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離婚することにした

こないだ、散歩に行って帰ってきたらなんか旦那の機嫌が悪かった。思い当たることはなにもない。

「なんで機嫌悪いのか、さっぱりわからん」

と言うと、

「流しがごちゃごちゃしすぎて皿洗いしづらい」

と不機嫌そうに言われた。

旦那からしたらごちゃごちゃしてるかもしれないが、大家族で育った私からしたらチョロい量だ。

以前も同じように言われたときに、私が皿洗いする前提で置いてるから、文句言うならやらなくていいと伝えているし、私はご飯作る前に皿洗いしたい派というのも以前承諾してもらってるのに、また勝手にやって文句を言われた。

旦那は、私のやり方もやるタイミングも気に食わないから、やってもやらなくても嫌な顔されるので、私は困っちゃうのだ。

これは旦那と私の主張の前提に大きな食違いがあるのではないかと思い、その日の夕食後に一度ちゃんと話そうともちかけた。

しかし話し合いは話し合いにならなかった。こっちは認識をすり合わせようとしてるのに、どうせちゃんとやらねぇだろとか、喧嘩腰なのだ。

どこかで妥協してくれないとやってけないから妥協できるところを考えてほしい、と伝えたが「じゃあもう料理しなくていいよ」と言われた。

すごいバカらしいが、この一言で私は離婚を決めた。「そんなん現実的にできるわけないでょ!クソガキみたいな態度とってないでマジメに考えてよ!」とそれまで我慢してた私もキレてしまった。

結局、旦那は、しぶしぶ妥協点をあげてくれて決着はついたものの、私はとっても傷つくことになった。

話し合いのあとお風呂に入って一人になったら、涙と鼻水が止まらなくて、なかなかお風呂から出れなかった。

正直、旦那に対する愛情に特別なものはない。生活を支えてくれていることに感謝はしている。

だから少しでも恩返しをしようと思って、旦那の健康に気を使って献立を考えたり、旦那の好みを考慮して作っていた。たまに手作りのおやつとかも作ったりしてた。

私の料理に少しくらいは愛着を持ってくれているものだと思いこんでいた。でも、「じゃあもう料理しなくていいよ」と簡単に口にできちゃうくらいには愛着なんて微塵もなかったのだ。

だって、別にもう一生私の料理を食べれなくてもなんとも思わないってことだからね。過去を思い出したら、私が聞いたときしか美味しいって言わないし、確かに旦那が愛着を示したことなんてなかった。探せば探すほど、この発言を真意の仮説を裏付ける事象しか記憶の中になかった。

旦那はクオリティなんて求めてないし、私が料理にどんな想いを乗せてるかなんてどうでも良かったのだ。そんなにわたしの努力はなにも伝わってなかった。でもそこは旦那は、悪くない。私が勝手にやって勝手に相手に期待して勝手に傷ついただけだったから。

それよりも傷ついたのは、私が「じゃあもう料理しなくていいよ」と言われることによってどれだけ傷つくか考えもせずに言えちゃう人だったということだ。

例え本当にそう思っていても、私が大事にしているものだと分かっているならば、口にすることを選択しないだろう。旦那はきっとまた私が大事にしているものを破壊していると気づきすらせずに破壊する。今回の件がトドメとなり旦那のことがとても嫌いになってしまった。

この抽象的傷つきポイントを旦那に伝えても「皿洗いのこと」くらいの具体的レベルでしか理解してくれないので、またの機会に繰り返す確信がある。今までも抽象的な理解はしてくれなくてその都度対処していた。

旦那といれば何不自由ない生活が保証されていて、将来の心配もない。生存する分には。結婚する前までは地に足がつかない生活をしていたので、生存を最優先して、お金にある程度ゆとりのある優しそうな人と結婚した。適当に選びすぎた。本当に人を見る目がない。

料理をするたび、皿洗いをするたびに思い出して悲しみと怒りが込み上げてきて、台所をぐちゃぐちゃに破壊したくなる。もうこんな生活無理だ。

料理、好きだったんだけどな。

私はこれから離婚に向けて準備を進める。離婚したらどうなるかは知らないが、まぁどうにかなるだろう。多分前よりはちゃんと生存できるはず。だって、自分に本当に必要なものが前よりも少しは分かったから。

振り返れば、一緒にいる人を自分から探しに行ったことなんてなかった。本当はヘルシーで美味しいご飯が食べたいのに、それに気付きすらせず、ずっとジャンクフードを食べていたのだ。

付き合う人をもっと自分で選ばなくては。そのためにもっと自分を知らなくては。

私はゴリラ特性が強いので孤独が苦手だ。物理的に一人でいるのが辛い原因だと思っていたが、とある実験と結婚の経験から、誰かと一緒にいても理解してもらえないほうが強く孤独を感じるということが判明した。

それは相手がいることによって予期せぬ期待が発生してしまうからだ。期待が膨らんだぶん、より大きく落胆する。

孤独ではない、と安っぽい錯覚をさせるだけの人といてはダメだ。もう36歳だけど、ここから自分の人生をちゃんと生きていこうと思う。


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