引き換えに「自然に単純接触回数を獲得するチャンス」が激減した

ライフラインが公共的だった時代では、他人と接触することはライフラインのオマケだった。

現在は、人と接触するという目的を持って能動的に動かなくては、それは手に入らない。

だから、待合室コミュニケーションが目的で病院に通う老人や、タバコなんて吸いたくないのに喫煙所に行ったりする人もいる。

この人たちは「単純接触の渇き」を自覚して、自分で渇きを癒しているのでとてもえらい。

かくいう私も、ほぼ人と接触するためだけにパートに出ている。

現代では仕事、学校、家庭以外は「アポ」をとらないと接触できないといった構造が、明らかに増えている。

・アポは心理的負担を生む

ここでいうアポとは「お昼、一緒にいかない?」などの軽い誘いも含むという前提である。

アポをとる上で発生する心理的負担は、大きく分けて2つある。

一つ目は、「断られる」という心理的負担。これは、単純に「断られたら傷つく」というもの。

二つ目は「互酬性」である。互酬性とは、贈り物をくれた相手に対して「お返しをしなくては!」と思う気持ちのことだ。

ここでいう贈り物とは何か?

誘われた側は「都合を合わせる」という贈与をしている。逆パターンとして、誘ってほしそうな人を誘った場合は、誘った側は「誘ってあげる」という贈与をしていることになる。

つまり、アポを介して人と会うということは、少なからず「相手の期待に答えなくては!」という互酬性が発生するということである。

互酬性を感じて、会うときに手土産を持っていったりする人もいるだろう。

つまり、アポをとると色々しがらみが発生してめんどくさいのだ。

しがらみのない人間関係を作るには、いかにアポを介さず人と接触するかが大事になってくる。

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そこで、心理的負担の少ない単純接触ができる構造を作ろうと、手元にある材料で作ってみたのが「井戸端会議」だった。

ほぼ毎日、ほぼ同じ時間帯で、zoomを開き、好きなように参加してもらう。

同じ時間帯にやっているのは、同じような人が来るのではないかというのを期待してである。

当初は毎日行っていたのだが、負担が大きいので、今は平日17:00くらいから、旦那が帰宅するまで3時間ほど行っている。


【仮説検証】

井戸端会議を継続して半年が経過したので、仮説と私の体感(実験結果)を照らし合わせてみる。

ありがたいことに、毎回8人前後の視聴、3~5人くらいが音声会話してくれる。

1. 「最も親しい人」が充足することにより健康になれるか?

・「嫌なことがあっても吐き出せる場所がある」という安心感がある。これにより大概のことは「まぁいっか」と思えるようになった。

気持ちの切り替えが上手くできるようになった点において、以前よりも健康になったと言える。

2. 単純接触回数を増やすことにより親しい人ができるか?

・親しい人は増えたが、常連の入れ替わりが多い

・参加人数は安定しているが、3月の常連と、7月の常連では、約8-9割が入れ替わっている。

・井戸端会議に来なくなっても、自分でラジオをやる人が増えている。

・思っていた形ではないが、群れの健康という目的には叶っている。

【今後の課題】

・マンネリ化の解消

変な時間帯にやっているため、私のトーク時間が長く、家とパートの往復しかしてないので、もう話すネタがない。大体同じような話になる。

マンネリ化しないためには、マイクオンしてくれる人を増やす必要がある。

「なんでもいい」は逆に難しい。他の人が話しやすくなるキャッチーなコンセプトがほしい


・ビジョンの浸透と、話題が自然発生する仕組み作り

先日、「音声会話のハードルが高いと感じる人はどこに負担を感じているのか?」という話し合いをした。

「マイクオンする」=「おもしろい話をしなくてはいけない」という思い込みがあるのではないか?という仮説が浮上した。

「どうでもいい話」をするというビジョンの浸透に力を入れていきたい。 

スラムの年齢層が若く、井戸端会議の概念を知らない人が思ったより多かったので、ラジオ名もコンセプトが分かりやすいものに変えたい。

とは言っても、マイクオンしたら話題を提供しなくてはいけないというのはなかなか抜けない思い込みだ。

話題を自分で用意しなくてもいい仕組み作りの方向に持っていく方が現実的なので、そちらに力を入れていこうと思う。

現在考えているのは、「問いで遊ぶ部屋」「なんでも聞いていいへや」から、質問を拾ってくるという遊び。大喜利したり、答えを考えたり、謎解きするのをゲーム感覚でできて、誰でも参加できる。

こういう仕組みのバリエーションも色々あるといいかもしれない。

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以上です。

今後も継続予定ですので、スラム民の皆様は、どうぞお気軽に参加してください~!


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