プロ奢サロン呪い研レポート【解呪の向こう側】

これはプロ奢サロンで行われている呪い研究のレポートである。サロン内で使われている言語はできるだけ、意味を添えて書くが、そのままになってるところがあったらいい感じに解釈していただけると嬉しいです。

呪いとは

プロ奢サロン内では「不快から逃れられない状態の事」という意味で、藁人形とか惚れ薬とか悪霊に憑依されるとかの話ではない。

呪いはどこから?

私には本当は何も無かった。本当は小学2年生くらいの時から気づいていた。自慢っぽくて気持ち悪いのだが、私は筋トレすれば大体なんでもできるようになるタイプだ。でも、何をやっても心の底から沸き上がるような強い興味を持てるものはなかった。自分の代名詞になるようなアイデンティティーを持っている人が羨ましかった。きっとそれが私が私を呪うきっかけだった。何もないので何かが欲しかった。なんかを持ってるフリができるだけでも良かった。

呪われてみた

アイデンティティーが欲しかった私は、頑張ってカラオケの店長になってみた。アイデンティティーがあるのは嬉しかった。でも自分でないものに擬態し続けるのは意外と難しかった。呪われたくない気持ちとアイデンティティーを渇望する気持ちが対立していた。やがて限界が訪れて破滅してしまった。あのころ、いろんな失敗をしては隠蔽していたんだけど、怒られたくなかったのではなく、せっかく手にいれたアイデンティティーを失いたくなかったのだ。

解呪チャレンジ!

なんか「アイデンティティーがないと存在しちゃいけない」みたいな呪いなんだな。と気づいた。消えたいと思ったときに。「ん?消えるのはおかしくね?」と気づいた。中身が空っぽでも、私の存在は物理的にこの世に残る。とりあえずは生命維持を優先してアイデンティティーだけを殺すことにした。正確には、アイデンティティーを欲しがる自分を封印した。

呪いはどうやって生まれたのか

私の場合は、「自分を認めたくない自分」から生まれた。使い道の分からない謎の才能に自惚れているだけの、何にも興味のない空っぽな自分。認めたら負けだと思っていた。一体何と勝負していたんだろう。

解呪の向こう側

最近は虚無りつつ、堅実にふわふわ生きてる。どこにでもいる普通の主婦になった。まだ時々「なくてもいいけど、あった方が...」って聞こえてくる。もしかしたらあった方が健康なのかもしれない。呪いをもう一度振り返ると、責任や肩書きやアイデンティティーや欲望がごっちゃにないっていた。アイデンティティを授かるにはそれらもまとめて受け入れないとダメだと思ってたんだ。これが本当の呪いの正体だった。なんか構造と名前が分かると呪いがとけるって誰かが言ってたな。

「自分は何者なのか?」なんて、頑張って急いで答えるべき問いでもないんだろうなぁきっと。ゆっくりしっかり積み上げてった方がきっと丈夫な自分が作れるはず。かりそめならば、いらない。探して試して、自分の心の声を聴いてみる。最近ちょっとずつ自分の片鱗が見えてきた。

承認される自分ではなく、自分自身が実現したい自分。でも呪いが解けるまでこんな自分がいるなんて知らなかった。隣の庭しか見てなかったから、自分の内側になんて目を向けたことがなかった。自分が弱い人間だと認めてしまったら「終わり」だと思ってたけど、認めたその先に道があった。

なんかまとまりがなくなってしまったが、レポートを書きながらあのころの呪いの正体が見つけられたので、あえて書き直さないでおこう。

文章化するのは、解呪の方法として有効なのかもしれない。以上。雑なレポートでした。

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